第56話 立腹
「お父様、失礼いたしますわ」
アンネリーゼは、ベルタンの大使との協議に向け執務室で書類を確認しているアレクサンダーを訪ねる。
室内には宰相のヘルムートもおり、2人揃って書類の山に頭を抱えていた。
「なんだ、今は忙しいから構ってやれんぞ…」
「問題がありましたのでご報告に伺いました」
「問題だと…何があった?」
「先程レベッカ殿下からご相談いただいたのですが、昼から引き渡されるベルタンからの品の中に毒を含むと思われる品が紛れ込んでいたとのことですわ」
「なんて事を…」
アンネリーゼの報告を受け、ヘルムートは絶句しアレクサンダーは椅子にもたれ掛かり天井を見上げた。
「殿下のお付きの侍女達が直接触れてしまったとの事でしたので、私の独断で念の為医師を向かわせております…」
「医師の件は分かった…良く判断してくれた。
取り敢えず、どのような経緯でレベッカ王女がその品に気付いたのか説明してくれ」
「はい…」
うんざりとした表情のアレクサンダーに請われ、アンネリーゼは昨日の図書館での出来事と生地の事を説明した。
言葉にこそ出さないが、アレクサンダーは明らかに怒りに満ちている。
「大使は知っているのであろうな…」
「殿下のお話では目録には詳細に記載していたそうですので、その生地が入っている事は知っていたと思いますわ…ただ、毒であるという事まで知っていたかについては只今殿下が確認中ですわ」
「知らなかったで済む問題ではないでしょう…他国に贈る品を調べもせずに持ってくるなど言語道断です」
「随分と舐めた事をしてくれる…」
ヘルムートの言葉に頷いたアレクサンダーが拳を握り締めたのを見て、アンネリーゼがニコリと微笑む。
「許してしまいましょう」
「…正気か?国の威信に関わるのだぞ?」
「もちろん正気ですわ…この際、ベルタンに恩を押し売りしてあげれば良いのです。
どの道、公的な立場の使節団がこのような事態を招いたとあれば帝国のみならずそう遠く無いうちに他国にも知れ渡りますわ…こちらからは何も求めず寛大な処置で器の違いを見せつけ、あちらの出方を伺うのも一興かと。
こちらの甘い処置に味を占め対応を誤れば他国から良い笑い物になりますし、真摯に向き合えば金銭的な損失を被る…ベルタンはどちらを選ぶにしても今回の汚名は免れませんし、こちらは痛くも痒くもありませんわ」
アンネリーゼの提案を聞いたアレクサンダーは椅子に座り直し腕を組み唸る…先程までの燃え盛る炎のような怒りは感じられない。
「我が娘ながらなかなかに惨い提案をする…」
「あら、私だって今回の件は頭に来ていますもの…使節団だけならまだしも、自国の王族が同行しているにも関わらずこの様な真似をするなど許される事ではありません…しっかりと責任を取っていただかなければなりませんわ」
今回の件について、態度にこそ表さないがアンネリーゼも非常に腹に据えかねていた。
ただレベッカを贔屓している訳ではなく、国を愛するアンネリーゼにとっては、国の代表として他国を訪問している立場でありながら、国と王族の名に泥を塗る行為が許せなかったのだ。
「良かろう、其方の案に乗ってやる…ヘルムートもそれで構わんな?」
「はい、陛下の御心のままに」
ヘルムートが頷きアンネリーゼが退室しようとすると、扉をノックし侍従長が訪れた。
「陛下、ベルタンの大使が急ぎ謁見したいとの事でございますがどうなさいますか?」
「すぐに向かう…アンネリーゼよ、其方も同席せよ」
「言われずとも元よりそのつもりですわ」
「ふっ、生意気に育ったものだ…まあ良い付いて参れ」
アレクサンダーは理想からは大分ズレてしまった娘の成長に笑みを浮かべながら大使の待つ部屋に向かう。
アンネリーゼはその後に付いて歩き、内心では大使の反応を楽しみにしていた。
***
アレクサンダーとアンネリーゼが部屋に入ると、座らずに待っていたレベッカと大使が2人に気付き深々と頭を下げた。
「この度は我々の確認不足で…」
「良い、話はアンネリーゼから聞いている…それより、レベッカ王女のお付きの侍女達は無事であったか?」
アレクサンダーは大使の謝罪を遮り2人を座らせ、毒に触れたであろう侍女達を気遣う…問題を敢えて話題に出さず、気にしていないと示したようだ。
「はい…アンネリーゼ殿下のご配慮で医師を派遣していただき、今は大事を取って休ませております」
「そうか…難儀ではあったが大事になる前に対処出来たのは幸いだった」
俯くレベッカに優しく語りかけ、アレクサンダーは大使を見る。
「此度の件だが、レベッカ王女と我が娘アンネリーゼの機転により未然に防げた故、余はこれ以上其方達を追求はせん…2人に感謝せよ」
「は、ははっ!皇帝陛下並びに皇女殿下のご温情に深く感謝いたします…!」
顔面蒼白になり深々と頭を下げる大使を見て、アンネリーゼは内心ほくそ笑む。
大使の反応を見るに毒であったという事を知らず、そしてこの対応の意味を正しく理解したのだろう…それはレベッカも同じのようだ。
「この度は私が付いていながら誠に申し訳ございませんでした…この件につきましてはベルタン第二王女レベッカの名に於いて必ずや犯人を見つけ出し、後日お詫びをいたしますわ」
「悪いのは罪を犯した者であってレベッカ殿下ではありませんわ…」
「いえ、この様な事態を招いたのであれば最悪戦になる可能性もありますわ…それがこれまでまともな交流をしていなかった国同士であれば尚更です…それを回避出来ただけでも御の字、事態を招いた側が誠意を見せるのが筋ですわ」
真面目な表情で言い放ったレベッカに苦笑したアンネリーゼは、わざとらしくため息を吐いてアレクサンダーを見た。
「レベッカ殿下はなかなかに頑固者のようですわ」
「其方も良い勝負であろうが…」
「あら、頑固さなら誰にも負けるつもりはありませんわよ?」
「ふん、張り合うでないわ…」
反省の色を見せないアンネリーゼに呆れつつ、アレクサンダーは大使に向き直る。
「大使殿、目録の訂正が間に合うならば受け渡しは予定通りで構わんか?」
「は、はい…!急ぎ訂正し間に合わせます!」
「焦らずとも良い…とは言え、其方達も視察など今後の予定もあるだろうし無理のない程度に頼む」
「心得ました…ご配慮いただき感謝いたします」
「レベッカ王女、アンネリーゼはしっかりと案内しているだろうか?」
「はい、今回も急な相談にも関わらず親身に聞いてくださいましたし頼りになるお方ですわ」
「そうか…レベッカ王女とアンネリーゼが両国の架け橋になってくれれば余も嬉しく思う…どうか娘をよろしくお願いいたします」
それまでヴァルドシュタイン帝国皇帝として威厳を保っていたアレクサンダーが1人の父親として頭を下げ、レベッカが慌てて立ち上がる。
「そんな!陛下、頭をお上げください!」
「もう、レベッカ殿下が困ってらっしゃいますわよ…」
「ふむ…では、余は戻るとしよう」
「レベッカ殿下、また後ほどお会いいたしましょう」
アレクサンダーとアンネリーゼが退室し、それを見届けたレベッカ達はソファにもたれ掛かってため息を吐いた。
「殿下、どう致しましょう…」
「どうもこうも無いでしょう…すぐに王宮に報せなさい。
対応が遅れてしまえばそれだけ我が国の損失になるわ…そんな余裕がベルタンにあると思うの?」
「は、はい…ではすぐに鳥を飛ばします」
大使は立ち上がり、急ぎ退室して行った。
レベッカは1人部屋に残り笑みを浮かべる。
「アンネリーゼ殿下の入れ知恵?それとも他の誰かかしら…まあ、こちらにとっては良い落とし所を用意してくれて感謝するわ…」
そう言ったレベッカの笑顔は非常に無機質なものだった。
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