死に戻りの皇女は復讐を誓う

ムラショウ

第1話 願望

 「これが、これが現実だというの…?」


 深い森の中を必死に走り、辿り着いた高台の崖地で、眼下に広がる光景を見て少女が膝から崩れ落ちる。


 ーーごめんなさい、私達が愚かだったばかりに…


 淡い金髪にダークブルーの瞳を持つ美しい少女…ヴァルドシュタイン帝国第一皇女アンネリーゼは、爪が食い込み皮膚が裂け、血が滴るほどに強く握り締めた手を気にも止めず、零れる涙を拭もせず、ただ茫然と眼下に広がる光景を眺めることしか出来ないでいる。

 

 隣国ベルタンに攻められ、住み慣れた美しい街並みは見る影もなくなり、街の至るところからは火の手が上がり、大小あらゆる通りには罪なき民達の屍が無惨に打ち捨てられている。

 僅かに生き残っていた者達も、ベルタンの兵達とそれらが使役する魔物の群れに追われ、老若男女問わず、ひとりまたひとりと物言わぬ屍へと変わっていく。

 逃げ遅れた老人が燃え落ちる建物の下敷きになり、親を喪った生まれたばかりの赤子が頭から魔物に食われ、妊婦は腹を裂かれ、この世に生を受けることすら叶わずその生涯を終えていく小さな命…当に阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈していた。


 事が起きたのはひと月程前、この国…ヴァルドシュタイン帝国の時期皇帝を決める選定の儀のため、国内の多くの貴族や有力者が帝都に集っている隙を突かれたのが原因だ。

 貴族や有力者が帝都に集うとはいえ、ベルタンとの境の守りが薄くなるような愚かなことはしていない。むしろ、非常時と同様に他国を警戒し、人員を割き、守りを堅めていた。

 だが、3年前…東の要所を守護するケンプファー辺境伯領の水源地に手負いのドラゴンが現れ、討伐の際に当主である辺境伯のが深傷を負った後落命し、多くの経験豊富な精鋭の騎士達も失なってしまった。

 しかも不幸はそれだけにとどまらず、討伐したドラゴンの血が水源を汚染し、辺境伯領が疫病と不作により壊滅寸前まで追い込まれた。


 アンネリーゼの父である皇帝アレクサンダーは、東部の守りの要である辺境伯領に多大な支援を迅速に行い、辛くも持ち直すことが出来たのだが、鉄壁と謳われた辺境伯とその精鋭達の穴を埋めることだけはついぞ叶わず、その隙を隣国に突かれたことが今の地獄のような光景を招いた。


 「神よ…人とは…人とはこんなにも残忍になれるのですか…!」


 アンネリーゼは空に向かい問いかけ叫ぶが、答えが返ってくることはなく、今もまだ続く民達の悲痛な叫び声のみが響き渡る。

 

 「国を愛し、民を慈しみ、私は貴方様に感謝こそすれど何かを願ったことなどなかった!!それなのに…それなのに、これが貴方様の答えなのですか!?」


 やはり、信じていた神からの答えは返って来ない。

 アンネリーゼは歯を食いしばり、もはや痛みすら感じなくなった血塗れの手で何度も地面を殴打し幼子のように泣き叫んだが、やがてその叫びも徐々に力を失い、ただ嗚咽を漏らし自身の無力さに涙を流しはじめる。


 民の叫び声が聞こえなくなり、燃え盛る家屋に使われている木材内部の水分が膨張し破裂する音と、屍が焼ける匂い、血と臓物と汚物の臭いが、乾いた風に乗りアンネリーゼのいる場所まで流されてくる。

 美しかった国を、愛した民達の顔を、目の前にある光景が侵食していく。綺麗な街並みは焼け落ち瓦礫の山となり、民の笑い声が叫び声に塗り潰されていった。

 

 「…力が欲しい」


 虚な目でアンネリーゼが呟く。

 沸々と怒りが湧き上がり、ダークブルーの瞳に炎が宿り、神がいるであろう空を…燃え盛る王都の光で紅く照らされる空を睨みつける。


 「私の愛した国を…私の愛した民を…私の家族を奪った奴等が憎い…全てが憎い!」


 涙はとうに枯れ果て、泣き叫び続けたことで喉が乾いて血が吹き出しそうな痛みが襲うが、構う事なく怒りのまま叫び、その声が夜空に響き渡った。

 

 遠くからかすかに馬の蹄の音と草木を分ける音が聞こえ、アンネリーゼは背後を振り返り自身が抜けて来た森を睨む。

 森の中にはいくつもの松明の火がゆらめいており、それはアンネリーゼに近づいているようだった。


 「ああ、こちらにいらっしゃいましたかアンネリーゼ様」


 森の中を抜けて来たベルタンの騎士の一団の中から、アンネリーゼが良く知る男が数歩前に進み出ると、仰々しく礼をとる。

 眼下に広がる地獄のことなど気にも止めず、内に秘めた歪んだ本性を隠そうともしない邪悪な笑みを浮かべた男に対し、アンネリーゼは怒りと殺意の籠った目を向ける。


 「おお怖い…帝国一の淑女と誉高いアンネリーゼ様には似つかわしくない目をしておられますな」


 わざとらしく身を震わせた男は、薄ら笑いを浮かべた。


 「裏切り者風情が私の名を気安く呼ぶな!穢らわしい!」


 「ふむ、裏切り者とはまた聞こえの悪い…私は一度たりとも帝国に忠誠を誓ったことなどないというのに」


 心外そうに言った男は、ハンカチを取り出し目元を拭って涙を拭く仕草をする。


 「いつからだ…いつから貴様はこのようなことを企てていた!?」


 「いつからと申されましても、最初からといったところでしょうか?まあ、貴女様がそれを知ったところで、何もかも今更でございましょう?」


 激しい怒りを向けられても、男は気にも止めず涼しい表情を崩さない。

 その態度に、アンネリーゼはさらに怒りを募らせる。


 「この下衆がっ…!何故罪なき民達を虐殺する必要があった!?この国に…皇族に恨みがあるならば我々だけにすればよかろう!」


 「簡単なことです。皇族や貴族となんら関わりのない民であろうと、帝国の血など要らぬのですよ」


 それが例え一滴であったとしても、と付け加えて男は高らかに笑う。

 アンネリーゼは目の前の男の狂気に驚愕し、言葉を失った。


 「さて、皇族も残すところ貴女様のみです。

 私にはまだやらなければならない事が山積みでして…そろそろ死んでいただいてもよろしいでしょうか?」


 男が胸の前で両掌を合わせると、男の背後に控えていた騎士数名が弓を構える。

 アンネリーゼが後退り、それを見た男は笑みを浮かべて背後の騎士を振り返った。

 

 「皆さん、撃ち漏らしてはいけませんよ?」


 「貴様等に殺されてなるものか…」


 アンネリーゼは男が目を離した隙に崖に向かって走り出し、そう呟いて飛び降りた。

 

 ーー神よ!初めて貴方に願います!私の魂も、肉体も…全てを捧げます!奴等に…私の全てを奪った奴等に罰を!


 見る間に地面が近づいてくる。アンネリーゼは目を瞑り胸の前で手を組んで最後の祈りを捧げた。

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2025年12月23日 12:00
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死に戻りの皇女は復讐を誓う ムラショウ @naka1111

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