第5話 赤ちゃん


 時間をかけて掃除を終えた頃、部屋にノックの音が響いたので慌てて返事をした。扉が開いた先には、竜崎さんが眠そうな顔をして立っていた。


「竜崎さん!」


「掃除してたの?」


「はい。祐樹さんに道具を借りて……」


「そう。それで、今から荷物を取りに行く感じ?」


「そうですね。さっき祐樹さんとも話したんですが、この生活がどうなるかわからないので今住んでるアパートはそのままにしておこうかと。当分暮らす分の荷物だけ運び入れます」


「それがいい。とりあえず一か月は家賃なしでいい。あ、光熱費はみんなで分けるけどね」


「は、はい。ありがとうございます!」


「んーじゃあ行こうか」


 そう言って彼はふいっと歩き出したので、何のことかわからない私は慌てて彼の後を追う。


「りゅ、竜崎さん、行くってどこへ?」


 すでに廊下を歩き出していた彼はくるりと振り返り、ポケットから何かを取り出して私に見せた。車の鍵だった。


「荷物、取りに行くんでしょ? また電車に轢かれそうになってもヤバいし大荷物になるだろうから、車、出す」


「……いいんですか?」


「ついでに仕事の話もする。行くよ」


「あ、はい!」


 私は急いでカバンだけ掴み、竜崎さんの背中を追いかけた。




 駐車場に停めてある黒い車に乗り込み、竜崎さんが運転をしてくれる。助手席に座った私はしっかりシートベルトをして、緊張しながら頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 静かに車を発進させた彼は、無表情で話し始める。


「これは一応、僕の車。でも貸してほしかったら貸すことも出来る。免許持ってる?」


「持ってますがペーパーでして……」


「そう。祐樹も雅も車は持ってないから。時々二人はこれ、運転してるよ。貸してほしい時は言って。あ、ちゃんと保険は入ってるから」


 人の車を借りるなんて、なかなかできないな。特に自分のようなペーパードライバーは、傷つけたらどうしようと思ってしまう。多分お願いすることはないだろう。


 ちらりと竜崎さんの横顔を見ると、特に愛想笑いをすることもなくまっすぐ前を向いている。やっぱりとても綺麗な顔。ただ、どこか掴めない……そんな雰囲気がある。


「で、生活のことは聞いたよね?」


「はい、一通りのことは」


「じゃあ僕からは仕事について。まず、僕らの能力について詳しく説明をしよう。まず僕は、言ったと思うけど霊の姿ははっきり見えず、ぼんやりと映るタイプ。ただし、祓う能力は強い」


 ごくり、と唾を飲んでしまった。これまで、自分がこんな特殊な話を聞く立場の人間とは思っていなかった。


「祓うんですか……それって、何か特殊な訓練とかしたんですか?」


「ううん。これも生まれつきだね。誰かに教わったわけでもないけど、霊を強制的に消滅させることが出来る。でもさ、ここで問題が一つ起きる。僕って祓う能力は凄いけど、見る能力はしょぼいわけ。山ほどいる霊のどれを消滅させればいいのかわかんないんだよ」


「あ……なるほど……全部消してたら大変ですしね」


「そう。それにさ、霊って悪いのばっかじゃないから。この世に残っちゃったけど、ただ悲しんでるだけですって無害な奴らまで消したら可哀想じゃない? そういうやつらは、消滅っていうより浄化がいいんだよね。いわゆる成仏させる」


「え、祓うと成仏させるのって違うんですか?」


「違うね。簡単に言えば、成仏は天国に送ってあげるわけ。まあ、天国ってホントにあるかどうかは知らないけど、その後も生まれ変わりとか、明るい道がある。でも消滅は消すだけ。二度死ぬ、ってことかな」


 凄い話に、呆気に取られてしまう。天国だとか生まれ変わりだとか、今までの私の人生ではあまり深く考えたことはない。


「僕は悪い霊は喜んで消すけど、そうじゃない霊は無理に消したくない。だから仕事が来たら、まずその現象についてしっかり調査して、元凶を調べるところから始める。ちなみに、祐樹も見え方は僕と一緒。ただ、あいつは浄化する能力に長けてる」


「へ、へえ……」


「だから、花音みたいにはっきり見える人がメンバーに加わるのはありがたいことではあるんだ。僕ら、姿は見えないから。その分情報が増える」


 ぼんやりとだが、仕事の内容が理解出来てきた。私は祓ったり成仏させる能力は皆無なので、主に見て相手の姿を二人に伝えるのが仕事になるのだろう。


 私が考え込んでいるのを察したのか、竜崎さんが尋ねてくる。


「という感じだけど、大丈夫? めっちゃ霊を見てもらうよ」


「はい、でも竜崎さんたちと一緒なら安心ですし、別に仕事じゃなくても霊は毎日見てますし……」


「ま、それもそうか」


 車は静かな住宅街を抜け、広々とした国道へ入って行く。竜崎さんの運転は慣れているんだろうと感じさせるスムーズなものだ。


「ところで、明日すでに仕事に行く予定なんだけど、来れる?」


「あ、明日ですか!」


「そう。できれば来てもらえるとありがたいかな。簡単に言うと、戸建ての家に住んでる夫婦の奥さんの方が、その家にいると変な物を見て、頭が重かったり体調悪くなったりする。でも旦那さんの方は全く感じてない……っていう内容。よくあるパターンだね」


 入居して早々、霊に関する仕事をこなすとは予想外だったが、入居の条件は仕事を手伝うというものなので、断れるはずもない。私は小さな声で言う。


「が、がんばります……」


「おっけ。がんばれ」


 なんて淡々とした励ましなのだろう。全然ファイトという感情が伝わってこない。やっぱり、ちょっと掴めない変わった人だな。


 とはいえ私のアパートまで車で送迎してくれるのだから、根がいい人なのは間違いないだろう。これからどうなるかはわからないが、竜崎さんに会えてよかったと思った。


「うちの家についての規約は僕の部屋にあるから、帰ったら一応渡しておく。それから、花音の能力が突然目覚めたことに関して、ちょっと気になるんだよなあ。何か原因があるんじゃないかと僕は思うんだけど、まあそれもちょっとずつ一緒に考えていこうか」


「は、はい!」


 しばらくルームシェアの話や仕事の話をしていると、見覚えのあるアパートに辿り着いた。とりあえず荷物をまとめるところから始めなくては、と思い、私はお礼を言いつつ竜崎さんに言う。


「ここまでありがとうございます。少し時間がかかると思うので、どこかお店とか入ってますか?」


「いや、手伝うよ」


「近くにスタバが……って、え!?」


 私が驚いて隣を見たときには、もう彼はシートベルトを外して車から降りているところだった。私は慌てて続く。


「何階?」


「三階ですが……いやあの、手伝ってもらうのはさすがに申し訳なく!」


「別にいーよ」


 よくないのはこちらなのですが!!


 という私の心の叫びにまるで気づかない竜崎さんは、スタスタとアパートに向かって歩き出してしまう。どうしようか迷ったが、止めるすべがなさそうなので仕方なくついていく。彼はどうやら、ちょっとずれている人らしい。女の一人暮らしの部屋に簡単に入ってしまうなんて。


 三階の角部屋に辿り着き、困り果てながら鍵を開けた。中は結構散らかってるし、見られたくないのだが、廊下で待たせるのも気が重いし……お茶でも出して飲んでおいてもらうか。


 玄関の扉を開け、とりあえず竜崎さんを招き入れる。


「散らかってますが……」


「あーなるほどね。いるね」


 竜崎さんは部屋に足を踏み入れる前に、玄関でそう呟いた。私はきょとんとする。


「いるね、とは……?」


「そんなの、君の方がわかるんじゃない。お邪魔します」


 竜崎さんはしっかり靴を揃えて(なんだか意外だった)中へ入って行く。そして、部屋へ続く扉を開けた瞬間、少し眉を顰めた。


 もしやと思い、私も靴を脱いで廊下を駆ける。竜崎さんの背後から自分の部屋を覗き込んで、ハッとした。


 そこまで広くない1K。恥ずかしいことに出てきたそのままの形なので、テーブルの上は化粧品などが置きっぱなしだし、畳んでいない洗濯物まで置いてあった。だが、問題はそこではない。


 ベッドの上に誰かが寝ている。


 掛布団が不自然に盛り上がっていた。私が普段使っているアイボリーの掛布団が、なんだか別もののように感じる。ひんやりと全身が冷え、毛穴からどっと汗をかいた。


 いるね……って、こっち? 確かに今までも、部屋の中で変な物を見ることはあった。またあいつらが、入り込んでいるのか。


 呆然として恐怖から足も動かない。だがそんな私をよそに、つかつかと竜崎さんはベッドに歩み寄り、躊躇いなく布団に手を伸ばしたのでぎょっとした。


「竜崎さ……!」


 止める間もなく、ばっと布団が持ち上げられる。そこにいたもの達を見て、私は短い悲鳴を上げた。


「……子供か?」


 竜崎さんは顔を顰めてそれを凝視する。私は口を手で覆ってがくがくと震えた。


「赤ちゃん……です……三、違う、四人……」


 ベッドの中にいたのは肌が黒く変色した赤ちゃんたちだった。みんなベッドの上に座り込んだ状態で体を寄せ合い、こちらを凝視している。全員干からびたような姿になり、やせ細っていた。目玉だけが異様に飛び出てこぼれそうに私の方を見つめており、瞳孔が開ききったその目からは、恨みや悲しみ、でも同時に嬉しさも感じ取れる。


 彼らはじいっと私だけを見つめている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る