【1年 4月-3】魔女Aについて-2

[で、その魔女Aの事件以来、俺は前よりも人と距離を置くようになったかな。何かいろいろ面倒になった]


[そうなんだ……]


[変な話をしてごめん。でもここからが本題で、魔女Aはこのクラスにいる人でさ、接触の仕方によっては、俺はまた気持ち悪くなっちゃうこともあるかもしれないと思って]


[まだそこまで酷いの?]


[普段は大丈夫だけど、可能性があるのは何となく感じる。吐いたのを掃除してほしいとかじゃなくて、きっとみんな混乱するからさ。事件を知っている人がクラスに1人でも欲しかった]


[うん。そのときは助けるから任せて。だから聞いておきたい。その魔女Aは誰なの?]


[ごめん、変な先入観を与えたくないし、まだ伏せておきたい。ここまで言っておいて申し訳ないけど。万が一何かあったら、そのときまた話をさせてくれたら嬉しい]


[わかった]


[頼ってごめん。代わりに若色さんに何かあったら助けるので。俺、勉強は得意だよ。特に英語は既に大学受験レベルだと思う]


[私それ本気で頼りたい。英語が全然ダメなの]


 俺は『任せろ!』のスタンプを押した。


   ◇ ◇ ◇


 放課後。若色さんはすぐに帰宅していて、窓の外がよく見える。教室にまだ何人か残っていて、部活をどうするだの、クラス分けがどうだっただのと話している。


 俺は頭を抱えた。俺、明らかにやっちゃったよね。親しくなってもないのにあんな話して、距離感ゼロじゃん。もともとコミュ力がない自覚はあったけれど、ここまで酷いとは。自分が嫌になる。綾菜の指摘どおり、もっと人と関わるべきだ、俺は。

 

「マキくん、すごいね」

「マキくん、頑張ってね」


 人と関わった思い出として、封印したはずの魔女Aの記憶がまた脳内に蘇ってくる。


「好きです、付き合ってください」

「優悧子、彼氏いるから」


 掘り返したトラウマが、頭の中を巡る。これ以上記憶に踏み込むとまた吐くかもしれない。


 ——空を見よう。


 少し雲が多い。雨は降りそうにないけれど、気分が冴えるような空ではない。高校を辞めて、嫌なことからは全部逃げて、雲ひとつない空を探して旅に出てみようか。


 今の俺ならそれができる。何年だって、一生だって、嫌なことから逃げ続けられる。


 英語ができるなら、世界中を巡ることもできるんだよな。一生かけたらひととおり全部見て回れるかな。治安が悪いところは避けたいけれど。


 イタリアに行ったら、フィレンツェでメディチ家の名残りを感じたり。オーストラリアの赤い土を照らす夕日を見たり。アラスカの肌を刺すような寒さの中で、白い息を吐きながらオーロラを眺めたり。普通の人なら妄想だけど、俺には実現可能な現実なんだよな。


 でも、ひとりでは寂しい。

 

「けんこー、一緒に帰ろう」


 うしろから声がした。綾菜は孤独な別世界から俺を引き戻してくれる。そう、あのときもそうだった。


   ◇ ◇ ◇


 あの放課後。俺は、教室にいながら教室ではないどこかでひとり、自我を失って漂っていた。感情のピークは過ぎ去り、残ったのは虚無で、家に帰る意味を見失い、動けないでいた。

 

「けんこー、一緒に帰ろう」


 声の主が誰なのかはすぐわかった。しかし頭が追いつかない。義務的かつ機械的に俺は後ろを振り返った。


 綾菜がスクールバッグを背負って立っていた。バッグの持ち手の部分に両腕を通して背負う姿。叱られない程度に短いスカート丈と、バッグの持ち手の付け根からぶら下がる、あふれるほどたくさんの小さなぬいぐるみ。ヘアアイロンでストレートにした長い髪の毛と、ほんのり色づいたリップ。


 陽キャ女子中学生のテンプレだ。    

 これは、学生を『型』に嵌めようとする大人たちの圧力と、それに抵抗する数多の女子たちの意志の衝突の産物だ。そしてこの『型破りな型』こそ、白駒綾菜の精神の具現と呼ぶにふさわしい。


 お前も戦え、と言われている気がする。前を行くから、立ち上がって後ろに続けと言われている気がする。


 この感覚は、感動は、偶像(アイドル)をその目で見た信者の心境に近いかもしれない。現実が辛いとき、無情なとき、いつの時代も崇拝の対象が人の魂を救ってきた。暗い闇の底に落ちた魂を掬い上げ、その存在から溢れ出す慈悲で、現実に抗う活力を与えてきた。


 世界がもとのカタチに戻っていく。曖昧だった自他の境界が明瞭になる。


 おそらく数秒間は沈黙していたと思う。


「……部活は?」


 もっと気の利いた言葉があったはずなのに。


「辞める。あんなやつらと一緒の部活にいたくない」


 ぼんやりとした頭で察した。あいつら、綾菜と同じ美術部だったのか。


「もともと幽霊部員も多いし、帰宅部みたいなもんだよ。だからあんな不良も混じってる。さ、帰ろ」


 俺は立ち上がった。綾菜が立ち上がる力をくれたから。動いてみると案外平気で、何でもなかったふりをして綾菜の後ろについて教室を出た。


 帰宅部の俺が放課後何をしているのかとか、何でもない話をして、俺たちは帰り道を歩いた。それから俺の家で一緒にゲームをしたんだったかな。とにかくその日は遅くまで、綾菜は俺の家にいてくれた。


 次の日から綾菜が俺の家に来て一緒に登校するようになり、帰りも一緒に下校して、そのまま俺の家で遊んだり勉強をしたりするようになった。互いにそうなった原因については触れないようにしていたけれど、綾菜が俺の様子を常に心配しているのは伝わってきた。俺は引きこもりになりそうな性格をしていたし。クラスには魔女Aもいたし。


 中3になってクラスが別になり下校は別々になることが多かったが、一緒の登校は続いた。これは正直惰性と言うか、一緒の登校を続けるかやめるかという話をすること自体が互いに気まずかったのだと思う。


「どした? ぼーっとして」


 ああそうだ、綾菜が教室に来たんだった。


「……。少しだけ、魔女Aの——桜井さんの件を思い出してて」


「大丈夫?」


 綾菜が俺の顔を覗き込む。


「熱ある?」


 今度は額をくっつける。 


「ここまでリアクションが薄いってことはガチじゃん。こんなうら若き乙女とおでこくっつけて動じないとか、重症だよ」


「綾菜、もし俺と世界一周旅行しようって言ったらついてくる?」


「……」


 綾菜が腕を組んで上を向き、目を瞑って顔をしかめる。

 悩んでいる。

 行くかどうかに? それとも、答え方に?

 しばらくして、カッと目を見開いた綾菜に、


「……冒険に出るなら、まずはちゃんとレベルアップしないとね!」

 と、バシッと背中を叩かれた。

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