モンスターハンタートラベル
@beginner_travel
第1話 現実からの滑落
レイは今日も、モニターの前に座っていた。
時計の表示は深夜一時を回っている。
本来なら、机の上に広げられているはずの参考書は、ベッドの端で不貞腐れたように閉じられたままだ。その代わり、机の中央を占領しているのは、起動したままのパソコンと、コントローラー。
「……よし、これで揃った」
画面の中では、巨大なモンスターが崩れ落ち、素材取得の文字が表示される。
レア素材。今日の目標だった。
達成感に息を吐き、背もたれに体を預ける。
指先は少し痺れているが、不快ではない。むしろ心地いい。
——現実のことを考えなくて済むから。
「……勉強、やるつもりだったんだけどな」
誰に聞かせるでもなく呟いて、苦笑する。
高校三年。受験生。
その肩書きが、最近やけに重い。
将来の話をされるたびに、胸の奥がざわつく。
やりたいことがないわけじゃない。ただ、“現実”でやりたいことが見つからないだけだ。
ゲームの中では違った。
努力は数値で返ってくるし、強くなればちゃんと敵を倒せる。
何より、明日どうなるかわからない不安に押し潰されることはない。
「俺もハンターとして生きていけたらな……」
モンスターを狩って、装備を作って、強くなって。
悩みも、勉強も、進路もない世界。
「……無双できるし」
自嘲気味に笑って、電源を落とす。
布団に潜り込み、天井を見上げたまま目を閉じる。
そんな毎日だった。
*
「——レイ! 起きなさい!!」
がばっと布団を剥がされ、冷たい空気が一気に入り込む。
「うわっ、寒っ……!」
「寒いじゃないでしょ! 何時だと思ってるの!」
視界に入ったのは、腕を組んで仁王立ちしている姉・奏音の姿だった。
「目覚まし鳴ってたでしょ!? 何回目よこれ!」
「……覚えて、ない……」
「でしょうね!」
呆れたようにため息をつきながらも、カーテンを開け、洗濯物を片付ける手際は慣れたものだ。
「ほんと、受験生の自覚ある?」
「ある……つもり……」
「“つもり”じゃダメなの!」
口ではそう言いながら、朝食はきちんと用意されている。
両親は仕事で既に家を出ていて、朝のこのやり取りが日常だった。
「ほら、早く食べて。遅刻するわよ」
「……はい」
トーストをかじりながら、テレビのニュースをぼんやり眺める。
奏音は世話焼きで、口うるさいけど、嫌いじゃない。
——むしろ、ありがたいと思っている。
「修学旅行、もうすぐでしょ」
「うん、富士山」
「山なめないでよ? あんた絶対ふざけるタイプなんだから」
「しないって」
「どうだか」
じっと睨まれ、視線を逸らす。
「……ちゃんと気をつけるから」
「“ちゃんと”ね。約束よ」
その言葉を、軽く返事して家を出た。
*
学校では、テストの空気が漂っていた。
「やべぇ……今回マジで無理」
隣の席で、只野悠——通称ハグリッドが頭を抱えている。
「それ毎回言ってるよな」
レイが言うと、後ろの席から高野靖幸——ヤスが笑った。
「でもゲームの話になると急にIQ上がるんだよな、こいつ」
「そりゃあな!」
答案用紙が配られ、ため息があちこちから聞こえる。
レイもペンを持つが、問題文が頭に入ってこない。
(……これ、意味あんのかな)
そんな考えが浮かんでしまう自分が嫌だった。
テストが終わり、解放感に包まれた教室。
ホームルームで、担任の宮崎チヒロが前に立つ。
「はい、じゃあ連絡事項ね。来週はいよいよ修学旅行です」
ざわっと教室が湧く。
「富士山登山がメインになります。体調管理、しっかりしておくこと」
レイは机に肘をつき、窓の外を見る。
(修学旅行か……)
どこか他人事だった。
*
修学旅行当日。
「ほんとに気をつけなさいよ」
玄関で、奏音が念押しする。
「はいはい」
「“はいはい”は禁止!」
「……気をつけます」
ようやく納得したように頷く姉に手を振り、家を出た。
バスの中では、いつものメンバーで固まる。
「なぁレイ、富士山でさ、あの回避モーション真似しようぜ」
「やめとけって」
「絶対先生に怒られるやつじゃん」
笑いながら、登山道を進む。
空気は冷たく、景色は綺麗だったが、正直それどころじゃない。
「……疲れた」
「お前、体力なさすぎ」
ハグリッドに笑われる。
少し先で、先生たちが注意を促している。
足場は湿っていて、霧が出始めていた。
「なぁ、ちょっとだけだって」
レイはふざけて、ゲームの回避動作を真似しようとした。
——その瞬間。
足元が、抜けた。
「……え?」
視界が一気に傾き、身体が宙に浮く。
耳鳴り。
風の音。
姉の声が、頭をよぎる。
――気をつけなさいよ。
「……あ」
そのまま、レイは落ちていった。
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