モンスターハンタートラベル

@beginner_travel

第1話 現実からの滑落

レイは今日も、モニターの前に座っていた。


 時計の表示は深夜一時を回っている。

 本来なら、机の上に広げられているはずの参考書は、ベッドの端で不貞腐れたように閉じられたままだ。その代わり、机の中央を占領しているのは、起動したままのパソコンと、コントローラー。


「……よし、これで揃った」


 画面の中では、巨大なモンスターが崩れ落ち、素材取得の文字が表示される。

 レア素材。今日の目標だった。


 達成感に息を吐き、背もたれに体を預ける。

 指先は少し痺れているが、不快ではない。むしろ心地いい。


 ——現実のことを考えなくて済むから。


「……勉強、やるつもりだったんだけどな」


 誰に聞かせるでもなく呟いて、苦笑する。

 高校三年。受験生。

 その肩書きが、最近やけに重い。


 将来の話をされるたびに、胸の奥がざわつく。

 やりたいことがないわけじゃない。ただ、“現実”でやりたいことが見つからないだけだ。


 ゲームの中では違った。


 努力は数値で返ってくるし、強くなればちゃんと敵を倒せる。

 何より、明日どうなるかわからない不安に押し潰されることはない。


「俺もハンターとして生きていけたらな……」


 モンスターを狩って、装備を作って、強くなって。

 悩みも、勉強も、進路もない世界。


「……無双できるし」


 自嘲気味に笑って、電源を落とす。

 布団に潜り込み、天井を見上げたまま目を閉じる。


 そんな毎日だった。



「——レイ! 起きなさい!!」


 がばっと布団を剥がされ、冷たい空気が一気に入り込む。


「うわっ、寒っ……!」


「寒いじゃないでしょ! 何時だと思ってるの!」


 視界に入ったのは、腕を組んで仁王立ちしている姉・奏音の姿だった。


「目覚まし鳴ってたでしょ!? 何回目よこれ!」


「……覚えて、ない……」


「でしょうね!」


 呆れたようにため息をつきながらも、カーテンを開け、洗濯物を片付ける手際は慣れたものだ。


「ほんと、受験生の自覚ある?」


「ある……つもり……」


「“つもり”じゃダメなの!」


 口ではそう言いながら、朝食はきちんと用意されている。

 両親は仕事で既に家を出ていて、朝のこのやり取りが日常だった。


「ほら、早く食べて。遅刻するわよ」


「……はい」


 トーストをかじりながら、テレビのニュースをぼんやり眺める。

 奏音は世話焼きで、口うるさいけど、嫌いじゃない。


 ——むしろ、ありがたいと思っている。


「修学旅行、もうすぐでしょ」


「うん、富士山」


「山なめないでよ? あんた絶対ふざけるタイプなんだから」


「しないって」


「どうだか」


 じっと睨まれ、視線を逸らす。


「……ちゃんと気をつけるから」


「“ちゃんと”ね。約束よ」


 その言葉を、軽く返事して家を出た。



 学校では、テストの空気が漂っていた。


「やべぇ……今回マジで無理」


 隣の席で、只野悠——通称ハグリッドが頭を抱えている。


「それ毎回言ってるよな」


 レイが言うと、後ろの席から高野靖幸——ヤスが笑った。


「でもゲームの話になると急にIQ上がるんだよな、こいつ」


「そりゃあな!」


 答案用紙が配られ、ため息があちこちから聞こえる。

 レイもペンを持つが、問題文が頭に入ってこない。


(……これ、意味あんのかな)


 そんな考えが浮かんでしまう自分が嫌だった。


 テストが終わり、解放感に包まれた教室。

 ホームルームで、担任の宮崎チヒロが前に立つ。


「はい、じゃあ連絡事項ね。来週はいよいよ修学旅行です」


 ざわっと教室が湧く。


「富士山登山がメインになります。体調管理、しっかりしておくこと」


 レイは机に肘をつき、窓の外を見る。


(修学旅行か……)


 どこか他人事だった。



 修学旅行当日。


「ほんとに気をつけなさいよ」


 玄関で、奏音が念押しする。


「はいはい」


「“はいはい”は禁止!」


「……気をつけます」


 ようやく納得したように頷く姉に手を振り、家を出た。


 バスの中では、いつものメンバーで固まる。


「なぁレイ、富士山でさ、あの回避モーション真似しようぜ」


「やめとけって」


「絶対先生に怒られるやつじゃん」


 笑いながら、登山道を進む。


 空気は冷たく、景色は綺麗だったが、正直それどころじゃない。


「……疲れた」


「お前、体力なさすぎ」


 ハグリッドに笑われる。


 少し先で、先生たちが注意を促している。

 足場は湿っていて、霧が出始めていた。


「なぁ、ちょっとだけだって」


 レイはふざけて、ゲームの回避動作を真似しようとした。


 ——その瞬間。


 足元が、抜けた。


「……え?」


 視界が一気に傾き、身体が宙に浮く。


 耳鳴り。

 風の音。

 姉の声が、頭をよぎる。


 ――気をつけなさいよ。


「……あ」


 そのまま、レイは落ちていった。

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