30分後の席

@Ringoringo1

第1話

その席に座ると、

他人の「30分後」が見える。


遠山恵は、いつの間にか

通勤バスの最後尾、右側の席に座るようになっていた。

残業続きの夜ほど、身体が自然とそこへ向かう。


未来は、はっきりとは見えない。

突然、視界に割り込んでくる、ぼやけた映像だ。


スマホを落とす人。

駅で誰かと別れる人。

何事もなかったように、日常に戻っていく未来。


——見なかったことにしてきた。


その日、不破慎一が乗ってきた。

どこか影のある表情の会社員。

週に何度か、同じバスに乗る男だ。


彼は一瞬、その席を見たあと、

何も言わず、恵の隣に立った。


譲られたのだと気づいて、

恵は小さく息を呑む。


視界が、歪んだ。


暗い廊下。

不破が誰かの胸ぐらを掴み、怒鳴っている。

震える拳。

殴りかかる直前で、未来は途切れた。


——見てはいけない未来だった。


翌日、会社で不破を見かけた。

昼休み、同僚たちが雑談をしている。


誰かが、笑いながら言った。


「未来がわかれば、楽なのにな」


軽い冗談だった。

その場にいた全員が、笑っていた。


不破だけが、笑わなかった。


その表情から、すっと血の気が引いていくのを、

恵は見てしまった。


この人は——

未来を知ることで、かろうじて自分を保っている。


そして、

その未来に、縋っている。


夕方、廊下で声が荒がった。

昨日、見た未来と同じ空気。


恵の身体が、考えるより先に動いた。


「お願いだから、やめて!」


叫ぶつもりなんてなかった。

けれど、声は震え、廊下に響いた。


不破の拳が止まる。

驚いたように、恵を見る。


言葉は、交わされない。


ただ、ゆっくりと、

彼は手を下ろした。


その夜、また同じバスに乗った。

二人は、少し離れて座る。


視線は合わない。

けれど、同じ方向を見ている。


恵は思う。


未来は、

一人で見るものじゃなかった。

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