時雨

 傘は忘れた。


 止むのを待つ。

 小雨。

 僕はただ待つだけ。


「そう言えば」


 なんて言ってみたけど、別に思い出すこともない。


 退屈なのだけど、日々の退屈よりかは幾分かマシで、周りの風景が澄んで見えるような。


 深く暗い空、硬い地面、薄らと光を与える街灯、そしてそれを反射する微かな雨粒……


 こんなにも、世界は美しいのだけど、僕たちは見ることをしない。

 それも、そのはずで、見たくないものだってあるのだから。人間なのだから。


 人は視力を失ってしまうが、見ることを諦めない限り、見ることはできる。

 見ることを諦めたら、見えなくなる。


 そっと目を瞑り、バス停の屋根が弾く雨音を聞いてみる。


「  」


 雨は、屋根にぶつかり、音を立てて弾ける。その一連を細かく聞くことはしない。


 雨音のペースは、早くなったり遅くなったり、まるで僕の心を弄ぶような。



 雨。


 気が付けば、僕の前にバスは止まる。


 ただ、僕は雨が止むのを待っているだけで、バスを待っているわけではないわけで。


 それでも、僕はバスに乗る。

 行く宛ては分からないけれど、乗ってみる。


 夜が明けて、窓を伝う雫がいつの間にか無くなって、空は蜜柑のような色をしている。


 前がどっちか分からないけれど、足を進めてみる。

 また雨が降った時はバスに乗ればいい。


 退屈から逃げるため。


 逃避行のような旅をしてみようって思って。


 僕の気持ちはただの、時雨。

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