第3話 臨界点

 場所は変わり、第3実験室。

 無機質な白壁に囲まれたその部屋は、処刑場よりも冷たく、そして屠畜場よりも生臭かった。

 部屋の中央、冷え切った鋼鉄の拘束台に、ルーナは磔(はりつけ)にされていた。

 華奢な四肢は革ベルトで締め上げられ、白い肌には無数の吸盤型電極と、血管に直接突き刺さる太いカニューレが接続されている。

 実験の目的は、魔導アーマーの新型動力コアへの「直結テスト」。

 通常ならばクリスタルなどの安定した触媒を通して抽出する魂気を、生きた人間の肉体から――フィルター無しで直接、機械の心臓部へ流し込む。それはもはや実験という名の、緩慢な殺戮だった。


「接続プロセス開始。セーフティは解除だ。出力最大まで上げろ」


 防弾ガラスの向こうで、ガルドが紅茶を啜りながら無慈悲に命じた。

 研究員が躊躇いがちにレバーを倒す。

 ヒュンッ、と空気が鳴り、送電ケーブルが脈打った瞬間だった。


「あぁ……、ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 少女の絶叫が、防音壁を震わせた。

 ルーナの細い体が弓なりに跳ね上がる。拘束された手足が、千切れんばかりに暴れた。

 刺し込まれたカニューレを通して、彼女の命そのものである魂気が、無理やり引きずり出されていく。それは全身の血液を沸騰させながらポンプで吸い上げられるに等しい激痛だ。

 透き通るような銀髪が、逆流するエネルギーで帯電し、バチバチと火花を散らして宙に舞う。


「いいぞ……! 見ろ、この数値の跳ね上がり方を!」


 モニターに映る異常な波形を見て、ガルドは恍惚とした表情で唇を舐めた。


「素晴らしい効率だ! これなら一個師団を動かせるぞ! 壊れるまで回せ、最後の一滴まで絞り尽くせ!」

「あうッ……や、め……! 助け……て……ッ!」


 ルーナの瞳から光が失われていく。

 喉が裂けそうなその悲鳴は、ガラス越しのイグニスの鼓膜を叩き、そして脳髄の奥底にある古傷を強引にこじ開けた。


 ――フラッシュバックする記憶。


 冷たい床の感触。視界を覆う鉄格子。

 『検体番号9、反応良好』『もっと電圧を上げろ』『泣くな、道具の分際で』

 自分の体に管を繋がれ、化物扱いされ、ただ消費されるのを待つだけの実験動物としての記憶。

 痛み。孤独。絶望。

 あの時、誰も助けてはくれなかった。誰一人として、自分を人間としては見てくれなかった。


 ――そして今、目の前で、同じことが繰り返されている。

 

 ドクン、とイグニスの心臓が早鐘を打った。

 違う。これは心拍ではない。

 体内で圧縮され続けてきた『魂気』が、主人の殺意に呼応して臨界点を超えた音だ。

 全身の血液がマグマのように熱くなり、視界が真っ赤に染まる。

 俺たちは、燃料じゃねぇ。

 俺たちは、薪でも、燃えカスでも、貴様らのオモチャでもねぇんだよッ!!

 ブツン、とイグニスの中で理性のヒューズが焼き切れた。


「……止めろ」


 低く唸るような声。だが、それは地獄の釜の蓋が開く音に似ていた。

 ガルドが不快そうに振り返る。


「あ? 何か言ったか、燃えカ――」


 その言葉は、永遠に完結しなかった。

 轟音。

 いや、それは爆発音だった。


「ギャァッ!?」


 イグニスの全身から衝撃波のような熱気が噴出する。

 彼は目にも止まらぬ速さで背中の大剣を引き抜くと、まるで紙切れでも薙ぐように、横の分厚い防弾ガラスを粉砕した。

 飛び散る破片。悲鳴を上げる研究員たち。

 イグニスはそのまま実験室へ踏み込み、スパークする制御盤へ向かって大剣を振り下ろした。


「そのふざけた機械を止めろと言ったんだぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 ズドォォォォォンッ!!


 鉄塊がひしゃげ、回路が爆ぜる音が重なる。

 一撃のもとに制御盤は粉砕され、実験室は闇と、非常用赤色灯の禍々しい明滅に包まれた。

 エネルギーの供給が絶たれ、ルーナの体がガクリと力を失う。

 イグニスは噴き出す蒸気の中、鬼神の如き形相で拘束台へ駆け寄った。

 その手甲は高熱で赤熱し、触れるものを焼き焦がすほどだったが、彼は躊躇わなかった。

 ルーナの手足を縛る分厚い革ベルトを掴むと、獣のような咆哮と共に、素手で引きちぎる。


 ブチィッ!


「……っ、は、ぁ……」


 拘束を解かれたルーナが、崩れ落ちるようにイグニスの胸へ倒れ込む。

 イグニスは反射的にその細い体を受け止めた。

 ボロボロの実験着越しに伝わる体温は、驚くほど冷たく、そして壊れそうなほど儚かった。

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