本作は、劇的なシーンは一切ありません。
しかし、講義、新歓、帰宅、駅の遅延といった日常の細部の積み重ねが、現実に生きる私たちの映し鏡であり、「リアリティのある劇」でしんみりと来ます。
隣に荷物を置く癖、料理ばかり見てしまう視線、気遣われることすら居心地の悪さになる感覚。
そうした描写が細やかかつ的確で、主人公の孤立が説明ではなく肌感覚として伝わってきます。
後半、部屋の明かり、充電されていない携帯、一本逃した電車など、現実の手触りが少しずつ崩れていき、そして最後には「警笛がうるさい」と、孤独の話が一気に不穏へ反転する。
静かな文体のまま、「田沢弘樹」の名前だけがそこに残る、束縛されない読後感がある一作でした。