これは怪異ではございません

大隅 スミヲ

第1話:陸の孤島と「未知」の捕食者

 その家は、東京の境界線、宅地開発の波が力尽きてしまったかのように途切れた場所に存在していた。


 周囲を広大な休耕田とあるじを失い枯れ果てた畑に囲まれ、隣家とはあぜ道を挟んで数十メートル離れた場所。夜になれば街灯の明かりも届かず、虫や蛙の鳴き声だけ聞こえてくるような閑静な場所。その闇の中にポツンと残されるその一軒家は、さながら陸の孤島だった。


 築年数は四十年を超えているであろう木造の建物。敷地はかなり広く、昔ながらの農家といった感じで母屋と離れが存在していた。しかし、庭木の手入れは何年もされていないようで、雑草が生い茂り、何年も動かしていないと思われるボディの錆びた軽トラックが放置されたように置かれていた。


 発見が遅れた理由。それは明確であった。誰もこの家には近づきたがらないのである。第一発見者となった数十メートル離れた場所にある隣家に住む老夫婦がその異変に気づいたのも、偶然であった。


 敷地の前を通りかかった時、妙な臭いがした。それは明らかに腐敗臭だった。そして、その臭いの正体に気付いた老夫婦が駐在署に駆け込んできたのだった。



「これは酷いな……」


 警視庁捜査一課、特別任務捜査係の仁藤にとうは、使い捨てマスクを二重に重ねた顔をしかめてみせた 。


 居間の畳の上には、もはや人間としての形を失ったふたつの肉塊が転がっていた。おそらく、この家に住む老夫婦なのだろう。損傷は激しく、全身は鋭利な刃物などではなく、原始的な獣の牙のようなものによって裂かれたような噛みあとが刻まれていた。さらに不気味なのは、部屋の神棚が叩き壊されており、供え物が食い荒らされたように散乱している点であった。


「これをどう思いますか、仁藤警部補」


 そう尋ねてきたのは口元をシルクのハンカチで押さえながら銀縁眼鏡の奥で好奇心に満ち溢れた目をランランと輝かせている細面の男だった。彼は、特任捜査係の設立者であり、捜査一課管理官でもある、土御門つちみかど警視正であった。土御門はキャリア組というエリートの身でありながら、現場に出ることにこだわっているちょっと変わった男である。


「と、言われますと?」

「これですよ、これ。この凄惨な光景こそが、我々人類がまだ解明していない『未知』への入口なのです。古くはジャージー・デビルやチュパカブラの名前があげられますが、そんな未確認生物なんてものは日本には存在いない。これは日本独自のUMAの仕業に違いありません」

「管理官、先ほど機捜きそうが近所の住民から聞いた話では、『狗神いぬがみの呪い』じゃないかっていう噂もあるみたいですよ」


 仁藤が投げやりに応じると、土御門は芝居がかった仕草で首を横に振った。


「狗神ねえ。確かにこの地域では狗神の祟りを信じている風習があるみたいですね。しかし、そんなものはオカルトマニアたちの発想ですよ。私たちはもっと科学的で、それでいて刺激的な『未知』なるものをみているのです。いいですか、仁藤警部補。これはUMAの仕業ですよ。Unidentified Mysterious Animal。そう未確認生物なのです」

「ゆ、ゆーまですか?」


 聞き慣れない言葉に仁藤は聞き返してしまう。


「はい。これはUMAによる捕食の痕跡です。この東京郊外の死角に人知れず独自の進化を遂げてきた新種の肉食目がいるのです。それはまだ未知なる存在であり、学者たちですらもまだ知らない存在なのです。もしくは、環境の変化によって凶暴化した未知なる変異体なのかもしれません」

「あの、管理官。お言葉ではありますが、この家は内から鍵がかけられており、密室でした。何か動物のようなものが入ってきて家人たちを食って逃げたとして、鍵をかけて逃げたというのは少々難しいかと……」

「わかっていませんね、仁藤警部補。UMAにとって密室などという条件は、問題ありません。UMAは我々の既知の生物学では計り知れない能力を持っている可能性があるのです。だから、密室などはUMAの前では無意味なのです。この事件の戒名かいみょうは『東京郊外地区における未確認生物による捕食事件』というのはどうでしょうか」


 土御門は早口で捲し立てるようにして、仁藤に告げた。戒名というのは、捜査本部の名前のことだった。戒名は捜査本部となる会議室の入口に看板として掲げられる。それを警察隠語では戒名と呼んでいるのだ。

 その後も土御門は酔っているかのように仁藤に対して熱弁を振るっていたが、その熱弁を妨げるかのように背後から冷ややかな足音が近づいてきていた。


「管理官、戯言もそのくらいにして、そろそろちゃんとした捜査をはじめませんか」


 聞こえてきた言葉に仁藤はぎょっとして思わず声のした方へと視線を向ける。

 そこに立っていたのは、パンツスーツ姿の若い女だった。彼女の名は倉橋スミレ。階級は仁藤よりも下の巡査部長である。そんなスミレが四階級も上である警視正の管理官に対して『戯言』などということが許されるわけはなかった。


「おい、倉橋っ!」


 慌ててスミレの暴言を止めようとした仁藤であったが、スミレは黙ることはなくさらに言葉を続ける。


「そもそも、なんですか『未知なる生物』って。これは殺人事件です。我々の仕事は犯人をあげることでしょう」


 スミレはそう言うと、現場に落ちている毛髪や繊維片、そして血痕の飛び散り方などを冷静な目でみつめ、そして死体の側に膝をついて首筋に残された異常な形状の「噛み痕」を凝視した。


「確かキミは平安時代から続く陰陽師の家系だったね、倉橋巡査部長。キミのような世俗離れした出自の人間なら、これが怪異であるということに気づかないわけがないだろう。キミは仁藤警部補の言う狗神と私の持論であるUMAのどちらが犯人だと思うのかな」


 土御門は不敵に笑いながら、しゃがんでいるスミレのことを見下ろした。しかし、スミレは感情を一切動かさず、能面のような無表情のまま、静かに立ち上がった。


「これは怪異ではございません。ましてや、管理官の仰るような未知の生物の仕業でもありません」


 スミレの視線は、現場となった母屋から数メートル離れた場所にある、蔦に覆われた倉庫のような建物へと向けられていた。

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