26.脅威

「何事だ!」


お爺様が声を張り上げる。音がした方を見やれば、どす黒い瘴気が溢れかえっていた。

グルルという獣の唸る声が人の悲鳴の隙間から聞こえた気がする。


「……魔獣!?なんで、こんな所に……」


魔獣。瘴気を放ち、穢れをばらまく世界の膿。聖女の不在の今、その存在を抑制する術はほとんどないが、聖樹と聖龍のお陰でその出没範囲は絞られていた。少なくとも王都のこんな場所に魔獣が出るなんて話は聞いたこともない。


それは、獣だった。

歪んだ四肢。異様に長い爪。濁った瞳が、獲物を探すようにぎょろりと動く。そして―――明確に、私を捉えた。

その視線には、獣特有の飢えも殺意もなかった。ただ何かを探すような、執着だけがあった。

1歩それだけだった。魔獣が私に向かって近づく。ゾクリと悪寒が走る。私はカタカタと震えることしか出来なかった。逃げなければと思うのに、足が床に縫い止められたみたいに動かない。


だが、その獣がそこから動くことはなかった


フロスト


誰よりも迅速に動いた父様が魔獣をその場に氷漬けにしたのだ。ふわりと浮かび上がった父様は標的を定め魔術を放つ。結われた長い黒髪が綺麗な蛇のようにうねっていた。


「私のいる場に現れたのが運の尽きだったな」


そう言って父様は裁きを下すかのように手を振り下ろす。

魔獣は断末魔と共に真っ二つに割れた。


グロい内蔵物が辺りに飛び散り、事態が収束したというのに悲鳴は止まなかった。

それに瘴気は消えた。確かに消えたはずなのに、胸の奥に残るざらつきだけは、拭えなかった。これが穢れ、だろうか。




幸い怪我人は出なかったようだ。パーティはすぐにお開きとなった。

そして、穢れに近づいたということで浄化を執拗に求める声が上がった。一部の人は駆けつけた聖殿の祈り子の浄化を受けていた。


「嘆かわしい」


お爺様のその声には、怒りよりも疲労が滲んでいた。


「イーサリオンの敷地内でこのような事が起こるとは」


イレギュラーに対応しゲスト達を送り出したお爺様は夕食の場にくたびれた様子で現れた。


「ごめんねカノン。せっかくのお披露目がこんなことになって」

「父様に謝られる事じゃないです」


「穢れは大丈夫かい?」と問われ私は現場から遠かったのでと返す。父様も対応に追われていたのかどこか疲れた様子だ。


「聖殿の祈り子様が言うには、誰かがあの場に穢れの核を持ち込んだという……何者かの陰謀だな」


何者かの陰謀。その言葉を聞いてカノンは食事の手を止めた。


私は気づけていたのに……防げなかった。


あの違和感たちは全て穢れの感覚だった。私は違和感を放置すべきではなかった……。

グッと手に力が入る。


「会場の穢れは王都にいる祈り子ではどうしようもないらしい。後日聖都より、高位の祈り子様をお迎えして浄化いただく。そのつもりでいるように」

「祈り子……」


祈り子。教会に所属する、浄化の力を持った貴い人々。

その分様々な制限を課される。


そっとクレイトニーばぁちゃんの教えを思い出す。


『祈り子は神聖なだけの存在じゃない。世界のために身を捧げる、生贄みたいなもんさ。穢れを貯めて寿命も短くなるし、教会に行けば子を作る道具にされるのが関の山だ。そんな浄化をしなくても祈りさえ、祈りさえあればいい。とくにあたしらはね』


……穢れを判別できるこの力は隠すべきものだ。私は祈り子になりたくはない。


世界の浄化などもう不可能なのだから。

人間の最大の罪―――聖女を殺してしまったことで。

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