異世界移住パッケージ~保証付きスローライフだと思っていたら拾った男が訳アリでした

水月A/miz

第1話 THEN その時,あの頃

拝啓

 紅葉の美しい季節となりました。

 そちらはお変わりなくお過ごしでしょうか?

 さて、このたび思い立って、田舎暮らしを始めました。

 当地は大自然に抱かれ、山の珍味に恵まれた土地柄です。

 何よりもお水が美味しいです。それから天然温泉も!

 いつかこの光景をお見せしたいです。


 って、見せるわけないし!

 ばーかばーか!

 ……。


◇◇◇


 ユウは、いささかこの部屋には似つかわしくない無機質なボールペンを、木目が綺麗なテーブルに転がし頬杖をついた。

 昨晩から降り始めた大雨は翌日になっても止む気配が無く、窓外を滝のように水が流れ落ちている。ひさしを長く延長してもらって正解だったなあ、と思いながら、そろそろ戻ってくるであろう同居人の為に、温かいお茶を淹れようと腰を上げたタイミングで、玄関扉が開いた。


「凄く良い香りがする」


 雨に濡れて顔面凶器度を何割増しにもさせた同居人が、ユウに視線を流した。紫紺の瞳は数日前まで見え隠れさせていた懐疑的な空気を完全に消しているようにも見える。とはいえ、相手はなんといっても素性も知らないうえ、武器を振るう他人さまだ。ユウは少し緊張していた自分を鼓舞するよう、努めて明るく答える。


「ちょうど焼きあがった所! 雨凄かったでしょう? 用事は済んだんですか?」

「明日には雨も止むだろう。エオルトリアの天候が荒れるってあまり聞いた事無いからな」

「ふうん? こっちに来てから雨の日多いイメージだけど」


 焼きあがったばかりのパウンドケーキは、ふんわりとしていてカカオっぽい香り。

 新鮮なミルクから作った生クリームを添えて。

 お茶はレモングラスにも似ている風味のパーペルにする。


 二人が向かい合って腰掛け、午後のティータイムを共有するようになって今日でちょうど二週間。ユウがこちらの世界に来てからはおよそ一カ月半である。だいぶ充実してきた食生活に頬も緩む。


 このまま、もうここに居てもいいかなあ。とも思っちゃうんだよなあ……。


 パウンドケーキを美味しそうに口に運ぶ同居人の絹糸のような白金髪を眺めながら、ふとそう思った。

 不意に同居人が顔をあげた。フォークはまだ口元のまま。紫紺の瞳が、何、と問う様に開かれる。


「お味は?」


 ユウの問いに、暫し余韻をもたせると、彼は甘やかな笑みを浮かべて「最高」と答えた。



◇◇◇



 東京で気象観測史上幾日目という記録的な真夏日が続いていたその日、営業外回りのほんの隙間の時間。ふとウィンドウに映る広告の一文にユウの目が留まった。


【Iターン転職のススメ!】

 独立や起業をしたいと思っている貴方!

 経済資源や助成金など、移住者向けの優遇制度も充実!

 文化・生活様式・人間関係も魅力的!


 そのほかにもずらずらと、ユウの現状とはまるで正反対の言葉が続いている。曰く、通勤ラッシュからの開放。曰く、豊かで健康的な生活。曰く、月にかかる生活費が安い。


 働き方改革の波に乗り、ユウの勤める会社でも、残業の減少、フレックスタイムの充実、育休・産休の取得、そしてリモートワークの導入と、社員が働きやすい制度を導入されてきていた。が、しかし中々その枠からはみ出してしまう職種もある。育休・産休やフレックスはともかく、営業職の彼女にとって全ての業務をリモートワークで行う事は難しい。


 動画ツールを利用した遠隔地との会議や、クライアントとの打ち合わせ程度なら可能とはいえ、やはり営業職は、人と人とが顔を合わせて行うのが常であった。勿論いずれはその形式も、形を変えていくのかもしれないけれど。


 このように茹だる様な暑さの日にスーツを着込み、ストッキングを身に着けヒールで出歩くのは、地獄以上のなにものでもない。エアコンをがんがんに効かせた自室で作業できるならば最高なのだが、そうもいかないのが現実である。


 部署移動した同僚の業務も引き継いだため、その取引先回りへの挨拶を終え、会社に戻り、それから自宅に帰ったのは二十一時を過ぎ。週末前だというのにどこかに寄りたいと思えるほどの体力が残されていない。


『やっぱり、今週は難しそう。仕事詰まってて』


 昼頃届いた一言だけのメッセージに既読をつけたまま、結局返事が出来なかった。

 学生時代から付き合っていた恋人とは、社会人になってからすれ違う事が多い。もう五年の付き合いになるのだから、今更別に毎週毎週デートをしたいという訳でもないが、数か月前にユウの耳には大学時代の友人からのちょっとした情報が飛び込んでいた。


 どうやら、別の女の影があるらしい。


 あーあ、別れたいなら、そう言ってくれればいいのに。


 と、他人任せな言い訳を重ね、結局自分は逃げている。

 もしかしたら、そろそろ結婚しちゃったりして、と思っていた矢先の情報だった。


 コンビニで適当に胃を満たしてくれそうな物を買い、待つ人も誰も居ない暗い部屋に辿り着いた時には、疲労も最高潮である。


 実家住まいだった先週までは、通勤に今よりも時間がかかっていたとはいえ、帰宅したら母親が作ってくれていた夕飯が待ち受けており、その日着た物は何も考えずに洗濯機に放り込んでいた。が、会社までの通勤時間を短縮するために引っ越したこの家は、当然だがユウしか住んでいない。


 新社会人となって三年三カ月目という中途半端な時期の引っ越しとなった。

 実は、お互いに時間の都合をつけ辛くなっていたくだんの恋人と同棲しよう、という話が、ふんわりと出ていたのである。しかし、二人で住めそうな広さの部屋を探してこちらから提案しても、色好い返事がずっとない。


 結局、通勤時間を理由にして、実家を出た。気分転換したかったのもある。そうしたら恋人には「勝手すぎる」と怒られた。


 新居で過ごすのは今日で六日目の夜。

 荷解きは半分しか済ませておらず、部屋の隅には段ボールがまだ積みあがっている。


「この土日で片付けなくちゃ」


 独り言は、まだラグも敷いていない床に溜息とともに落ちる。


 室内の大きな家具といえば足つきのベッドマットレスだけで、注文していたソファが届くのは来週。一人暮らしを始めた事に対して、理不尽な彼の反応。流石に察する。このまま、自分が返事を遅らせて、だんたんと向こうから届けられる返事にも時間がかかって。


 そんな未来について想像した瞬間『別れましょう。今までありがとう』と短い文面を打ち込み、送信した。


 シャワーを済ませて部屋着に着替えると、温めたパスタとペットボトルのお茶を手にマットレスに座る。テレビもない為、無音状態だ。メッセージはどうやら読まれたようで既読の印。だが、返信は無い。


 勢い余ったかなと後悔の念がわいて出てきて、そんな感情を宥めるように、タブレットで適当に動画を流した。


 画面の最下部に『田舎暮らし体験』という広告が見える。ユウはその文言に引かれるまま指でタップする。


 画面には白いビーチに木製ハンモックが目の前にある海辺のコテージが大きく映しだされていた。


「二人で旅行行ったのって、いつだっけ……もう一年以上前かも」


 続けて、大平原にぽつんと立つ白壁の家。遠くには羊らしき白い塊がぽつぽつと見える。それから、鮮やかな緑の木々に囲まれた石造りのコテージ。建物の真後ろに滝が流れ落ちており、どことなく童話的な光景だった。雪原のログハウス。荒野にある隠れ家風の家。


 いくつかの光景がランダムで流れ、最後に『あなたにおススメの移住プラン診断』という項目が出る。


『今の生活に満足していますか?』

 ――たぶん……満足していない。

『田舎暮らしに興味はありますか?』

 ――考えた事もない。

『海が好きですか?』

 ――NO……カナヅチだし。

『山が好きですか?』

 ――NO……山登りはちょっと苦手。というか運動自体苦手。でも滝を見るのは好き。

『伐採・加工、罠猟、案内、研究、環境保護。いずれかに興味はありますか?』

 ――唐突すぎる。イメージ沸かない。

『もしも無人島に持っていくとしたら、何を持っていきますか? 5択です』

 ――食料、ナイフ、スマホ、大切な人、魔法。


「魔法ってなに魔法って」


 一人暮らしになって、独り言が増えたと思う。

 思いのほか大きな自分の声に驚いて口を片手で塞ぐ。心理テストの類も兼ねているのかもしれない。謎の選択肢にまんまと釣られるようその二文字に指で触れると画面が切り替わった。


『移住パッケージ プランTがおススメ!』


 先程、何点か画面に映った画像の中の一つ。少し印象的な石造りの建物である。脇には小さな畑がついており、家の前は広めのデッキテラス。木製の丸テーブルと椅子が見えた。


『パッケージプランTは、本格的に移住する前のお試しプランです。ちょっとだけ田舎暮らしを体験してみたい貴方に期限付きのプランをご提案致します。畑・温泉付の建物キットにくわえ、室内の備品はご自由にお使いください。湧水の為光熱費もかかりません。期間中どう生活するのかは、すべて自由です! 期限後、気に入っていただけた場合はそのまま永住も。また、イメージと違う場合は別の土地を再度ご提案させていただきます』


 PDFデータのダウンロード画面が提示され、なんとなく保存しておいた。特に何も考えず。

 それが昨晩の話。



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