汚部屋はキャリアウーマンの勲章です!~2Kの自室が異世界と繋がったら、目の前に半裸(?)を叱るイケメン騎士様が現れ、期間限定の強制同居生活がはじまりました

水月A/miz

第1話 彼女の週末、彼の休暇①

 珍しく終電に間に合ったものの、よくよく考えると間に合わなかった方が良かったのかもしれない。

 

 金曜日の終電の混み具合と云ったら。

 呼吸もままならないあの密室空間。

 くわえて季節は盛夏。


 誰のものともわからぬ湿った肌と、密着していた事をふと思い出し、凛子は半目になりながら、高いヒールを玄関で脱ぎ捨てる。靴は揃えるものである。という概念は、疲弊しきった彼女には最早なく、さらに玄関口でストッキングまでもを脱ぐと、そのままそこに放置して、壁のスイッチへと手を伸ばした。


 蛍光灯の白い光が、明滅したのち、パチンという不可思議な音をさせ、消える。

 刹那、浮かび上がった廊下はいつもの光景だったのだが、彼女は盛大に溜息を吐いた。右手に持つコンビニ袋が、がさりとむなしい音を立てる。足元の障害物をなるべく避けるように探り探り前へ進むと、ややしてリビングへと続くドアへとたどり着いた。


 リビングといっても大した物では無い。八畳程の広さをした部屋が縦に二つ並んでいる為、手前の部屋にテレビやらソファやらを置いてリビング風に使用しているだけだ。


 正確に言うと1LDKではなく2Kが彼女の住む城となる。

 二つの部屋とキッチン。浴室とトイレ。学生時代に住んでいたワンルームの部屋に、毛が生えた程度の余裕があるレベルの部屋。それが二十六歳となった彼女の、現在の居城である。


 風にあおられて揺れるカーテンの外は闇色をしている。慌しく出勤した朝方から、この部屋の主であるところの彼女が帰宅する今まで、ベッドルームとして使用している部屋の窓は、無用心なことに開けっぱなしだったらしい。小さく肩を竦めて凛子は壁面を指先で探り、スイッチを押す。


 しかし一向に室内に明かりは点らない。そういえば消した時、リモコンで操作したんだっけ? とローテーブルへと手を伸ばす。ばさばさと腕に引っかかって落ちたのは、積み上げられている書類だろう。


 派手に巻き散らかされた事は想像に易いが、然程、気にする事なく、目的のものを探り当てると、気持ち天井にそれを向けた。ピ―と言う軽い電子音を立て、室内は刹那のうちに煩雑な日常を照らし……


 そして、パチンという音と共に、世界を完全に暗転させた。


「あ゛――! イライラする!!」


 疲労が倍に増したような気がする。

 凛子はぼやく様な声を上げてそのまま座り込んだ。よく、家電製品が壊れるのは重なると聞くけれど。帰宅のタイミングでというのは、悲しい。


 珈琲メーカーが壊れたのは一週間前で、エアコンは昨日。冷蔵庫もなんとなくやばいような。つらつらと思い浮かべながらも、いや違うだろ、と首を振った。


 照明がつかないのは、蛍光灯が切れた所為だ。さっさとLEDに変えておけば良かった。引っ越してきてから一度も交換した事がない。ここのところコンビニエンスストアや飲み屋以外の店舗が開いている時間に帰宅した記憶は無く、一人暮らしの超絶多忙なお姉さんの買い物は、専らネットショッピング頼りだった。


「コンビニに蛍光灯って売っていたっけ……また外に出るのは、さすがに面倒だな……」


 もう一度だけ疲れたような溜息を吐いて、ビニール袋へと手を伸ばす。指先が冷たい金属に触れ、彼女は迷うことなくそれを取り出した。プルトップを引き上げ、あおる。単純なことに、喉の奥で弾ける炭酸が、一日の疲労を洗い流してくれるような錯覚に陥る。


 一気にそれを飲み干すと、彼女は気合を入れるように立ち上がり、リビングから続く三畳ほどのキッチンへと向かった。


 だがしかし、信じられない事にキッチンの明かりも弾けるような音を立てたのち消えてしまった。そして二本目の缶ビールを求めて開けた冷蔵庫も、動作していない。


「え……時差式停電?」


 なんとなく嫌な予感を覚えて冷凍室を空けると、ひんやりとした冷気が降りてくる。買い溜めてあるロック氷は、完全な形で鎮座しているものの、あの独特な低い電子音が失われていた。


「さいあく」


 ぶつぶつと呟きながら再び冷蔵庫をあけ、凛子はそのままそこに座り込んで、まだ十分に冷えている缶ビールを飲み干した。


◇◇◇


 以前、旅行をした際に、お土産として配布する為に大量購入したキャンドルが、テーブルの上に並べられている。ゆらめく炎の光が室内に大小の影を落としこむ。


 ソファの影。ダストボックスの影。転がっているカバンの影。何かの空箱の影。いすに引っ掛けられたワンピースの影。ゴミのつまったコンビニ袋の影。なぜか、その近くにトイレットペーパーが二つ転がっている。すぐ下に在る生成りをしたカーペットが茶色い染みを作っていることから、あれを拭こうとしたのかもしれない。と胡乱にそれを眺めながら彼女は考えた。


 クッションの間には、失くした! とこの前から探していたメガネが挟まっている。救出されたメガネはフレームが微妙に歪んでいたが、凛子は構わず目に付くところに置いた。こうして改めて見ると――


「きったない部屋」


 二十代後半に突入した女性の部屋とは、とても思えない。


 高宮凛子たかみやりんこ二十六歳――これでも女性向けファッション雑誌編集者――は、失笑すると、手近にあったクッションを引き寄せ、ごろんと転がった。


 因みに働くお姉さんの戦闘服はとっくの昔に脱いでおり、いまはノーブラにキャミソール、下はパンツ一枚。誰にも見せられない格好だが、ここ2Kの城では彼女が主である。


 ちなみに恋人は社会人になってから居ない。つまり唐突な夜中の訪問に怯える事無く、好きな格好で好きなだけ弛緩している事が可能だ。


 偏った持論だが、汚部屋はキャリアウーマンの勲章だと思う。

 芋虫のように寝転がりながら、スナック菓子をつまみ、三缶目のビールを開けた。だらしが無い事、この上ないのだが、明日は久しぶりの休日だった。


 うっかり夜更かしをしても徹夜になることはなく、それどころか朝寝を存分に楽しめる。平日半休を土日出勤の代わりに当ててきたこの四ヵ月の中では、非常に魅力的な単語がずらずらと脳裏に浮かぶ。


 週末。休日。朝寝。

 昼からビール。

 涼しくなったら買い物。 

 あ、蛍光灯買わなきゃ。

 エアコンの修理もか。

 それに――掃除?


 いやいやそれは日曜日でも良いや。

 明日ぐらい一日怠惰に過ごそう。

 それにしても電気はいつになったら復旧するのだろうか。


 ごろんと体の向きを変えて、カバンの中からスマートフォンを取り出す。キャンドルの炎と比べ物にならない無機質な明りになんとなく安心して、凛子は液晶を撫でた。時刻はまもなく午前二時。帰宅してそろそろ一時間は経つ。なんとなしに顔をあげた先が捉えたのは、玄関へと続く暗い廊下に突如差し込む眩い光だった。


 やっとかよ、と内心で毒づきつつ、次の瞬間には違和感を感じ、凛子は勢いよく起き上がった。妙な、気配。廊下を照らす光はこの部屋のものではなく、玄関の向こうから室内へと漏れてきている。そして、何かの影。凛子は息を殺しクッションを抱きかかえ、目を凝らす。


 強盗か、それとも。


 数日前ニュースで流れた、集合住宅における性犯罪が脳裏を過ぎ、忽ちのうちに嫌な汗が浮かぶ。玄関付近で足を止めていた影がドアが閉まるのと同時に動き出す。探るようにとゆっくり歩みを進める影に、凛子は金縛りにあってしまったかのように固まる体を震わせる。


 そして、影が、廊下とこのリビングの境界を踏んだ瞬間、勇気を振り絞って飲みかけの缶ビールを投げつけた。が、すぐさま体が引き倒され瞬く間のうちに、腕をねじり上げられる。


 何が起こったのか一瞬理解できなかった彼女の視界いっぱいに飛び込んできたのは、侵入者――美麗な顔立ちをした男だった。


「とんだ侵入者だな。イズラルの手の者か?」

「なっ!? なにすんのっ!?」

「――こういった場面で……何をするのか、と問われたのは初めてだ」


 酷薄そうに笑った男が、凛子の顔の横に何かを突き立てる。視界の端が捕らえた炎のあかりに反射して揺れる銀色に、背筋が凍りつく。


「動くな」


 低い男の声に、注意は引き戻され、凛子はえも知らぬ恐怖に身を震わせた。


「さて……」


 額づくように凛子に顔を寄せた男の亜麻色の髪が落ちる。薄い笑みを浮かべていた唇が開き、それからどういった理由か中途半端な形で固まった。青灰色に彩られた瞳は数度瞬きを繰り返し、凛子から視線を外す。そして僅かに身を起こした男は、自身に問いかけるでもなく、言葉を紡ぐ。


「ここは……どこだ」

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