気づけば異世界にいた私の日常

だいたいぶくふく

いつもと変わらないはずの、しかしいつもとどこかが違う日常(1)




 ――はぁ、と軽く息を吐く。



 夜勤明けのぼうっとした頭で、目の前の曇りガラスに意味もなく指を滑らせる。

 曇りが消えたその隙間から、大きめの雨粒がザアザアと窓ガラスを打つのが見えた。


 数分前から外では何度も雷が落ちていて、いまだにゴロゴロという低い音が、バスの中にいてもはっきり聞こえてきた。


 口元まで覆った赤い毛糸のマフラーに顔を埋め、強めの雨音をBGMに、うとうとと眠気に身を任せようとまぶたが落ちる寸前――



 バ――――ン!!!!



「っ!?」


 何かが衝突したような、爆発したような大きな音が響いた。反射的にぎゅっと閉じたまぶたの裏では、ちかちかと眩しい光が数回弾ける。


 どれくらい目をつぶっていたのかは分からない。数分にも思えたし、一瞬だった気もする。心臓は驚きでどくどくしているのに、頭はどこか霞がかったようで、まるで怖い夢から目が覚めた時のような感覚。

 気づけばまぶたの裏の光も収まり、車内では窓を叩く雨音だけが響いていた。


 そっと目を開けて周囲を確認する。右にある曇りガラスには私の指の線の跡。そこから見える大粒の雨。左を見るとドアがある。後ろを見ても前を見ても乗客は私ひとりだけで、車内はがらんとしている。


 うん、何も変わってない。

 あんなに激しい光や音が聞こえていたのに、前方に見える運転手の反応は驚くほど静かだ。バスも何事もなかったかのように走り続けている。


 ……いまのは、夢? 

 不思議に思い首をひねっていると、ちょうど私の降りるバス停の名前がアナウンスされ、慌てて降車ボタンを押した。


 バスが停まって降車口が開いた瞬間、外の冷たい空気がふっと流れ込む。ひやりとした感触が頬にあたり、ぼんやりしていた頭がはっきりしてきた。

 バスを降りる時、いつものようにバスの運転手のおじさんに「ありがとうございます」と声をかける。


「…?」


 いつもなら笑顔を返してくれる運転手のおじさんは、今日は正面を向いたままの顰めっ面で、軽く頷く。

 運転手のおじさんの反応が、少し引っかかった。






--------






 目が覚めると、部屋は薄暗かった。


 布団の枕元のすぐ上に置いてある卓上時計を見ると、午後七時十一分と表示されている。


 今日はバイトが休みだから、まだごろごろしてて大丈夫…。

 布団にくるまったまま今日は何して過ごそうか悩みながらだらだらしていると、ぐぅ、とお腹が鳴った。仕方がないのでとりあえずご飯を食べるために起き上がる。


 雨はすでに止んでいるのか部屋が静かで、とりあえずテレビをつけた。

 床に直置きしているテレビは二十インチと小さめだが、元々テレビを見たいというより静かすぎる部屋が嫌で購入したので問題ない。携帯よりは見やすいし。


 テレビでは、昨日の嵐の被害についてのニュースが流れていた。

 隣の県の被害が特に大きかったらしく、道路の一部が大きくひび割れて通行止めになっていた。交通事故に遭ったかのような、窓ガラスが割れてあちこち凹んでいるボロボロの車や、ちらちらと画面の端には自衛隊みたいな人の姿も見えた。


 ニュースを横目に一口IHコンロのある小さめのキッチンに向かう。その隣に置いてある小さめの冷蔵庫をあけて、夕食の材料を確認していると、卵が一つもないことに気がついた。


 スーパーはアパートから徒歩二十五分くらいの距離にある。バイト先のコンビニとは逆方向で、スーパーの営業時間は午前九時から午後七時までなので、休みの日に行く方が楽だ。


 ちなみに、私はそれなりに田舎の方に住んでいながら車の運転はできない。免許すら持っていない。

 私の愛車は二年前、ここに住む時に中古で購入した、年季の入った明るいオレンジの自転車だ。過去の所有者が貼ったであろう、昔の女児向けアニメのマスコットキャラクターのシールが、レトロおしゃれに見えなくもない。


 スーパーが閉店するまで時間に余裕はあるが、早いに越したことはないので、すぐに買い物に行く準備をする。


 ――このとき、てきぱきとコートやマフラーなど着込んで外出準備を進めている私には、テレビから流れているニュースの音声はまったく耳に入っていなかった。



 〝「――続いてのニュースです。嵐の影響で〇〇県に現れた――について、――が捕獲した――の三頭のうち一頭が逃げ出し、現在、行方がわかっておりません――」〟



 靴を履いてからテレビを消し忘れたことに気づくが、往復三十分もあれば帰ってこれるのでそのままにした。

 エコバッグに財布がしっかり入っていることを確認し、玄関の外へ足を踏み出すと、ぶわっと冷たい空気が全身に襲いかかる。


「さむ…」


 マフラーをしっかり口元まで引き上げ、ドアが閉まる直前。テレビから流れるニュースの音声が、ふと耳に届いた。



 〝「――現在、警報が出ている区域にいる皆様は、くれぐれも『――』にご注意ください」〟



「……? 気のせいか」


 寝ぼけてるのかな。

 ぱたん、とドアが静かに閉まる。思わず足が止まってしまったが、きっと聞き間違いだろう。寒いし早く買って帰ろうと、足早に愛車の元へ向かう。


 ――ドアの閉まったアパートの一室では、ニュースが淡々と流れ続ける。その内容を、すでに外に出た私は知る由もなかった。



 〝「繰り返します。――が逃げた方向は〇〇県とのことです。一部地域に――警報が発令されました。警報区域内にいる皆様は、不要不急の外出は控え、自宅内で待機してください。警報区域は〇〇県××市〇〇区――――」〟

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