古民家を直していただけなのに

福真 瑞

ただ、直しただけなのに

「たまに呑みに来る有馬さん、覚えてるか?」

カウンター越しに、郡司先輩がにやついた。

「眼鏡の人ですよね」

そう返すと、郡司先輩はグラスを磨く手を止めた。

「郊外に古民家を借りたらしいんだ。

一か月経つのに、どうにも落ち着かないってさ」

そのとき、隣に座っていた理央さんが、静かに顔を上げた。

「……視てみようか」

その声が、妙に低く聞こえた。

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数日後、郊外の古民家に集まったのは六人だった。

有馬さん、理央さん、郡司先輩、バーの常連の女性二人――葵さんと美紀さん、そして俺。

古民家は、長く人が住んでいなかった家だった。

床はところどころ軋み、空気が重く澱んでいる。

「ここを自分で直してさ。古い家だけど、

少しずつ命を吹き込んでる感じで」

有馬さんは、そう言いながら家の奥へ進んでいった。

床板の一部は新しく、

古い家のはずなのに、

人の手が入った場所だけ、妙に目についた。

理央さんは、その様子を黙って見ていた。

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奥の和室に入ったときだった。

理央さんが、足を止めた。

柱から、視線を外さない。

「……命を吹き込む?」

一拍、間が空く。

「違う。

あなたは、触れてはいけない蓋を開けた」

有馬さんは、言葉を失った。

「……封印」

理央さんは、それ以上言わなかった。

次の瞬間、

柱にあった黒い染みが、消えた。

同時に、欄間の向こうが青紫に光った。

空気が、一気に裏返る。

「早く、外へ!」

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外に出た、その瞬間だった。

全員の顔を見たとき、

葵さんの目から、焦点が消えた。

それでも体は、

意思を失ったまま、家の方へ移動していく。

歩いているのではない。

運ばれている。

「近づくな!」

Rさんが指を口元に当て、低く何かを唱えた。

空を切るような動きで、葵さんの背を払う。

葵さんは、その場に崩れ落ちた。

ほぼ同時に、

俺の頭に、鉄の塊を押し込まれたような痛みが走った。

視界が歪む。

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気づくと、畳の上に横になっていた。

理央さんの家だった。

体は鉛のように重い

いつの間にか、その重さは消えていた。

理央さんは装束に着替え、

無言で全員を祓った。

体の重さは消えた


説明は、なかった。

最後に、ただ一言。

「……あの家には、戻らない方がいい」

それ以来、

有馬さんがその古民家に戻ったという話は、聞いていない。

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