第7話 初めての校外実習
月曜日の朝、学院の正面広場には、Sクラスの生徒たちが既に集合していた。
まだ少しひんやりとした空気の中、吐く息が白くなる。
広場の中央には、馬車にも似た大型の乗り物――マナカートが数台並んでいた。車輪の代わりに、青白い魔法陣が浮かんでいて、地面から少しだけ浮いている。
「これが、マナカート……」
思わず見とれていると、隣からシルヴィアが胸を張った。
「すごいでしょ? 魔力で動くの! 馬いらずなんだよ!」
「名前そのまんまだね」
「そこツッコむところじゃないから!」
しっぽをぱたぱたさせながら、シルヴィアは不満そうに言うが、目は楽しそうだ。
広場の前に立ったレイナ先生と、がっしりとしたハーゲン先生が、全員に向かって声を張り上げる。
「よく聞け。今回の実習地は『ミストウッドの森』だ」
レイナ先生が地図を広げ、簡単な説明を続ける。
「街から西へ一時間ほどの場所にある、霧の多い森だ。比較的安全な区域を選んでいるが、魔獣は普通に生息している。油断すれば怪我をする。いいわね?」
「はーい!」
シルヴィアが元気に返事をし、他の生徒たちも頷いた。
「目的は魔獣の観察と、基本的な戦闘技術の習得だ。命をかけた戦いではないが、遊びでもない」
今度はハーゲン先生が渋い声で言った。
「パーティは既に伝えた通り。リリアンとゴンド、そしてお前たち三人――シルヴィア、黒崎、佐藤の二組に分かれる。各パーティに教師が一人ずつつく。リリアンたちにはハーゲン、こちらには私がつく」
レイナ先生が親指で自分を指す。
「ミストウッドの森までは、このマナカートで移動する。全員乗り込んで」
僕たちはマナカートに乗り込んだ。
中は意外と広く、柔らかいクッションが敷かれたベンチが両側に並んでいる。窓からは、学院の正門や街並みが見えた。
「揺れたりしないのかな」
僕が呟くと、ユリが隣で小さく首を傾げた。
「浮いてるみたいだけど、安定してるわね。魔力制御が相当精巧なのかも」
「出発するぞー!」
御者台のあたりから誰かが叫び、マナカートがゆっくりと動き出す。
車輪の音はしない。
代わりに、低く唸るような魔力の振動だけが、足元から伝わってきた。
「これ、日本の電車みたいだね」
ついポロっと本音が出る。
「電車?」
シルヴィアが首をかしげる。
「線路の上を走る乗り物。たくさんの人を運べるんだ」
「へえ、電気で動くんだっけ?」
ユリが補足するように言う。
「そう。こっちは魔力で動いてるから、仕組みは違うけど、目的は似てるかも」
「やっぱり、カイトたちの世界の話、面白いなあ」
シルヴィアはわくわくした様子で窓の外を見つめた。
マナカートは街を抜け、石畳から土の道へ。
遠くに見える森が、少しずつ近づいてくる。
◇ ◇ ◇
ミストウッドの森は、その名の通り、薄い霧に包まれていた。
木々は高く伸び、頭上で枝が絡み合っている。
木漏れ日が霧を通して柔らかく差し込み、淡い光の帯がそこかしこに浮かんでいるように見えた。
「美しい……」
リリアンが思わず声を漏らす。
エルフである彼女にとって、森は特別な意味を持つ場所だ。
「まずは、安全確保だ」
レイナ先生が真剣な顔で周囲を見渡した。
「各パーティ、周囲に警戒魔法を張りなさい。近づいてくる魔力の反応を察知できるようにするの」
「了解!」
シルヴィアが元気よく返事をし、ユリも頷いた。
「カイトは、まだ警戒魔法は厳しいと思うから、私の補助をお願い」
「わかった」
ユリが詠唱を始める。
彼女の足元に薄く青い魔法陣が広がり、周囲の空気が微かに揺らいだ。
「『サーチフィールド』。半径五十メートル以内の魔力反応を感知する範囲魔法よ」
「そんな便利魔法が……」
「ただ、持続時間は限定的だから、必要に応じて張り直す必要があるわ」
レイナ先生が補足する。
「よし。警戒はこれでよし。では、最初の観察対象を探しに行くぞ」
「今日のターゲットは?」
シルヴィアが首を傾げると、レイナ先生が答えた。
「『ウィスプ』だ」
「ウィスプ?」
「小さな光の球のような魔獣だ。基本的には無害だが、まれに迷わせる幻覚魔法を使う」
お化けの火の玉的な何かだろうか。
「ウィスプは水場の近くにいることが多い。まずは小川を探そう」
僕たちは森の中を慎重に進んでいった。
足元の落ち葉がサクサクと音を立て、鳥のさえずりや虫の音が聞こえる。
霧は濃すぎず、視界はそこまで悪くない。
「カイト、足元気を付けて。ここの根っこ、滑りやすいから」
ユリが小声で注意してくれる。
「ありがと」
そうこうしているうちに、かすかな水の音が聞こえ始めた。
「小川が近いみたいだね」
シルヴィアが耳をぴんと立てる。
やがて、木々が少し開けた場所に出た。
そこには、幅二メートルほどの小川が流れている。水は透き通っていて、川底の石がはっきり見えた。
「……あれ」
ゴンドが指をさした。
小川のほとり、苔むした岩の上に、小さな青白い光がふわふわと浮かんでいた。
直径は十センチほど。ゆらゆらと漂いながら、かすかに明滅している。
「ウィスプだ」
レイナ先生が頷く。
「静かに近づきなさい。驚かせると逃げてしまう」
僕たちは息を潜めながら、ゆっくりと距離を詰めた。
近くで見ると、ウィスプの中心には、小さな核のようなものがあるのがわかる。
光はそこから放たれ、周囲に淡く広がっている。
「綺麗……」
ユリが小声で呟く。
「ね、かわいいよね!」
シルヴィアも目を輝かせている。
「では、観察記録をつけなさい。大きさ、色、動き、魔力の揺らぎ……」
レイナ先生に言われ、僕たちは持ってきたノートにそれぞれ観察した内容を書き込んでいった。
その時だった。
ウィスプが、突然光を強めた。
「ん?」
一つだけではない。周囲の木陰や草むらから、次々にウィスプが現れ始めた。
青白い光、緑がかった光、少し紫がかった光――それらが十個以上集まり、僕たちの周囲を取り囲むように漂い始めた。
「ちょ、ちょっと多くない?」
シルヴィアの声に、わずかな緊張が混じる。
「先生、これって普通?」
「いいや……少し様子がおかしい」
レイナ先生の表情が引き締まる。
ウィスプたちは、一斉に光を強くし始めた。
まるで合図を合わせたかのように、光が脈打ち、周囲の霧がゆらめく。
「まずい。みんな、目を閉じて!」
レイナ先生が叫ぶ。
「ウィスプは、集団になると幻覚魔法を使うことがあるの。視覚に直接干渉してくるわ!」
言われるが早いか、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。
「うっ……」
目の前の木が二重に見え、地面が波打っているように感じる。
目を閉じても、脳の奥をくすぐるような違和感が消えない。
「精神防御の魔法を! イメージだけでもいいから、心の中に自分を守る壁を作るの!」
レイナ先生の声が飛ぶ。
ユリはすぐに反応し、小さな防御魔法陣を展開したようだ。
彼女の手を握ると、まるで冷たい水で頭を冷やされたように、幻覚の影響が少し薄れる。
「ありがとう……」
「今は礼を言うタイミングじゃないわよ!」
シルヴィアの声が、少し不安げに揺れる。
彼女は風の魔法でウィスプたちを吹き飛ばそうとするが、ウィスプは軽すぎて、風に揺られながらもすぐに元の位置に戻ってしまう。
「ウィスプは実体が薄いから、物理的な影響を受けにくいの!」
レイナ先生が急いで指示を飛ばす。
「属性で対抗するしかない。彼らの幻覚魔法は精神系。氷や風で動きを縛るのが良いわ」
「わかった!」
ユリが左手を上げる。
「『アイスミスト』!」
彼女の周りの空気が一気に冷たくなり、白い霧がウィスプたちを包み込む。
霧の温度が急激に下がり、ウィスプたちの動きが鈍くなっていく。
「シルヴィア、今!」
「了解! 『ウィンドブラスト』!」
シルヴィアが両手を前に突き出すと、強い風がウィスプたちをまとめて吹き飛ばした。
冷えた空気ごと押し流されたウィスプは、森の奥へと流され、光を弱めて散っていった。
「ふう……」
霧がゆっくりと晴れ、歪んでいた景色が元に戻る。
「よくやったわ、二人とも」
レイナ先生が息をつきながら微笑んだ。
「特に黒崎、冷静な判断だったわね。氷で動きを鈍らせてから風で吹き飛ばすなんて」
「ありがとうございます。でも、少し焦りました」
ユリは額の汗を拭いながら言う。
「先生、なんでウィスプが襲ってきたんですか?」
僕が尋ねると、レイナ先生は少し空を見上げた。
「おそらく、私たちが彼らの縄張りに踏み込んだからでしょうね。普段は無害でも、数が集まれば群れとしての本能が働くの」
「魔獣観察って、簡単じゃないんだね……」
「そうよ。『かわいい』と思って油断すると痛い目を見る。常に警戒心を忘れないこと」
レイナ先生の言葉に、僕たちは揃って頷いた。
◇ ◇ ◇
その後も、僕たちは森の中で様々な魔獣を観察した。
木の実を一生懸命に集めている『フォレストラット』。
大きな花の蜜を吸う『フェアリーバタフライ』。
小川で器用に魚を捕る『ウォーターフォックス』。
どれも危険度は低いが、それぞれ独特の生態と習性があり、見ていて飽きなかった。
「魔獣生態学って、教科書で読むより実物を見た方が何倍も分かりやすいね」
「そうだね。匂いや動きまでは、本じゃ伝わらないから」
ユリがメモを取りながら答える。
昼食を簡単に済ませた後、レイナ先生が一同を集めた。
「さて、午後は少しレベルを上げるわよ」
「レベル……?」
シルヴィアの耳がぴんと立つ。
「戦闘訓練を行うわ。相手は……『ゴブリン』」
「ゴブリン!」
ファンタジー作品の常連だ。
大抵の場合、序盤の雑魚敵ポジションである。が、現実で会いたいかと言われたら、NOだ。
「心配するな。今日は檻に入った個体を使う。直接攻撃を受ける危険はない」
訓練専用のエリアに移動すると、そこには鉄格子の檻が並んでいた。
中には、緑色の肌をした小さなヒューマノイド――ゴブリンが三体入っている。[1]
赤い目がぎらぎらと光り、鋭い爪が鉄格子をひっかいていた。
「これらは既に捕獲され、凶暴化している個体だ。ここから出すことはない。だが、攻撃は容赦なくしてくる」
ハーゲン先生が説明する。
「まずは、リリアンとゴンド」
リリアンは後方から魔法で攻撃し、ゴンドは前で盾となって牽制する形だ。
リリアンの放つ風の刃がゴブリンの動きを削り、ゴンドの石の壁が反撃から味方を守る。
見事な連携に、レイナ先生も満足そうだった。
「次、シルヴィア」
シルヴィアは自ら前に出て、素早いフットワークでゴブリンの攻撃をかわしながら、風の魔法で牽制する。
物理攻撃と魔法を混ぜた戦い方は、彼女ならではだ。
「じゃあ、最後は黒崎と佐藤」
とうとう僕たちの番が来た。
「ユリ、先にお願い」
「わかった」
ユリが一歩前に出る。
「カイトはまだ実戦経験が少ないから、最初は私がやるわ。カイトは後ろで動きをよく見ていて」
「うん」
ゴブリンが、鉄格子の中で吠えた。
凶暴な目つきでこちらを睨みつけ、爪で鉄をひっかく。
「『アースバインド』」
ユリが短く詠唱すると、ゴブリンの足元の地面が盛り上がり、土の鎖が足を絡め取った。
動きが大きく制限される。
「『サンダースピア』!」
続けざまに雷の槍が放たれ、ゴブリンの身体を直撃する。
さすがに一撃で倒れるほどではないが、大きなダメージが入ったのが見てとれた。
「お見事」
レイナ先生が感心する。
「では、次は佐藤」
「え、僕一人で?」
「安心しなさい。私が後ろにいるし、黒崎もサポートする」
ユリが振り向き、目で「大丈夫」と伝えてくる。
ゴクリ、と唾を飲み込む。
檻の中の別のゴブリンが、こちらを睨んで牙をむき出していた。
――最初の実戦、か。
「さあ、カイト。訓練でやったことを思い出して」
ユリの声が背中を押す。
僕は一歩前に出た。
まずは火をイメージしてみる。
だが、ゴブリンの唸り声と鋭い視線に、集中が乱される。
「うっ……」
「カイト、深呼吸」
ユリが小さく言った。
大きく息を吸って、吐く。
胸の灯りに意識を戻す。
――魔法を使うことだけに集中しろ。
もう一度、火をイメージする。
今度は、ゴブリンではなく、目の前の空間に意識を向ける。
「『ファイアボール』……!」
手のひらに小さな炎が生まれ、それを前に投げる。
火球はゴブリンの前まで飛ぶが、威力不足のせいか、直撃する前に消えてしまった。
「距離が足りてない」
「魔力をもっと込めて」
ユリとレイナ先生の声が飛ぶ。
次は水で試す。
ゴブリンの顔に水をぶつけて怯ませる作戦……のつもりが、やはり威力が足りず、ただの水しぶきになる。
「くっ……!」
焦りが心を侵食し始める。
――落ち着け。いきなり一人前の魔法使いみたいにやろうとするな。
「カイト、最後は一緒にやってみよう」
ユリが僕の横に立った。
「私が魔法の構成をするから、カイトは私の魔力の流れを感じて、自分の魔力を重ねてみて」
「重ねる……?」
「うん。私の魔法に、カイトの魔力を『上乗せ』する感じ」
ユリが右手を前に出し、小さな火球を作る。
その火球から、確かに魔力の流れが感じられた。
暖かく、しかし一定のリズムで脈打つ流れ。
「その流れに、自分の魔力を重ねて」
胸の灯りから魔力を引き出し、ユリの魔力の流れと同期させるイメージを持つ。
二つの流れが重なり合い、一つの大きな流れになる感覚。
「今!」
「『ダブル・ファイアボール』!」
二人で同時に放った火球は、さっきまでとは比べものにならない大きさになっていた。
檻の中のゴブリンに直撃し、爆発するように炎が弾ける。
「ギャッ!」
ゴブリンが悲鳴を上げて倒れた。
「やった……!」
「見た? これが連携魔法だよ」
ユリがこちらを振り向いて笑った。
レイナ先生が手を叩く。
「素晴らしい。特に佐藤、初めての実戦でよくやったわ。黒崎の誘導も見事だった」
「ありがとうございます」
興奮と疲労で足が少し震えていたが、その言葉に支えられるような気がした。
◇ ◇ ◇
帰りのマナカートの中で、僕は完全に力尽きていた。
座席に座ったまま、背もたれにぐだっともたれかかる。
「お疲れ様。よく頑張ったね」
ユリが隣で微笑む。
「ありがとう。ユリがいなかったら、全然ダメだったよ」
「そんなことないよ。カイトは確実に成長してる」
「そうかな……」
「そうだよ。最初に会った時は魔力すら感じられなかったのに、今では実戦で魔法を使えてる。それって、大きな進歩だよ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
前の座席では、シルヴィアがまだ興奮冷めやらぬ様子で話し続けている。
「すごかったね! ユリさんの連携魔法! 私も今度やってみたい!」
「今度、風と雷の連携も試してみようか」
「本当!? やったー!」
マナカートの中には、疲労と達成感が入り混じった、心地よい空気が漂っていた。
こうして、僕たちの初めての校外実習は終わった。
ウィスプの群れに襲われたり、ゴブリンとの戦闘があったり、危険もあった。
でも、その一つ一つが、大きな学びになった。
そして何より――
クラスメイトたちとの絆が、確かに深まった一日だった。
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