第3話 問題児との遭遇と意外な才能

「お前ら、転移者ってどこだ!?」


怒鳴り声が学食に響き渡った瞬間、ざわざわしていた空間の空気が一気に張り詰めた。

フォークを口に運んでいた生徒が止まり、談笑していたグループの会話がぷつりと途切れる。


学食の入口に立っていたのは、数人の男子生徒たち。

皆、同じような色合いのローブを着ているが、その着こなしはかなりラフだ。ローブの前を大きくはだけ、腰にはそれぞれ武器らしきものを提げている。


先頭に立つ赤髪の青年が、一歩前に出た。


鮮やかな真紅の髪を無造作に後ろで束ね、鋭い金色の瞳で周囲を睥睨している。

背は高く、肩幅も広い。ローブの下から覗く腕は筋肉質で、肩には大きな両手剣の柄が見えた。

その存在感だけで「こいつ絶対トラブルメーカーだ」と分かるタイプだ。


「……なんか、テンプレ悪役上級生が来たな」


思わず小声でツッコむと、シルヴィアが「しっ」と慌てて口元に指を当てた。

猫耳がぴんと立ち、尻尾が警戒するように止まっている。


赤髪の青年――後にバルドと名乗るその男は、獲物を探すような目で食堂内を見回し、やがて僕たちのテーブルに目を止めた。


「お前らが、転移者か?」


ぐい、とまっすぐにこちらに歩いてくる。

周囲の生徒たちは慣れた様子で、自然と道を開けた。どうやら、日常的にこの手の騒ぎを起こしているらしい。


「……転移者って、そんなにデカい声で探すものなのかな」


「カイト、今はそういうツッコミは心の中だけにして」


ユリが小声で釘を刺す。

表情はいつも通り落ち着いているが、その目は真剣だ。


赤髪が僕たちの前で立ち止まった。

間近で見ると、その圧迫感はさらに増す。身長差がかなりあり、見下ろされる形になるので余計に威圧感がすごい。


「転移者なんて聞いたこともねえ。学院長がわざわざ特別許可を出してまで入学させたってのは本当か?」


「えっと……たぶん、本当です」


素直に答えると、赤髪はふんと鼻で笑った。


「特別扱い、ってやつだな」


その言葉に、周囲の取り巻きたちからも、くすくすと笑いが漏れる。


その時だ。


「バルド、何をしている!」


鋭い声が飛んだ。

見ると、レイナ先生が早足でこちらに向かってくるところだった。


「転移者は学院長の特別許可で入学したのだ。文句があるなら学院長に言いなさい」


「へえ、先生が庇うのかよ」


バルドと呼ばれた赤髪が、口の端を吊り上げた。

その目には、反抗と挑発の色が露骨に浮かんでいる。


「別に文句を言いに来たわけじゃねえよ。ただな――」


彼は僕とユリを順に見下ろす。


「話に聞く転移者ってのが、どれだけ大したもんか、このバルド様が確かめてやろうと思ってな」


「……話に聞く、ってことは、既に学院内で噂になってるってことね」


ユリが小さく呟く。

確かに、さっきから周囲の視線がやたらと集中している。

「転移者 VS 問題児上級生」なんて、娯楽としては最高のカードだろう。


「実力を見せてもらおうか。学食は狭いからな、実戦訓練場で勝負だ」


「勝負って……」


嫌な予感しかしない単語が飛び出した。


「転移者の実力、このバルド様が直々に見てやる」


「必要ないわ」


ユリがすっと立ち上がる。椅子が静かに床を引きずる音が響いた。


「承知しました。ただし、私だけです。彼はまだ魔力も感じられませんから」


「ユリ……!」


即座に僕を巻き込まない条件を出してくれたことに、胸の中で感謝と不安が同時に膨らむ。


「なんだ、一人しかいねえのか。つまんねえな」


バルドは肩をすくめたが、すぐににやりと笑った。


「まあいい。派手にやってくれりゃそれでいいさ。とにかく来い」


「ちょっと待ちなさい、バルド」


レイナ先生が強い口調で制止する。


「生徒同士の決闘は、正式な手順を踏まなければ認められないのは知っているでしょう?」


「ちゃんとルールは守るさ。訓練場で、先生の立ち会いのもとで、な」


バルドはニヤニヤしながらも、一応最低限のルールは理解しているらしい。


「……はあ。わかりました。私が立ち会います。ただし、本気で殺し合うような真似をしたら、即刻中止しますから」


レイナ先生が大きくため息をついた。

明らかに「またか」という顔だ。常習犯かこの赤髪。


「お、先生が立ち会いか。ますます燃えてきたぜ」


バルドは楽しそうに笑い、踵を返す。


「ついてこい、転移者」


ユリは静かに頷き、僕たちも慌てて席を立った。


「カイト、大丈夫?」


シルヴィアが心配そうに袖を引っ張る。


「大丈夫かはわからないけど、行くしかない、かな……」


放っておけるはずがない。

胃のあたりがきゅっと縮むのを感じながら、僕はユリの後ろを追った。


◇ ◇ ◇


実戦訓練場は、学食の隣の棟にあった。

重厚な扉をくぐると、そこには広い円形の空間が広がっている。


床は滑らかな石でできており、表面には大きな魔法陣が複雑に刻まれていた。円形の外周には観客席のような段差があり、既に何人もの生徒が座っている。噂を聞きつけたのだろう、続々と人が集まってくるのがわかる。


「……公開処刑会場、みたいになってない?」


「気のせいよ」


いや気のせいじゃないと思う。


「この魔法陣は、結界と衝撃吸収のためのものだ。よほどのことがない限り、命の危険はない」


隣に立ったレイナ先生が説明してくれる。


「よほどのこと……」


その「よほど」が起きるのが、この手のテンプレ展開なんだが。


「転移者の女、名前は?」


バルドが、すでに円の中心に立ちながら問いかけた。

両手剣を肩に担ぎ、その周囲に小さな火花が散っている。

彼の足元にも、独自の魔法陣がじわりと浮かび上がっていた。


「黒崎ユリです。どうぞよろしく」


ユリは一歩前に出て、落ち着いた声で名乗る。

深紅のローブの袖をまくり、手首を軽く回して肩の力を抜く。その動きには無駄がなく、どこか武道経験者のような雰囲気すら感じさせた。


「魔法剣士のバルド・クラインだ。せいぜい頑張れよ」


「……魔法剣士」


いかにも強そうな肩書きである。

剣も魔法も両方使えるって、それもう普通にチート職では。


円の外周には、Sクラスの面々も集まっていた。

リリアンは真剣な眼差しで様子を見つめ、ゴンドは腕を組んで何かを考え込んでいる。シルヴィアは心配そうに耳と尻尾を落としながらも、目を逸らせずにいた。


「それじゃあ、始めるぞ」


レイナ先生が、円の端に立って手を掲げた。


「双方、準備はいいですね? それでは――始め!」


合図と同時に、バルドが地面を蹴った。


「速っ……!」


身体能力が明らかに人間の範疇を超えている。

彼の足元で小さな炎が爆ぜ、加速の魔法が発動しているのが見えた。


ズシン、と床が揺れたように感じるほどの勢いで、バルドが間合いを詰める。

その瞬間、彼の両手剣が大きく振り上げられ――同時に、その刃から炎が噴き上がった。


「剣と炎の複合攻撃……!」


観客席から誰かの声が上がる。

二つの攻撃が同時に迫るその光景は、素人目にも「やばい」と分かる迫力だった。


「――っ」


だが、ユリは一歩も引かなかった。


炎が軌道を描いて迫る一瞬前に、彼女の身体が滑るように横へと移動する。

足元のローブの裾がひるがえり、炎がわずかに空を切った。


「今の、ギリギリだっただろ……」


僕の心臓は既にバクバクだ。


ユリは炎をかわしざま、バルドの懐に向かって右手を突き出した。


「――雷槍」


低く呟かれた詠唱と共に、彼女の手から鋭い雷光が迸る。

空気がビリビリと震え、眩しい光が視界を焼いた。


「なっ!」


バルドが慌てて盾――いつの間にか左腕に展開していた半透明の魔力の盾――を構える。

しかし雷は盾を貫通し、彼の腕をかすめる。


「っ……!」


わずかだが、確かに血が滲んだ。


「ちっ、やるじゃねえか」


バルドが舌打ちしながら距離を取る。

その顔には驚きと、そして確かな高揚感が浮かんでいた。


「ありがとうございます。でも、これが私の限界です」


ユリが小さく息を荒げながら言う。

肩が上下し、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

たった一発の魔法で、ここまで消耗してしまうのか。


「ふん、一発だけか」


バルドは口元を歪めた。


「なら次で決める!」


再び、バルドの足元に炎が灯る。

今度は先ほどよりもさらに大きく、激しく。


「まずい……!」


ユリは防御の姿勢をとるが、その動きにさっきほどのキレはない。

魔力がほとんど残っていないのが、素人目にもわかる。


「終わりだ!」


バルドが突進する。

両手剣が高々と振り上げられ、その刃がユリに向かって振り下ろされようとした瞬間――


僕の中で、何かが弾けた。


「ユリ!」


声が勝手に喉から飛び出す。

その瞬間、胸の奥で何かが灼けるように熱くなり、全身を駆け巡った。


――危ない。


――守らなきゃ。


意識よりも先に、体が動いていた。


気づけば、僕は円の内側に飛び込んでいた。

レイナ先生が驚いて何か叫んでいるが、耳には届かない。


右手を前に突き出す。

そこに、これまで感じようと必死に探していた「何か」が、一気に溢れ出してきた。


「――っ!」


視界の端で、ユリが目を見開いたのが見えた。


次の瞬間。


僕の手から、眩い光が迸った。


白く、透明で、しかし確かな存在感を持った光が、彼女とバルドの間に壁のように展開する。

それは瞬く間に広がり、バルドの剣を真正面から受け止めた。


ガンッ!


金属が硬いものにぶつかったような音が響く。

しかし、そこには金属などない。ただの光の壁だ。


「なに……!?」


バルドが目を見開く。

両手剣の切っ先は、光の壁にぴたりと止められ、これ以上進まない。


刃が、押し込めない。


「ば、馬鹿な……!」


観客席からも、驚きの声が上がる。


僕自身も、その光景を信じられずにいた。

だって、さっきまで魔力を全く感じられなかったはずの僕が――


初めて使った魔法が、こんなにも完璧な防御壁だなんて。


「カイト……?」


ユリが、信じられないものを見るような目で僕を見つめていた。


「どうやって……?」


「わ、わからない。ただ、ユリが危ないと思ったら、自然に……」


言葉にならない。

頭は混乱し、心臓は暴れ馬のように暴れ、手は震えているのに、目の前の光の壁は微動だにしない。


「そこまで!」


レイナ先生が叫び、手を振ると、訓練場の魔法陣が強く輝いた。

結界が一段階強化される。


「試合終了! これ以上は危険です!」


バルドは舌打ちしながらも、渋々と剣を引いた。

光の壁がふっと消え、空気が急に軽くなった気がする。


「ちっ……まあいい」


バルドは一瞬だけ僕を見て、鼻を鳴らした。


「転移者に実力があることはわかった。今日はこれでやめてやる」


踵を返し、取り巻きたちを引き連れて訓練場を出て行く。

その背中は悔しそうでありながら、どこか満足げでもあった。


「あなたねえ、また勝手な真似を……!」


レイナ先生が追いかけようとしたが、ため息を一つついて足を止めた。


「はあ……後で職員室に呼び出しね、バルド」


小さくそう呟くと、先生は今度はこちらに駆け寄ってきた。


「佐藤君、大丈夫!? 怪我はない?」


「は、はい……多分」


体のどこにも痛みはなかった。

ただ、どっと疲れが押し寄せてきて、足が少しふらつく。


「さっきのは……何だったの?」


ユリが、おそるおそるといった様子で尋ねる。


「佐藤君、あれは『絶対防御障壁』よ」


レイナ先生が、真剣な表情で告げた。


「絶対……?」


「学院でも上級課程で教える、防御系の上級魔法の一つ。熟練した魔術師でも展開が難しい、最高級の防御魔法よ」


「え……?」


自分がやったことの重大さを、ようやく理解し始める。


「でも、僕、本当に初めて魔力を感じて……」


「それが信じられないのよ」


先生は首をかしげた。


「初めて魔力を感じた者が、あれほどの防御壁を展開できるはずがない。普通なら、数ヶ月、いや一年はかかるレベルよ」


「どういうことだ……?」


自分の中の「常識」と、この世界の「常識」が、派手にぶつかり合っている音が聞こえる気がした。


「もしかすると、君には『危機感知能力』があるのかもしれない」


レイナ先生が、少し考え込んでから言う。


「危機感知能力?」


「危険を感じた時にだけ、眠っている魔力が一気に解放されるタイプ。極めて稀な特性よ。戦闘の場面では非常に頼もしいけれど、普段は力を引き出しにくい」


それはつまり――


「普段は魔力が使えないってことか……」


「その可能性はあるわね」


先生は否定はしなかった。


「そんな……」


一気に希望を持ち上げておいて、そこから奈落に突き落とされたような感覚だった。


「でも、すごいよカイト!」


落ち込む間もなく、ユリが笑顔で近づいてきた。


「私を守ってくれた!」


その顔は、高校では一度も見たことのない、心からの笑顔だった。

黒髪の隙間から覗く瞳が、まっすぐに僕を見ている。


「いや、ユリがまず戦ってくれたから……」


照れ隠しのように返すと、彼女は首を横に振った。


「一人だったら、あそこで負けていたかもしれない。でも、カイトがいたから勝てた。そういうことでしょ?」


「……まあ、結果的には」


自分の役割を、少しだけ認められた気がして、胸の中が暖かくなる。


「二人ともよくやったわ」


レイナ先生が、少しだけ柔らかい声で言った。


「特に佐藤君、潜在能力は高いようだ。これからしっかり鍛えなさい」


「は、はい!」


返事だけは大きく出た。自分でも驚くほどに。


観客席からも、ぽつぽつと拍手が起こる。

シルヴィアが真っ先に駆け寄ってきた。


「すごかったよ、カイト! あんなの、初めて見た!」


「お前、やるじゃねえか」


ゴンドも肩を小突いてきた。


「上級魔法をいきなりぶっ放すとか、普通は聞いたことねえ」


リリアンも静かに微笑む。


「危機に際して仲間を守る。その心が、あの魔法を引き出したのだと思います」


みんなの言葉が、一つ一つ、心に染み込んでくる。


その日から、僕の学院生活は一変した。


「無能な転移者」だったはずの僕は、いつの間にか――


『緊急時限定の天才』


そんな妙な二つ名で呼ばれるようになったのだ。


もちろん、普段は相変わらず魔力をうまく扱えないまま。

でもあの瞬間、確かに胸の奥で何かが目を覚ました感覚は、今でも鮮明に残っている。


その何かを、自分の意志で引き出せるようになるまで――僕の特訓の日々が、ここから始まることになる。

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