クラスごと異世界転移したので、ゲート時代の学院で生きます
もとこう
第1話 突然の転生と謎の美少女
「ねえ、起きてよ。遅刻するわよ」
耳元で、聞き慣れているはずなのにどこか冷たく感じる声が響いた。
その一言が、深い眠りの底に沈んでいた意識を、乱暴に水面まで引き上げる。
――遅刻? 何の?
ぼんやりした頭のまま、まぶたを持ち上げる。視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天井だった。
木の梁が格子状に組まれ、淡いクリーム色の漆喰の隙間から、朝の光が斜めに差し込んでいる。梁の木目は日本の学校で見慣れた集成材のそれではなく、一本一本の木がそのまま組まれたような、素朴で重厚な雰囲気だ。どことなく、中世ヨーロッパを舞台にしたRPGで見たような――そんな建築様式。
「え……?」
自分の口から漏れた情けない声で、ようやく「おかしい」と認識する。
だって、昨日まで見ていたのは、安っぽい木目調クロスの天井だったはずなのだ。高校二年男子の六畳一間の部屋に、こんなファンタジーな天井があるわけがない。
僕――佐藤カイトは、ゆっくりと体を起こした。体を包み込む柔らかさに思わず目を瞬かせる。
「ベッド……ふかふかだ」
日本の狭い部屋に置いてあった、真ん中が少しへこんだ安物のマットレスとは違う。腰を優しく支えつつも、沈み込みすぎない絶妙な反発力。シーツはさらさらとした肌触りで、綿ではなく上質な麻か何かだろうか。香りも微かに違う。洗剤の人工的な匂いではなく、干した布と木の匂いが混ざったような、落ち着くにおい。
視線を巡らせると、部屋全体が石造りなのがわかった。壁は灰色の石がレンガ状に積み上げられ、隅には細いひびが走っている。窓は木枠で、透明度の少し低いガラスがはめ込まれ、外の光を柔らかく拡散させていた。
「ここ……どこだ?」
自分の声が、石の壁に小さく反響する。
寝ぼけて見る夢にしては、あまりに質感がリアルだ。頬を軽くつねってみる。
痛い。というか普通に痛い。
「変な夢じゃ……ない、よな」
ベッド脇の小さな木製サイドテーブルには、銀色の水差しと陶器のカップが並び、その横には見慣れない装丁の本が一冊置かれている。タイトルは、読めるようで読めない。文字が完全に未知というわけではなく、日本語と英語をぐちゃっと混ぜてさらにねじったような、不思議な文字体系だ。
「ゲームのUIとかじゃないんだよな、これ……」
現実感のなさに軽い眩暈を覚えたその時、さっきの声が再び飛んできた。
「いつまで寝てるの? 本当に遅刻するわよ」
今度ははっきりと聞こえる。女性の声だ。
耳に馴染みすぎていて、一瞬で誰か理解してしまう。
――黒崎、さん?
恐る恐る声の方を振り返る。
そこには、クラスで一番の美人で、一番クールだと評判の少女――黒崎ユリが立っていた。
長い黒髪はいつもより少しだけゆるくウェーブがかかっていて、寝起きのせいか少し乱れている。それすら計算されたヘアスタイルに見えるのは、彼女の顔面偏差値のせいだろう。切れ長の瞳は、相変わらず感情を測らせない冷静な光を湛えている。
違うのは、その服装だった。
「……ローブ?」
思わず口に出してしまう。
彼女が身にまとっているのは、深紅のローブ。厚手だが、身体のラインをさりげなく拾うように仕立てられていて、裾には銀糸で複雑な模様が刺繍されている。襟元には小さな青い宝石がはめ込まれたブローチが留められており、光が当たるたび僅かにきらめいた。
深紅の布が、艶のある黒髪と白い肌とのコントラストを際立たせている。
――ひどく、似合っていた。現実感が薄れるほどに。
「黒崎……さん? なんでここに?」
思っていることがそのまま口から漏れる。
ついでに言うと「なんでローブ?」とか「コスプレ?」とか「ここどこ?」とか、聞きたいことは山ほどある。
ユリはわずかに眉をひそめた。
「佐藤君、頭は大丈夫? 昨日からちょっとおかしかったけど」
「いや、大丈夫じゃない気がするんだけど……」
「私たちは『魔導学院エリュシオン』に入学するために、昨日この街に着いたばかりでしょ。忘れたの?」
……魔導学院エリュシオン?
聞き慣れない固有名詞に、脳が一瞬フリーズする。
「ま、魔導学院……? エリュシオン……?」
口の中で何度か繰り返してみるが、やはり現実世界のどこかにある学校名には聞こえない。
「ちょっと待って、黒崎さん。まず状況を整理させて」
思わず頭を抱える。
昨日までの記憶を必死に引き戻そうとする。
昨日――放課後。
いつものように部活もせず、コンビニで安いパンを買って、イヤホンで音楽を聴きながら帰っていた。
横断歩道のない細い道を、ショートカットのために渡ろうとして――
「そうだ、トラックだ」
眩しいライトが目に焼き付き、反射的に目を瞑った、その感覚まではっきり思い出せる。
その次の記憶が、すっぽり抜け落ちているのだ。
「そこから、ここに……?」
「どうやら君も同じようだな」
ユリが、深くため息をついた。彼女にしては珍しく、肩がわずかに落ちる。
「私も昨日の夜、ここに気づいた。いつも通り家に帰る途中だったはずなのに、気づいたらこの街の宿のベッドの上。どうやら私たちは『転移』したらしい」
「転移?」
耳慣れた単語なのに、現実で聞くと違和感がすごい。
「異世界に転移した、ってことよ。ネット小説でよくあるあれ」
さらりと言ってのけるその様子が、逆に怖い。
「……いやいやいや、待って。そんなライトノベルみたいなこと、現実に起きるはずが――」
「起きてるでしょ、今」
即答だった。正論である。ぐうの音も出ない。
改めて、部屋を見回す。木の梁、石造りの壁、見慣れない家具。
窓から差し込む光の角度からすると、朝のようだ。そろそろ日本の学校に行かなければならない時間帯のはず……だった。
「現実逃避、やめなさい」
容赦なく現実に引き戻される。
いや、そもそもここがどの現実なのかよくわからないのだが。
「なんでそんなに冷静なの?」
「だって、しょうがないでしょ。パニックになっても始まらない。それに……」
ユリは視線を窓の外に向けた。その頬に、ふっと小さな笑みが浮かぶ。
「ここはどうやら魔法が使える世界みたい。ちょっと……ワクワクするわ」
とたんに、彼女の右手に小さな炎が灯った。
空気が熱を帯びる。橙色の火が、指先でろうそくのようにゆらめいた。
「ええっ!?」
思わずベッドの上で後ずさる。シーツがくしゃっと音を立てた。
「ほら、こうやって考えるだけで火が出るの。面白いでしょ?」
「いやいやいやいや、面白いってレベルじゃないよね!? 物理法則どこ行ったの!? ていうか黒崎さん、なんでそんな当然のように魔法使ってるの!?」
「昨日一晩、いろいろ試してみたから」
平然とした顔で言う。
この状況に置かれて「試行錯誤して魔法の基礎を押さえました」って言える女子高生、なかなかいないと思う。
「黒崎さん、魔法が使えることより、僕らが異世界に来たことの方が重大だよ!」
「でも、もうここにいるんだから、適応するしかないじゃない」
彼女はぱちんと指を鳴らし、炎を音もなく掻き消した。
その仕草があまりに自然で、まるでそのために生まれたポーズのようにすら見える。
「それに」
ユリは今度はベッドに座っている僕の方に身体を向け、真剣な目で見つめてきた。
その黒い瞳には、不安よりも好奇心の色が濃く浮かんでいる。
「ここでは、私たちの常識が通用しない。だけど、逆に言えば、私たちの『元の世界の常識』が役に立つかもしれない。だから、冷静に観察して、情報を集めないと」
――強いな、この人。
僕がようやく「異世界」という単語を現実のものとして受け入れようともがいている間に、彼女はすでに一歩も二歩も先を見て、行動に移している。
「とりあえず、学校に行きましょう。情報を集める必要があるわ」
「学校って……さっき言ってた魔導学院?」
「そう。今日が入学式。街の人からも聞いたけど、この世界でも有名な魔法学院らしいわ」
さらっと爆弾情報を投げてくる。
この短時間で、街の人と交流して情報収集までしていたらしい。行動力オバケか。
「まず服を着替えて。いつまでも寝間着でぼーっとされると、こっちが恥ずかしいから」
「あ、ああ……」
言われてようやく、自分が薄い寝間着一枚であることに気付いた。
日本のジャージでもパジャマでもない、見慣れないゆったりしたシャツだ。
ベッドから降りると、石畳の床がひんやりと足の裏を刺す。
部屋の一角にはクローゼットがあり、扉を開けると、ユリと同じようなローブが数着、木のハンガーにかけられていた。
深紅、藍、黒――いずれも無駄のないシンプルなデザインだが、生地はしっかりしている。裾や袖口にささやかな刺繍が施されており、制服のような統一感がある。
「サイズも、ぴったりのを選んでおいたわ」
「いつの間に……」
「昨日のうちにね。宿の人が『学院指定の標準ローブ』だって」
そこまで準備してくれていることに、素直に感謝する。
選んだのは、一番シンプルな黒いローブ。派手な色は、いかにも「主人公です!」とアピールしているようで気恥ずかしい。
寝間着を脱いでローブに袖を通すと、意外なほど軽い。
見た目よりもずっと動きやすく、肩や腰のあたりにぴったりと馴染む感覚がある。魔法でサイズ調整される仕掛けでもあるのだろうか。
鏡の前に立つ。
そこには、どこからどう見ても、RPGに出てきそうな魔法使いの見習いが映っていた。
「なんだかRPGのキャラみたいだ」
思わず呟く。
ゲームのキャラクリエイト画面で、自分に似せたアバターを作った時の、あの妙な照れ臭さが蘇る。
「そうね」
ユリが、じっとこちらを眺める。その視線がわずかに柔らいだ。
「でも結構似合ってるわよ」
「っ……!」
不意打ちの一言に、顔が一気に熱くなった。
クラスで一番の美人に「似合ってる」と言われて、平常心でいられる男子高校生がいたら見てみたい。
「高校では一度も褒められたことなんてなかったのに……」
「それは自分で言わなくていいから」
口に出ていたらしい。恥ずかしさのあまり、耳まで熱くなっていくのが自分でも分かる。
「あ、ありがとう……」
かろうじて礼を言うと、ユリはほんの少しだけ口元を緩めた。
「さて」
彼女はぱん、と軽く手を叩いて立ち上がる。
「行きましょう。案内人がロビーで待っているはずよ」
「案内人?」
「ええ。昨日、宿の主人から聞いたの。学院が新入生のために案内人を派遣してくれるって」
段取りが良すぎる。
異世界転移初日にして、既に現地生活に順応し始めている黒崎ユリという存在が、少しだけ頼もしく、少しだけ遠く感じられた。
ベルトを締め、ローブの裾を整える。足元は革製のブーツだ。
歩くたびに、コツコツと硬い音が石畳に響く。
ドアに手をかけると、古びた金属のノブがひんやりと冷たかった。
深呼吸を一つ。
ドアを開けると、そこには――僕の知らない世界が広がっていた。
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