第3話:忘年会スルー残業

 12月29日。

 世間は仕事納めを終えて忘年会ラッシュらしいが、フリーランスにそんな節目はない。

 私は自宅のリビングで、ノートPCと睨めっこしていた。

 某企業の社内報の原稿締め切りが、明日の朝なのだ。

「……終わらない」

 目がショボショボする。

 肩が岩のように硬い。

 湿布を貼りたいけど、背中の変な位置が凝っていて自分じゃ貼れない。

 こういう時、独り身(実質)の不便さを痛感する。


『ピロリロリン!』

 スマホが鳴る。

 夫からだ。

『ごめん。トラブル発生で今年は帰れそうにない。正月明けに休み取って帰るわ』

 ……はい、予想通り。

「ごめん」のスタンプ一つで済ませる神経が太い。

『了解。体調気をつけて』

 こっちも事務的に返す。

 本当は「ふざけんな」と言いたいけど、帰ってこられても食事の世話が増えるだけだから、正直ホッとしている自分もいる。

 これが熟年夫婦のリアルだ。

 続けて、娘からもLINE。

『カウントダウン、友達とディズニー行くから! そのまま初日の出見てくる!』

『パパからもらったお年玉でチケット買ったから!』

 ……はい、こっちも予想通り。

 親より友達。

 親より彼氏。

 正しい成長の証だけど、大晦日に母親を一人にする罪悪感のカケラもないのが清々しい。


 午後10時。

 ようやく原稿の目処がついた。

 夕飯を食べていないことに気づく。

 キッチンに行く気力もない。

 食品棚を漁って、カップヌードル(シーフード味)を見つけた。

 お湯を注ぐ。

 3分待つ間に、鏡を見る。

 酷い顔だ。

 化粧は崩れてるし、髪はボサボサだし、また新しい白髪が一本ピンと立っている。

「……お疲れ、私」

 誰に向けてでもなく呟く。


 カップ麺をすすりながら、田中からのLINEを開く。

『生きてる?』

 またこれだ。

 生存確認botかよ。

『瀕死。今仕事終わった』

『お疲れ。俺も今帰ってきて一人酒。暇ならZoom飲まね?』

 Zoom飲み。

 コロナ禍で流行ったやつだ。

 今更? と思ったけど、チャットで文字打つのも面倒だったので承諾した。

 PCでZoomを立ち上げ、URLをクリックする。


 画面に映し出されたのは、カオスだった。

 田中の背後に、洗濯物の山が見える。

 脱ぎ捨てられたジーンズ、干しっぱなしのタオル、そして読みかけの漫画の山。

「……ちょっと、部屋汚すぎない?」

 第一声で突っ込んだ。

『うるせーよ。男の一人暮らしなんてこんなもんだろ』

 田中は缶ビール片手に笑っている。

 Tシャツ姿だ。

 首元がヨレヨレの、ユニクロのやつ。

「背景ぼかしなさいよ。生活感で目が潰れるわ」

『お前の部屋こそ、後ろに湿布の箱見えてるぞ』

「……あ」

 慌てて隠す。

 お互い様だ。

 底辺の映像交換会。


「で、どうよ最近。更年期」

 田中がデリカシーのない質問を投げてくる。

「最悪よ。のぼせるし、イライラするし、夜中目覚めるし」

「俺もさ、最近ここがやばくて」

 田中が頭頂部をカメラに向ける。

 薄い。

 確実に薄くなってる。

「……育毛剤、送ってやろうか?」

「余計なお世話だ。まだ産毛が生えてる可能性にかけてるんだよ」

「無駄な抵抗ね」


 お互いの老化現象を報告し合って、ゲラゲラ笑う。

 仕事の愚痴、子供の愚痴、老後の不安。

 Zoom越しに乾杯する。

 私はシーフードヌードルの残り汁をアテに、田中は柿の種をボリボリ食べながら。

 色気も何もない。

 でも、不思議と落ち着いた。

 夫との会話(業務連絡のみ)より、娘との会話(金くれのみ)より、この薄毛の男との無意味な会話の方が、よっぽどキャッチボールになっている気がする。


「……なぁ、大晦日どうすんの?」

 2缶目のビールを開けながら、田中が聞いた。

「一人よ。夫は帰らないし、娘はディズニー」

「マジ? 奇遇だな。俺も一人」

「知ってるわよ」

「だからさ、家来ない? 年越しそば食おうぜ」

「……は?」

「Zoomじゃ味気ねーし。スーパーの安いそば買ってあるから」

 誘われた。

 男の家。

 大晦日。

 20代なら「えっ、どうしよう♡」ってなるところだけど、45歳の私は冷静に計算を始めた。

 移動時間30分。

 交通費往復600円。

 リスク……特になし(田中だし)。

 メリット……孤独死回避、食費浮く、話し相手確保。

「……部屋、掃除しといてよね」

「え、来るの?」

 田中が驚いた顔をした。

 断られると思ってたらしい。

「汚部屋で新年迎えたくないから。ルンバかけといて」

「ルンバなんかねーよ。クイックルワイパーかけるわ」


 通話を切る。

 画面が真っ暗になり、そこに映った自分の顔が、さっきより少しだけマシに見えた。

 口角が上がってる。

 年越しそばか。

 悪くないかもしれない。

 どうせ一人で紅白見て寝るだけなら、汚いアパートで文句言いながらすする蕎麦の方が、少しは味がするかもしれない。

 湿布を貼るのを諦めて、私はもう一杯、ワインを注いだ。


(つづく)

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