第2話 『裏切りの従兄弟《サーカス》』

「おじちゃーん!あけおめー!」


 襖が開け放たれると同時に、原色のダウンジャケットに身を包んだ「怪物たち」が雪崩れ込んできた。

 甥のタケル、姪のミナ。そして少し遅れて、スマホをいじりながら気だるげに入ってくる中1のダイキ。

 彼らの無垢な瞳が我々を捕捉する。

 そこには「久しぶり」という親愛の情はない。あるのは「で、いくら持ってるの?」という、獲物を品定めする捕食者の輝きだ。


 弱肉強食という名の冷酷な現実が今、私の実家の居間で再現されている。


「おお、タケルくん。大きくなったな」

 私は先制攻撃を仕掛けた。

 話題を「成長への称賛」に逸らすことで金銭の授受を遅延させる作戦だ。

「去年より背が伸びたんじゃないか?勉強はどうだ?かけっこは一番か?」


 だが、タケルは私の言葉など動画サイトの広告のようにスキップした。

「うん、伸びたよ。ねえおじちゃん、お年玉は?」


 速い。

 会話の遅延ラグが一切ない。

 現代の小学生は手続きプロトコルを省略して核心(金)にアクセスする速度が異常に発達している。


「あ、ああ。もちろん用意してあるとも」

 私は脂汗を流しながらポチ袋を取り出した。中身は協定通りの三千円だ。

 だが、渡す直前にタケルが追撃を加える。


「あのね、ボク、Switchの新しいソフトが欲しいんだ。七千円するんだよ」


 七千円。

 その具体的な数字は、私の三千円という防壁を軽々と無効化する。

 ここで三千円を出せば「足りない」という事実が露呈し、私の叔父としての威厳は地に堕ちる。


 私は助けを求めてケンジを見た。

 援護射撃が必要だ。「子供のうちから高いゲームは良くない」とか、「外で遊ぶ方が健康にいいぞ」といった、大人の屁理屈で私を守ってくれ。


 しかし。

 ケンジは固まっていた。


 彼の膝の上には最強の伏兵――姪っ子のミナ(5歳)が乗っていたからだ。


「ケンジおじちゃん、かっこいい」


 ミナは上目遣いでケンジを見つめ、彼のアゴ周りの無精髭を小さな手で撫でていた。

「おじちゃん、王子様みたい」


 ――破壊工作サボタージュ

 その一言でケンジの論理回路はショートした。

 34歳、独身、定職も怪しい実家暮らしの男。そんな彼を「王子様」と呼ぶ存在はこの地球上で彼女だけだ。

 ケンジの死んだ魚のような目に生気が戻っていく。

 いや、それは生気ではない。狂気だ。


 見栄という名の業火だ。


「そ、そうか……?おじちゃん、かっこいいか?」

「うん!ミナ、ケンジおじちゃんといっこん(結婚)する!」


 ズドン、とケンジの理性が落ちる音がした。

 彼の脳内で「三千円協定」が音を立てて崩れ去る。


「……マサト」

 ケンジが私を見た。その目は特攻を決意した兵士のように澄んでいた。

「悪い……。俺は、この愛(幻想)に応えなきゃならない」


「待てケンジ!早まるな!」


 制止の声は届かない。

 彼は懐から、我々が「聖遺物」として神棚に飾るべきだった最大戦略兵器――一万円札を、そのまま裸で取り出した。

 ポチ袋に入れる余裕すらなかったのだ。

 新紙幣の象徴、渋沢栄一の顔が照明を反射して神々しく輝いている。


「ミナちゃん、これで好きなものを買いなさい。……おじちゃんからの愛だ」


「わあー!栄一さんだ!ありがとう!」


 ミナが無邪気に歓声を上げる。タケルも「えっ、一万!?すげえ!」とケンジに群がる。中学生のダイキまでもが「マジっすか。あざーっす」とスマホを置いてケンジに手を合わせる。


 ケンジは英雄になった。

 1月の生活費と引き換えに、彼は一瞬の栄光と姪っ子の愛を手に入れたのだ。

 ……裏切り者め。

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