@Ygfg

外国の恐い犬

私は、雲ひとつない快晴より、今日みたいな空が好き。たくさんの雲を携えた空。決して綺麗とは言えないかもしれないけれど、なんとなく、私は好きなんだ。





「いい空」

誰もいない放課後の教室で、窓際の席に座る私は曇り空を見つめてそう呟いた。



かつて静かで大人しかった私は、小さい頃から変わらず今も大人しいままだ。基本的に無表情で中々表情が顔に出ない私のことを「鈴子は感受性があまりないのかねぇ」と心配していた母も、そこに関しては諦めたのか、今では私に無表情のことを指摘することはなくなった。きっと、私のことを感情のない女だと思っているに違いない。

でも、小さい頃からむしろ逆だなあと自分では思う。きっと人が思うより、私は外からの刺激に敏感だし、些細なことを気にして、悲しさとか、はたまた嬉しさとかを感じる。けど、繊細すぎるが故に、自分の感情を表に出すことに抵抗があるのだ。「これを言ったり、今感情をだしたら迷惑かも」みたいな考えが心を覆って、それが幼少期から続いていたから、今でもそれを引きずっているのだ。そのせいでいつの間にか感情表情が苦手になって、周りからは、「無表情で怖い」とか「大人しいし、クールで近づき難い」とか陰で言われたりする。

大人しいが故に、クラス内での友達も少ないので、こうして放課後の教室で1人、今日も空を見ている。別に、悲しくは無い。断じて悲しくは無い。



快晴の日、友達が気持ちよさそうな顔をすると、

「快晴より、雲をたくさん携えた空の方が好き」

こんなことを言う度に友達からは、

「だから鈴子はずっと暗いんだよ」とか、「流石に陰鬱としすぎ」みたいなカウンターを食らったりする。ぐうの音も出ない鋭いカウンターに、毎回ダウンせざるを得ないのだけれど、私は雲のある空の方が好きなんだ。綺麗さとか、そういうものじゃなくて、きっと私の心に染み付いたクセみたいなものがそうさせているんだと思う。私の"雲が覆う心"とリンクしているんだろう。


そんなことを思いながらも、絶えず空を見つめ続けていた。今日の空は、結構な範囲を雲が覆っていて、それに加えて雲の輪郭もはっきりして見える。すると、一部の雲が外国の恐い犬に見えてきて、なんだかそれがおかしくて、笑みを零しつつ心の中で思わず呟く。

そろそろ帰ろうと思い鞄に目を落とすと、唐突に男の子の声で

「外国の恐い犬?」と言われたので思わず

「へぁ?」というなんとも情けない音が、空の教室に木霊した。恥ずかしくて顔に熱が集まる。そんな私を見て

「あ、驚かせちゃった?ごめんね。でも森田さんが空を見て「外国の恐い犬だ」って言ってたのが聞こえちゃって。気になっちゃってさ。」とその男の子は言う。

この男の子は今年から同じクラスになった渡辺翔くん。長身で、清潔感のある短髪が特徴的な男の子。クラスメイトと普段からあまり喋らない私は、当然何も話したことがないし、「消しゴム落としたよ」みたいな事務的なやつもなにもない。

急に声をかけられた私は、何か言わないと、と思い、

「あ、え、わたなべ?くん?」

と、必死に言葉を絞り出した。

「そうそう!あ、と初めまして?でいいのかな?渡辺翔って言います。もう二学期だけど、改めてよろしくね。森田さん?でいいよね」

滑らかに自己紹介をする渡辺くんを陽キャだあと思いつつ、彼に向けて無言で会釈をした。

「森田さんって、外国の恐い犬が好きなの?どの犬かはわからないけどなんとなくイメージはわかるよ。でも結構珍しいよね、可愛い犬じゃなくて恐い犬って。あ、俺も犬好きなんだけど、どちらかと言えば猫派かな。犬はアレルギーあるから」

と笑顔で話を振ってくれる渡辺くんに、

「あ、いや………別にそういう訳じゃなくて、ですね。空を見てたら、ある1つの雲が外国の恐い犬に見えたっていう感じで。」

加えて

「あ、でも犬は好きです。実家に二匹いるので」

とたどたどしくも私は言葉を続けた。

すると渡辺くんは私の方へスタスタと歩き、窓から空を見上げて

「外国の恐い犬……。恐い犬……。どこだ、恐い犬」と呟きながら雲を探し始めた。

その様子が、家の中で玩具を探し回る家の犬みたいで、私は隠れて笑みを零した。私は席を立って彼の横へと行き、

「ほら、あそこ。」と言って雲を指さした。

彼は少しの間ピンと来ない様子だったが、

「あ、あ〜!あれね!確かに、言われればそれっぽいかも」と私を横目に見ながら、そう言って笑顔を浮かべた。それに釣られて、思わず私も笑みが零れた。

そんな私を見た彼は物珍しい様子で、

「…そいえば俺、森田さんの笑ったとこ、初めて見たかも。あんま話した事なかったし。いつもクールで、感情をあんまり出さない人だと思ってたから。」

やっぱりそう思われてたかあと思わなくもないが、無邪気な笑顔を浮かべる彼に、秘密を知られた感じがして悪くなかった。



少しの沈黙の後、

「そういえば、森田さんはなんでずっと空見てたの?」と、私に聞いてきた。

「20分前くらいに俺が宿題取りに学校帰ってきてからもずーっと見てたし。わざわざ放課後になっても帰らず残るって、なんかあったの?」

20分も私観察されてたのか、と思ってしまった。私は、じっと目を見てそう問うてくる彼の視線から逃れ、

「私、空見るのが好きで。というか、なんだろ、今日みたいな空が好きで。快晴じゃなくて、雲がたくさん空を覆ってて、隙間から見える青が綺麗な空。」と言った。

我ながらなんだかクサイことを言ってるなあと思いつつ、真っ直ぐな彼の視線に答えるべく、私も素直に答えてみた。

「なんか、いいね。森田さんっぽい。」

「あ、でもなんで雲がある方が好きなの?」

そう不思議そうに尋ねる彼。私っぽいとは。

「……」

「私って、ご存知の通り、感情表現が乏しいというか、暗くて大人しい人間だから。いつも心が曇ってるというか?暗いというか。悩みみたいなのに覆われてモヤモヤしてるというか?……だからなんというか、よく分かんないけど曇り空見ると落ち着くんだよね。」

自分で言ってて悲しくなるような理由だが、事実なので仕方ない。ただそれを言ったあと心なしか、なんだか教室の空気が重くなった気が、して、こんなことを今日はなし始めた人に言うべきじゃなかったなと思った。



さきほどまで笑顔だった彼の顔からは、零れていた笑みは消え去り、その目は真剣さを帯びていた。

そして彼は私をじっと見つめ、少し黙ったあと、

「森田さんの心の雲は、何割?」

と、訳の分からないこと言ってきた。

続けて、

「森田さんの心の雲は、君の心を何割くらい覆ってるの?」と、そう私に問うてきた。

「急に…。わかんない、8割とか?」

私がなんとも難しい質問をされて困惑している中、

「…空ってさ、

こんなにたくさんの雲に覆われてても、空の9割を雲が覆ってないと、"曇り"にならないんだって。8割までは、空は"晴れ"なんだって。」

「………」

彼は意を決したように話し始めた。

「森田さんは、自分の心はマイナスなものでたくさん覆われてる、と思ってるかもしれない。自分の心は8割がマイナスなものに支配されてると思ってるかもしれない。たとえそれが仮に事実だとしてもさ、君の心はまだ"晴れ"なんだよ。

…俺は、今日初めて話した様なものだし、詳しくはわからないけどさ。

でも、ちゃんと好きなものを好きって言えるとことか。自分のマイナスな面を受け入れてるとことか。話してる時に見せてくれる笑顔とか。

もし仮に君が自分の心は雲9割だと思っていたとしても、その隙間から見える綺麗な青い部分は、"快晴"の空の綺麗さにも負けてないと思う。


………って、はず。今日初めて話したのに何言ってんだ俺」

何も言えない私の前で、自爆して恥ずかしがる彼。

意を決して合わせてみた彼の目には、顔の赤い私が映ってる気がした。




「鍵ちゃんと閉めたー?」

そう確認してくる君が踏んだ踵を整え、空を見上げる。

「今日の空は、うーーん。多分雲8割くらいだから、晴れだね!ラッキー」

そう言って笑う君

あの日から私の心は、"晴れ"の純度が増している。









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