第7話『お前を守るためなら』
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### エピソード「交差点のバカヤロウ」(続き)
遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。
ああ、またか。
また、富樫のおっさんの世話になるのか。
胸ぐらを掴まれながら、俺はなぜか、少しだけ笑ってしまった。
胸を張って会うことはできなかった。
でも、バカヤロウ。
お前を助けるためなら、自転車の一台や二台、安いもんだ。
「てめえ、何笑ってやがる!」
男が拳を振り上げた、その時だった。
「やめて!」
か細い、けれど芯の通った声が響いた。
男も俺も、声のした方を見る。彼女が、震える足で立ち上がっていた。
「私が…私が悪いの。ぼーっとしてたから…だから、この人は…」
彼女は俺を庇おうとしてくれている。そのことが、擦りむいた膝の痛みよりも強く、胸に沁みた。
やがてパトカーが到着し、俺と運転手の男、そして彼女は、事情聴取のために近くの交番へと連れて行かれた。
交番の隅のパイプ椅子に、俺と彼女は並んで座らされていた。運転手の男は、警官相手にまだ興奮気味にまくし立てている。俺たちの間には、気まずい沈黙が流れていた。
先に口を開いたのは、彼女だった。
うつむいたまま、絞り出すような声で呟く。
「…どうして、助けたの?」
その声には、感謝の色はなかった。むしろ、かすかに責めるような響きがあった。
俺は答えられなかった。
「会いたかったから」なんて、言えるはずがない。
彼女は、顔を上げないまま続けた。その声は、絶望に濡れていた。
「**死なせてくれないの!**」
その言葉は、鋭いガラスの破片のように俺の胸に突き刺さった。
助けたかった。守りたかった。それなのに、彼女は死にたがっていた。
俺のしたことは、ただのお節介だったのか。
カッと、頭に血がのぼる。
悲しみとか、怒りとか、虚しさとか、ぐちゃぐちゃになった感情が、一つの行動になった。
パァンッ!
乾いた音が、小さな交番に響く。
警官も、運転手も、一斉にこちらを向いた。
俺は、**思わず彼女の頬を打っていた。**
自分の手のひらが、じんじんと痛む。
彼女は、打たれた頬を押さえ、驚きと恐怖に目を見開いて俺を見ていた。
俺は、彼女の肩を掴み、無理やり視線を合わせさせた。
「**いい加減にしろよ!**」
怒鳴り声は、自分でも驚くほど震えていた。
「死なせてくれないの、じゃねえんだよ! 俺がどんな思いでお前を…っ!」
言葉が詰まる。あの夜の誓い。再会を願った日々。それが、こんな形で踏みにじられるのが、許せなかった。
「**何があった! 俺に聞かせろよ!**」
俺は叫んでいた。懇願するように。
「新しい場所で、うまくやれてなかったのか? また、嫌なことでもあったのか? 全部、吐き出せよ! 俺が聞いてやるから!」
掴んだ肩に、力がこもる。
「**死ぬなら、それからにしろ!**」
俺の目から、何かが零れ落ちた。
情けなくて、悔しくて、でも、彼女が生きていてくれて、どうしようもなかった。
彼女は、ただ黙って俺の目を見つめていた。その瞳が、みるみるうちに涙で潤んでいく。やがて、堰を切ったように、彼女の口から嗚咽が漏れた。
「う…うわああああああ!」
彼女は、その場に崩れ落ちるようにして泣き始めた。子供のように、声を上げて。
俺は、もう何も言えなかった。ただ、その隣に膝をつき、彼女の震える背中を、どうすることもできずに見つめていた。
交番の中の誰もが、俺たちを遠巻きに見ている。
やがて、聞き覚えのある、呆れたような声が背後から聞こえた。
「…またお前か。今度は一体、何をやらかした」
振り返ると、そこには、眉間に深いシワを刻んだ富樫のおっさんが立っていた。
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