家出少女
柚月
家出少女
お気に入りの喫茶店、澄んだ空、心地よい寒さを保つ店内、そこに勉強の邪魔にならない程度にクラシックが掛かる。
わけではなく、
目の前に広がる教科書の終わりの見えなさに裕理の脳内は教授、〇す、絶対。三つの言葉で埋め尽くされていた。
教授の「今週のテストは三つだねー、医学は楽しいしみんなは幸せ者だね」という虫唾の走るセリフが頭の中に巡る。
なにが「医学部に行けば将来安泰だよ!」「お前は頭がいいんだから医学部行け(俺らの塾の実績のためにな!)」だよあのクソ予備校が、なんで俺はもう数年受験生生活やってんだよ、俺のキラキラ大学生活はどこ?
ついでに大学だか文部科学省だか知らねーけど一週間に三つのテストとか頭終わってんだろ、意味がわからん。俺らの事ロボットだと思ってる?んな教科書千数百ページ同時に覚えられるわけねーだろ。
天気、曲、温度、香りのリラックス効果を全て足しても、彼の血管はストレスで破裂しそうだった、とはいえそのリラックス効果が一つでも欠けていれば裕理は間違いなくテストのストレスによる出血性ショックという世で最も不名誉な死を迎えた最初で最後の人間として歴史に名を刻んだだろう。
イライラメーターなるものがあったなら間違いなく世界最高数値を叩き出すであろう状態で勉強などできるはずもない。
ふー、一旦心を落ち着かせよう。深呼吸だ、深呼吸。
すっすはー、すっすはー。
とはいえそれでも国立大学医学部医学科に現役合格した秀才、すぐに心を落ち着かせ勉強に集中する。
そろそろ25分かな?
ポモドーロテクニック、25分勉強、5分休憩を繰り返す勉強法。集中力が維持しやすく、かつ勉強の入口への心理的ハードルが低くなるので裕理は愛用している。
時計に目を向ける、今日の家庭教師のアルバイトは確か5時からだったはず。軽い準備時間と移動時間を考慮する...まぁ後5時間は頑張るか。
5分休憩が終わり、勉強を始めようとすると、視界の端に路地裏で座っている女子が見えた。
あいつ何してんの?今10時ですけど?学校は?
色々考えるが、今はテストへの勉強が優先。疑念をひた隠しにし、勉強を始める。
約5時間ほどの勉強を終え、帰る支度をする。
「いやー、いつも長居しちゃってすみません」
マスターへ詫び言を述べる。
「いいよいいよ、君は常連だし、いつも来るのは平日の昼間で空いてるからね。勉強頑張ってね。」
店主は嫌そうな顔一つせずそういってくれる。
うーん、優しい。ストレスフルな心に優しさが染みる。
店を出ようとドアを開けると、先程の女子が全く同じ体勢で座っている。
あいつ何してんの?家出?そういうやつってトー横行くんじゃないの?
自分の生活圏にそういう人間が来ることは好ましくなかったが、特に何かをしようとも思えない。
家庭教師のバイトが終わる頃には、いなくなってるだろと思いながら家とは反対方面へ歩みを向ける。
呼び鈴を鳴らすと「はーい」という声が聞こえる、
「家庭教師の佐々木です」
幾度となく来ているので佐々木だけでも伝わるだろうと思いつつ、毎度一応家庭教師のをつける。ガシャっとドアが開く、
「先生、どうぞお入りください」
「ありがとうございます、失礼します。」
家へお邪魔する。すると二階から、先生ーと呼ぶ声がする。
「それでは」と言い残し、階段を上がり生徒の部屋へ入る。
「今日は数学で、空間ベクトルだよね?」念のため範囲を軽く確認する。
「うーん、それでもいいけどちょっと前のテストで軌跡が出て、そこだけ悪かったからそこの復習できる?」
「うん、いいよ」
「なるほどねー、発展問題も感覚がわかれば案外難しくないねー」
全国でもトップクラスの高校に通っているだけあって呑み込みが早い。
「じゃあ今日はここまで、何か質問ある?」
「内容とは違うんだけど、志望校どうしよかなって」
「君の成績なら帝都大学医学部でも狙えるだろ」
「医学部って大変なんでしょ?めんどくさいなー」
うーん、忙しいことは否定はできない。とはいえあくまで自分は家庭教師、生徒の母親がひそかに医学部を進学先として狙っているのを知っているのであまり進学先を変えるようなことはしたくない。
「まぁ、君ならいけると思うよ、大変ではあるけど医者になれるし。」
「そうだよねー」と彼が言うと、
彼のスマホからピロンという音が小さく鳴る。
「あ、彼女からだ、勉強会だってー。俺も参加しよーかな。まぁいいや進学先は、今日はありがとうねー。」
おいおいいいご身分だな受験生で彼女とは、まぁ勉強らしいし止めるつもりも無いが。
彼に別れを告げるように部屋から出る。
階段を降りると彼の母親がいる。
「先生どうでしょうか、帝都大学医学部狙えると思いますか?この前も学年順位が一桁じゃなくなったって言ってたので...」
「まだ高校一年生ですから約束はできませんが、このまま手を抜かずに行けば大丈夫でしょう」
「少し心配です...あ、今日もありがとうございました。」
「いえいえ、月謝はいつもの通り本部の方にお願いします。それでは失礼します。」
家庭教師からの帰り道、コンビニに入り、夕飯を買う。
カップ麺は飽きたし今日はおにぎりでいいや、そう思いながらいつものカップ麺コーナーではなく、おにぎりコーナーへと足を向ける。
裕理のお気に入りの鮭と昆布、ついでにそばに売られているコーラを手に取る。
レジに向かい会計をする。
右手に見えるホットスナックに興味をひかれたが、昨日の残りのから揚げがあることを思い出し買うのはやめる。
「お会計658円になります」
コンビニでの会計を終え、家へと向かう。
本日二回目の喫茶店の目の前を通る。駅から裕理の家へはかなり遠回りをしない限りこの喫茶店を必ず通る。
そういやさっきの女子どうしてるかな、などと少し興味が湧いたので、路地裏を見てみると先程までと全く同じ体勢でまだ座っている。
おいおい、まじかよ、もう最初に見た時から6時間以上経ってんだぞ、死んでるんじゃねーの?
しかし、よく見ると一応肩は上下に揺れているので一応生きてはいるらしい。さすがに家の近くで死人が出るのは気分がいいものではないので、一応恐る恐る声を掛ける。
「おーい、大丈夫か?」
するとビクっと動く、話しかけられるとは思っていなかったみたいだ。
「あ、はい」
小さな声で答える。
「悪いけど、俺の生活圏でそういう不吉なことが起こるのは気分良くないからさ。本当に大丈夫?俺で良かったら警察とかついて行くよ?」
彼女の表情が一瞬こわばった気がした。
「いえ大丈夫です、すみませんでした」
彼女はよろよろと立ち上がり、歩き始める。
追いかけるのも怖いのでそのまま家に帰ろうとすると、彼女の足首、さっきは見逃してたが首にも青いあざがあるのを見つける。
心の奥がズキっと痛む。
「おい!ちょっと待て」
咄嗟に声が出てしまった。
彼女は驚いたのか走ろうとするが力が入らないのかこけてしまう。
そんな彼女に近づくと、
「ごめんなさい、ごめんなさい」か細く発する。
「違う、そうじゃない」
彼女のその言葉を聞くと心が痛む。
「助けさせて欲しい、もちろん何も見返りは要求しない」
それでも彼女はごめんなさい、許してくださいと呟くだけ。
すると裕理は、手に持っていたおにぎりとジュースを少女の前に置く。
「食べてくれ、ほら買ったばかりだ」
自分のスマホの時計と数分前の時刻が載っているレシートを見せる。
彼女は驚いた顔をした。間違いなく警戒している。それもそうだろう、見知らぬ男に女子が施しを受けるのは客観的に見るとヤバイ。
それでも裕理は心の底から助けたいと思っていた、自分と彼女を重ね合わせたからだろうか。
彼女は警戒しながらもおにぎりに手を伸ばす。
彼女はか細い声で、
「先に昆布食べてもらえますか?」
裕理が何か入れていないか警戒しているのだろう、もちろんやましいことなどあるわけもないでの普通に食べる。
それを見た彼女は自分もおにぎりに口をつける。
「コーラは飲むか?」
彼女は首を小さく横に振る。おにぎりと違って一つしかないからな、警戒するよな。
裕理は昆布のおにぎりを食べ、コーラを飲みながら彼女の隣に座り、彼女に話しかける。
「虐待か?そのあざ」
彼女は少し裕理から体を離すように腰をずらすが、沈黙のみが返ってくる。
裕理は独り言のようにつぶやく、
「俺は君みたいに虐待はされなかったけど、家庭環境が複雑でね。義父とは色々あって関係が最悪で、母も俺が成長してからは減ったけどヒステリックでさ、小さい頃は俺のおもちゃを投げつけられたり、泣き叫んだりしてさ。」
彼女はいつの間にかおにぎりを食べ終わっていたみたいだ。それに気づくと裕理は声を掛ける。
「なにか欲しいものある?そこのコンビニで買うよ」
「鮭」
いつもなら、こいつ俺の話には返事しないくせに自分の飯だけ返事するのかと思っていたのだろうか。それでも彼女の気持ちが少しばかりわかる今の裕理は微塵もそんなことを思うことはできなかった。
コンビニへ行き、鮭おにぎりを三つと水を買った。コンビニ店員のこいつなんなん?という顔が胸に刺さる。今日から俺はあの店員に鮭と昆布のおにぎりを買った十分後に鮭をまた三つ買った鮭おにぎり愛好家として覚えられてしまう。彼女に買った商品の袋を渡しながらまた話をする。今回は俺に食べさせないから信用してもらってるっていう認識でいいのか?
「どこまで話したっけ...あぁ、母のヒステリックか、そう、母がヒステリックでさ。それでも外面はどうにかよく見せようって母親だったから一応塾とかには行けて、大学には入れたんだけどね。もう縁は切ったよ、奨学金で今は大学通ってる。」
彼女は黙々とおにぎりを食べる。
「見たところによると君は俺とは比べ物にもならないくらい大変なんだと思う。それでも君に君の悩みの欠片ほどは理解できるかもしれない人がいるんだって知ってほしかった。」
「おじさん」
彼女はおにぎりを食べるのをやめ、口を開く。
「うーん、おじさんではないと思いたいんだけど...一応大学生」
「おじさん、何が欲しいの?」
反射的に、え?、っと声が漏れた。
「私の体?」
こいつ何いってんだ?俺の話聞いてた?何もいらないつったよな?
「いや、だから別に何もいらないよ」
「そういうのいいから、何円?」
さすがに少しイラつく、彼女の境遇からすれば仕方のないことなのかもしれないし、同情はするが、それとこれは別だ。こんなに歩み寄ろうとしているのに、その辺の援助交際親父と同じだと思われるのは心外だ。
「いや、いらねーよ」
さすがに言葉が強くなる。
「はー、ヘタレ。何?私から言って欲しいの?私を買ってくださいって?キモ」
おいおい、こいつさっきまで俺が近づいただけでごめんなさいとか許してくださいっていってたくらい弱気だったのに、あれどこ行った?飯食って元気出てきたからか?二重人格かよ。
「おい、クソガキ。誰がお前の体なんているかよ、俺はなお前みたいな自分に価値があると勘違いして、他人を見下す人間が一番嫌いなんだよ。」
やば、さすがに言い過ぎたかも...
彼女は目を丸くさせてポカンとしている。
「本当にそういうわけじゃないの?」
「だからちげーって」
「今まで最初は見返りいらないって言ってても結局最後は体だったから...」
おいおい、何してんだよこいつに会った野郎ども。
「っていうことは家出してある程度経ってるのか?」
「一週間ちょいくらい?」
ため息をつきながら
「そのあざ虐待か?別に言いたくなきゃいいけど」
「うん」彼女は一応とばかりにこぼす。
一週間もあざが残ってるのか、あざは連続してできると治りにくいみたいなのを前見た気がするな。
「警察とか児相とかには行ったか?」
「前行ったことあるけど、結局家に帰された」
こわ、家に帰ってからどうなったかは想像したくもねーな。
「じゃあどうする?NPOとかなら家に帰されづらいとは思うけど」
「おじさんの家は?泊めてくれない?」
「やだよ、俺捕まりたくないし」
てかおじさんじゃねーよと心の中で付け加える。
「じゃあこのままかな」
彼女の雰囲気は死ぬことに抵抗が無いとも取れた。さすがに少しとはいえ関わった人間が死ぬのは気分が良くない。
「いや、お前が死んだら胸糞悪いし、生きろよ。別に家に帰る必要はねーだろ。NPO探すぞ、俺はお前の知り合いっていう体でついて行くから、もし家に帰されそうになったら適当に俺がお前の家に連れて帰るとかなんとか言ってやるよ」
彼女の返事を待たずにスマホで近くのNPO児童保護施設を探す。
うげ、もう閉まってるじゃん。
彼女は身を乗り出して、スマホを見る。
「もう閉まってるじゃん」
うーん、どうしたものか、家に連れて帰ったら確実に何かの法に触れそうだし。とはいえ女子を夜中一人でここに居させるのも心配だし...
「仕方ねーし今夜はお前が良ければ俺が傍にいるよ。そして明日の朝一でNPOの保護施設行くぞ。」
「別にそれはいいけど、夜寒いよ?私は慣れてるけど、おじさん大丈夫?ニット一枚じゃ心配じゃない?」
11月なの忘れてた...
「ドキ・ンホーテ行くぞ、寝袋かダウンかなんか買う。お前も買っとけ。」
「私このままついて行っても大丈夫?」
どういうことだ?と思い、彼女の服装を今一度見ると、シャツと薄手のカーディガン、ズボンは足首がしっかり見える程度の長さしかない。あざ見えちゃってるし。
これだと俺が虐待したみたいだ。
「仕方ねーな、ちょっと待っとけ。俺の家近いからダウンとか毛布持ってくる。」
「私もついて行っていい?」
「やだよ、お前みたいなあざのある少女連れて歩いてるの学校のやつとか近所のやつとかに見られたら俺は援交男だと思われるだろ。待っとけ」
彼女の事を置いて、裕理は一度家へ帰る。
右手に二枚のダウン、左手に大きな毛布を持って家を出る。
最近夜遅く家を出ることが無かったが、確かにしっかりと夜が更けるいくらまだギリギリ秋とはいえ体が軽く竦むくらいにはひやりとしている。
裕理の借りているアパートと喫茶店、つまり彼女のいる場所は目と鼻の先だった。
家を出て数分したらすぐ彼女の姿が見えた。
「ほらよ」
自分が持ってきたダウンの片方を彼女に投げて渡す。
「私の分も持って来てくれたの?」
「そりゃそうだろ、自分だけ温かくて、隣の人間が寒いとか気持ち悪いだろ。」
「...ありがとうございます」
少し、いや結構びっくりする。彼女の口からありがとう、ましてやございますなんて敬語が出てくるなんて。それでも年上としての威厳で動揺はしない。
「おうよ」
自分もダウンを着ながら軽く応える。
「どうする、ここで一晩過ごすか?できれば向かいの喫茶店は俺のお気に入りで、店主とも仲がいいからあんまりここには居たくないんだけど」
「場所変えますか?」
「公園はどうだ?座る場所も、トイレもある、草木でちょっとは風も凌げるだろ。ここから遠くないところに小さめの公園もあるし。」
「じゃあそこで。」
俺が立ち上がり、公園へ向かう彼女も付いてくる。彼女は特に荷物は持っていなかった。家を出ようと思った時恐怖とか色々な感情で頭が回ってなかったのかななどと勝手に推測してみる。
歩く俺たちの間に会話はない。当然といえば当然ではある。お互い相手の事は知らないし、別にそこまで深く知りたいわけでもない。彼女も知られたくないことがたくさんあるだろう。
それでも名前くらいは知っておいても損はないだろう。
彼女の方を向かずに聞く、
「お前、名前は?」
彼女は間を置かずに答える
「なんでですか?」
このクソガキ、俺が話振ってやってんのになんだよ。
「いや、一応一晩過ごすんだし呼び方くらい知っておいた方が良いだろ。」
「別に呼び方なんでなんでも良くないですか?お前でもクソガキでもなんでもいいですよ」
二人の間には気まずい沈黙が流れる。いや彼女は気にしなそうだから、厳密には俺一人にとって気まずい沈黙か。
公園に着くと俺は屋根付きベンチを指さす。
「あそことかいいんじゃないか?」
「...そうですね」
ちょっとは心を開いてくれたかと思ったけど、全然そんなことないな。うん。
ベンチに二人は対角線になるように座る。
「まぁ、特に何というわけじゃないが、適当にな。」
裕理は自分の背負っているバッグから教科書を取り出し、テストへの勉強をする。
彼女は暇なのかこちらの様子を少し窺ってるようだ。
「おじさん大学生だっけ?何学部?」
よくぞ聞いてくれました!なんと僕は天下の医学部医学科です!と叫びたいが、さすがにダサいのでやめる。
「医学部」
「へー、頭いいんですね。」
「知ってるのか?」
失礼かもしれないが、少し意外だった。
「同級生が話してるの聞いたことがあります。」
「お前高校生?」
彼女はコクリとうなずく。
「保護施設行ったら、お前は晴れて虐待とおさらばだ。今までは親に縛られてたかもしれないが、この先の人生は文字通りお前のものだぞ。お前はやりたいことないのか?」
「やりたいことですか...」
彼女は少し考えて
「幸せになりたいです。」
拍子抜けというか、もうちょっと具体的なことが出てくるのを期待した俺は驚く。
それでも彼女は少し声を落としながら続ける。
「でも私は汚れてます、知らない人に体を売って、体にも消えない傷跡があります。」
彼女は少しばかり涙ぐみながら、
「私が幸せになろうなんて、無理なんですよ。」
「お前は自分が幸せになろうとするのは無駄だって思ってるのか?」
「私はきっと何をしても幸せにはなれません...」
少しの間俺たちの間を沈黙が支配する。それを破るように、俺は言葉を発する。
「俺の持論だか、人生で一番効率の良い生き方は生まれた瞬間に死ぬことだ。」
「人は生きているだけで苦しむし、他人と自分を比べて自分を蔑んでしまう。幸せなことが無いわけではないが、それでも苦しいことの方が圧倒的に多い。」
「まずそんな生活を送ることが非効率的だ。」
「でも非効率、つまり無駄は悪いことじゃない。俺もこんな持論を持っているが死にたいとは思わない。人生は生きているだけで非効率的で、苦しくて、無駄だけど、不思議と人間は生を求める。人間は生に、つまり非効率にも価値を感じているっていうことだ。効率性とかそういうものだけじゃ測れないのが人間ってものなんだよ。」
「はぁ...」
彼女は何言っているんだという目で俺を見る。でもここで止まると尋常ではないくらい恥ずかしいし、ダサいのでもう止まれない。どうにか収拾をつけないといけない。
「まぁつまりは、お前が無駄だって思っていることも、お前の人生を支える1ピースになるのかもしれないってことだ。無駄から逃げるなっていうわけ。」
少し間を置いて、彼女は少し笑いながら言う。
「おじさん、ダサいですね」
もう彼女の声から悲しみは感じなかった。
夜が一層更ける。
俺は今日色々あって疲れたが、彼女を見守らないといけないでの、寝ない。
「お前は寝ろ」
彼女に向けていう。
「いや、いいですよ別に眠くないですし。」
そんなことはない。彼女が先程からあくびをかみ殺しているのを俺は知っている。
「明日は朝一で保護施設行くんだから、寝坊されると俺が困る。俺明日午後講義あるし、午前中にぱぱっとお前のことを保護してもらわないといけない。」
「いや、でも...」
彼女はなにか言いたそうな、言いたくなさそうな顔をしている。
「なんだよ?」
「その、本当に私の事...」
こいつもしかしてまだ俺が襲うと思ってんのか?
「俺がお前を本当に襲わないのかって?」
彼女は頷く。クソアマがと言いたいが、彼女が自分の体を大切にするようになったのは、幸せに向かっての一歩っていうことで、意外と嫌な気持ちではない。
「あのな、言うのもあれだけどおれは甘やかしてくれる優しい余裕のある女性がタイプなんだよ、お前みたいなふえふえー、みたいな余裕のない人間はお呼びじゃねーよ。黙って寝ろ。」
「...おじさんやっぱキモイですね」
今回の彼女の顔はガチだった。
朝日が昇る。彼女は毛布をかぶりながらベンチについている机に突っ伏して寝ている、正直裕理もめちゃくちゃ眠かったが、一応頑張った。
彼女が安心して寝ているのを起こすのは気が引けるが、さっさと保護してほしい。
「おい、クソガキ起きろ。」
彼女は少しビクっとし、目を覚ます。
「...おはようございます」
彼女は意外と礼儀正しく、挨拶をする。
「おはよう、保護施設夜閉まるの早いけど、朝開くのも早いからさっさと行くぞ。」
彼女は少し眠そうに、ついてくる。もうちょっと寝かせてあげたい気持ちが大きくなってきた。
「クソガキ、もう一回起こすまで寝てていいぞ。」
彼女はあまり頭が回ってないのか特に何も言わずにベンチに戻って寝る。
そんな彼女をよそめに、出費がいたーい、俺の貴重な金がー、と心の中で叫びながら、スマホでタクシーを呼ぶ。
五分後タクシーが到着する。
「おいクソガキ、一旦起きろ、車乗ったら寝ていいから」
彼女は寝ぼけたような足取りでタクシーに乗る。
おれは運転手に行き先を伝える。
「〇〇のNPO保護施設までお願いします。」
運転手は驚いた表情をしていた。
「彼女が...ですか?」
おれは静かに頷く。
隣を見ると彼女は静かな寝息を立てていた。
そういえばと付け加えるように運転手に伝える
「どこかコンビニに寄ってもらえますか?彼女の朝ご飯を買いたいので、待たせている間の金はもちろん払います。」
運転手は嫌な顔一つせずに、
「今回はそういう事情とのことで、特別に待っている間の代金はいりません。」
と言ってくれる。
「いえ、そういうわけにはいきません。彼女の事は僕の自己満足なので、運転手さんにご迷惑をおかけする必要はありません。」
運転手はふわりと笑って
「人間はお互いに助けて生きていくんです。私にも少しばかり手伝わせてください。」
裕理は少しばかり目頭が熱くなってしまった。
「ありがとうございます!」
コンビニにつき、タクシーを降りる。彼女を連れて店内へ入る。もちろん運転手への感謝の言葉は忘れない。
「何食べたい?」
俺は彼女に聞く
「おじさんはなににするの?」
彼女は今起きたばかりなのも相まって眠そうだ。
「俺は鮭かな、昨日食べれなかったし」
俺は笑いながら答える。
「そういう言い方意地悪ですね。じゃあ私も同じので。」
「二つ食べれるか?」
「いえ、一つでお願いします。」
自分と彼女の計二つの鮭のおにぎりを手に取る。ついでに水も手に取る。
「お会計580円になります」
こう考えるとコーラって高いなとか思いながら、会計を済ませ、タクシーへと乗り込む。
「3250円になります」
保護施設の前に到着した俺たちは、運転手に運賃を払う。
「朝早くすみませんでした、本当にありがとうございました。」
「いえいえ、とんでもない。彼女の事任せましたよ。」
「はい、自分が責任をもって彼女を保護してもらいます。」
そう短く会話をし、タクシーを彼女と共に降りる。
タクシーから降り、保護施設に入る前に朝ご飯を食べる。
自分の鮭おにぎりをひとつ取り、もう一つのおにぎりと水が入った袋を彼女に渡す。
彼女がおにぎりに口をつけようとした瞬間に聞いてくる
「おじさんの名前って何ですか?」
「佐々木裕理」
佐々木かぁ...彼女は呟くように言った。
その後二人の間に会話はなかった。
朝ご飯を食べ終わり、保護施設へと入る。
保護施設の職員さんは知り合い(嘘だけど)が連れてきたのも相まってかなりスムーズに対応してくれた。こういうことは日常茶飯事なのだろうと少し悲しくなる。
その後事務所へ連れていかれて、そこで軽い書類の事や彼女と職員の話し合いがあった。保護してもらえるそうだ。家にも帰らせるようなことはしないと職員は約束してくれた。
彼女は先に保護施設へ行き、俺はその後軽く経緯などを聞かれるため残って欲しいとのことだ。つまりここでお別れということだ。
職員さんが何か話したいことなどはあるかと俺たちに尋ねてくる。
「私やりたいことできたかもしれません」
彼女は思いついたように言った。
「なんだ?やりたいことって」
「秘密です。でもいつか分かるかもしれませんね」
分からないだろと思いながら彼女が出ていくのを見送る。
職員さんが
「佐々木さん、ありがとうございました。それでは彼女は私たちが責任をもって保護させてもらいます。」
はい、お願いしますと応える。
彼女が先に事務所から出る瞬間、
「おい、クソガキ」
彼女を呼び止める、
彼女は振り向きながら
「クソガキじゃないですー。
俺は軽く笑みを溢しながら言った、
「生きて、幸せになれ。彩音」
「病理、これ生検診断お願い」
皮膚科の講師が検体を置いていく。
俺は自分の作業をしながら他のに聞く
「誰か手空いてますか」
俺以外の病理医二人から同時に無理と返事が飛ぶ。
ここ大学病院でしかも結構デカいんだから三人の病理医(厳密には俺はまだ専攻医)じゃ回んねーよ。
前院長に相談しに行ったときも、最善は尽くすよって、いやそのセリフ聞いて実際に最善尽くされた記憶ないんだか?行けたら行くの親戚だろそのセリフ。
山ほど残っていた仕事がようやく終わった。医者年収高いけど、大学病院だとみなし公務員で年収も1000万超えないし(バイトすれば超えるけど)。今までの苦労と年収、労働時間鑑みるとそんなに割の良い職業でもなくないか?などと考える。
それはそれとして、疲れた。疲労困憊の中しっかりと後片付けをした俺偉い。
「おじさん」
後ろから声を掛けられるが、俺ではないので振り向かない。決して俺ではない、だって俺まで26だし。まだおじさんではない...
が、後ろから肩を叩かれながら「おじさん」と声を掛けられる。
俺は後ろを振り向きながら
「私は佐々木です。失礼ですね。」
その女性は「久しぶり」と言った。
誰?こいつ、本当に全く心当たりがなかった。
「すみません、どなたでしょうか?」
「えー、ひどい、私の事忘れたの?」
いや、お前みたいなやつ知らんて、誰だよ。てか俺の事おじさんってまるであいつみたいな...
「お前、あの時のクソガキか、家出少女。」
「ん、失礼なのはあなたですね。私は佐藤彩音です。名前教えたじゃないですか。」
「ていうか、
「なんであなたはそんなにデリカシーないのに、社会人として生きていられるんですか?」
「冗談だよ、生きててよかった。今幸せか?」
彼女は一息ついてから
「冗談って...伝えに来たんですよ、感謝とか言えていなかったことたくさんあるので。」
「感謝なんていらねーよ、見返りいらないって言ったろ。」
「おじさん、ちょっと話しませんか?」
「あぁ、いいけど」
その返事と同時に彼女は俺の手を引く。
「私の車駐車場にあるので、車の中でもいいですか?外寒いし他の人に聞かれたくないので。」
まぁ、デリケートな話だしな、仕方ない。
「いいぞ」
「どうぞ、入ってください」
彼女の車に乗り込む。彼女の車は黒いハッチバック系だった。
「これお前の車?俺より金持ってんじゃねーの?体は大切にしろって言っただろ」
「売ってません、家庭教師とかのバイトして買ったんですよ、中古ですけど」
「それで話ってなに?」
俺は少し急かすように言ってしまった。
「その前にこれどーぞ」
彼女はコーヒーを差し出してきた。
「あぁ、ありがとう」
「あの時のお礼です」
別に見返りはいらないっていたからどうでもよかったが、まぁもらえるもんは貰っとくに限る。飲むと芳醇なコーヒー豆の薫りが広がる。おいしい。
「それでおじさんにお願いがあるんですけど...」
こいつこっちの今の生活どうかっていう質問には全く答えんくせに自分のお願いやらばっかり図々しいな。
「俺の質問にも答...」
「私と付き合ってくれませんか?」
は?何言ってんのこいつ?何、保護施設で洗脳されたの?俺アラサーでお前大学生(多分)だし、てかまず俺に惚れる要素ないだろ。
「...」
心の声は凄く饒舌なのに、喉から声は出なかった。
「ダメですか?」
「...なんで?意味が分からん」
「私可愛くなりましたよね?おじさんに好きになってもらうために、保護施設出た後は、頑張って垢抜けたんですよ?おじさん医学部って言ってたし、頭の良い女性の方が好きかなって思って大学にも進学しました。おじさんと大学は違いますけど同じ医学部です。」
いや、それは分かる。最初見た時もおじさんって呼ばれなきゃ誰か分からないくらいに綺麗になっていた。医学部にも入ったのか、凄く努力したんだな。心の底から尊敬した。
それでも、
「いやだから、なんで」
「おじさんのおかげで、保護施設に入れたんです。その節はありがとうございます。正直別れるちょっと前位から好意はあったんです、でも吊り橋効果っていうんですか?私の人生でのビッグイベントを一緒に過ごしたから、興奮して脳が勘違いしてるんじゃないかなって」
彼女は続ける
「でも落ち着けば落ち着くほど、どんどん好意は膨らんでいって。きっと嬉しかったんです、人生で初めて私の事を、私の本質を見てくれた人だから。」
まっすぐと俺の目を見ながら
「おじさんが怒ってくれた時、驚いたけど嬉しかったです。二人で食べたおにぎり、公園で私に希望をくれたこと。そして...最後言ってくれたじゃないですか「生きて幸せになれ」って、私はおじさんとさえ居れば幸せなんです。」
俺も男だ、いくらあの家出少女とはいえ、美人にまっすぐに好意を向けられては嬉しい。でもその感情は好意ではないと思う。
「ごめん、そのお願いには答えられない。一つに君にはこの先俺よりもいい人を見つけるチャンスがたくさん来る、俺を神格化しすぎだ。そして二つに世間体を気にするようで悪いが俺はアラサーで君は大学生だ、世間的にも常識的にももう少し年齢がお互いに高ければまだしも、今の段階では不誠実な関係に見えてもおかしくない。」
「私は今おじさんと付き合いたいです、世間体とかこの先とかどうでもいいです。私の外見じゃ足りませんか?今お付き合いされてる方がいるんですか?それとも私はタイプじゃないですか?私みたいな年下の女性は嫌ですか?」
彼女の瞳は少しばかり水気を帯びていた。
「私一番じゃなくてもいいです、他の彼女さんができてもいいです。もしそれも嫌ならおじさんのそういう欲求の発散の為だけでもいいので、傍に居させてください...お願いします...」
「ちょっと待ってくれ、興奮しすぎだ。一度落ち着こ...」
突然視界がぐらっとする、あれ?どうしたんだ俺の体。
「こうなって欲しくはなかったです。ごめんなさい、悪いようにはしませんから」
おい、お前かよ、何入れたんだ。
そう声に出したかったが、空気は揺れなかった。
頭は良く回っていない、視界もぼんやりとしている。ただ何か暖かい声が聞こえる。
「頑張っててすごく偉いね♡」
「大好きだよ♡ゆーり♡」
「ぎゅーってしよ♡」
なんだ...これ...?
なんだろう...よくわからないな...
でもいいや、僕疲れてるし、甘やかして欲しい...
裕理はその温かさに抱き着いた。
「うんうん♡そうだね、ゆーりは甘やかしてもらうの好きなんだもんね♡」
「おねーちゃんがいっぱい甘やかしてあげるよ♡」
うん...そうなんだよ、小さい頃から母と義父は俺に興味なかったし、仕事では上司とか他の科の医者がいっぱいしごともってくるし、つかれたよ...
あいしてほしいよ...
「そうだね♡私と一緒にいる時はいっぱい甘えてもいいよ♡」
うん...だいすき...
裕理は再び気を失った
目が覚める。体は凄く怠いけど、心は不思議と温かかった。
...どこだここ?
体を起こしながらそう考えていると、隣からスースーというような寝息が聞こえてくる。
その音に目を向けると、隣には
「彩音?」
あれ?なんでこいつがいるんだ...?
彼女は俺の声で起きてしまったのか、
ゆっくりと目を開ける
「あ、おはよう、ゆーり♡」
どこかで聞いたような音だか、まぁいい。
「おい、これどういうことだよ」
彩音を問い詰める。
「えー、ゆーり忘れちゃったの?」
ゆーりって、お前は俺の事おじさんって言うはずだろ、などと思っていると少しづつ記憶が戻ってくる。
彩音と車で話をしたこと、コーヒーに薬を盛られたこと、気を失ったこと。
「おい、お前俺に何したんだよ!」
強めの口調で彩音に言う。
それでも彩音は動じない。
「ごめんね、ゆーり。コーヒーに薬を入れたのは私。そして気を失ったゆーりをここに連れてきたのも私。」
「薬?なんのだよ?っていうかここどこだよ?俺に何をしたんだよ!」
「ゆーりかわいい♡」
彼女は続ける
「フルニトラゼパムです、医学部の先輩として知ってますよねー♡」
フルニトラゼパム、簡単に言うとものすごく強力な睡眠導入剤。10分から30分ほどで効果が表れ、強制的に数時間意識を失わせるものだ。実際に不眠症などの処方薬として日本でも手に入れることができるが、
「あれは最近悪用への対策として液体に溶けると青色に着色するようになったはずだろ...!だからのコーヒーか...」
「うん♡ゆーりがお医者さんしっかりしてて、私嬉しい♡」
フルニトラゼパムもといサイレースは近年の悪用への対策として、日本では液体に入れると青く着色されるようになった。とはいえ、ブラックコーヒーの黒い色素の前では意味などなさない。ついでに薬品特有の苦みのあるが、ブラックコーヒーの苦みに紛れ込ませればバレにくくすることはできる。
彩音はもう二つ目の質問に答える
「ここは私の部屋だよ♡」
「なんでこんなことするんだよ」
彩音は少し表情を落としながら
「ゆーりが私から離れようとするからじゃん。ゆーりがいなきゃ幸せになれないよ。」
裕理は自分の放った「幸せになれ」という言葉が彼女の呪いになっていることに、恐怖を感じる。
「でもゆーり本当は私の事好きなんだね♡」
は?なわけないだろ、こんな誘拐みたいな事されて好きなわけない。
「何を言って...」
彼女はスマホの画面を俺に見せる。
そこには俺が彩音にハグされながら、彼女の事を好きと言っている映像が流れた。
その瞬間彼の頭に断片的ではあるが記憶が流れてきた、彩音に甘やかされている記憶が。
「いや、あれは俺の本当の気持ちじゃない!ただの薬による判断能力の低下なだけ...」
「判断能力の低下、つまりゆーりの本当の気持ちじゃない?」
「...いや、薬が作用している間は相手の言葉に影響されやすいから、言わされただけだ」
彼女はため息をつきながら
「ゆーりは頑固だね。まぁ、そんなゆーりも大好きだけど♡しかたないね、今日は帰ってもいいよ」
彼女は予想外にあっさりと俺を解放してくれた
「本当にゆーりが心配するようなことはしてないよ、本当に薬飲ませて、ここに連れてきて甘えさせてあげただけ、それで堕ちて欲しかったけどだめだったなー」
「...動画を消せ」
「えー、それはやだよー。ゆーりすごくかわいいからやだ」
俺は彩音の腕をつかみ力ずく消そうとする、
「えー♡私犯されちゃうー♡」
そんな彼女をよそに俺は無理やりスマホを奪う。
途端に彼女の表情が冷たくなる
「ゆーり?もし消したら私ゆーりに犯されたって警察行くよ。ゆーりが甘えてきたときに指紋べったりついてるし、ある程度は信憑性あるんじゃない?」
「...警察がそんな嘘に騙されるほど無能だと?」
「いいよ別に、私が逆に捕まっても。ゆーりと一緒に入れないなら生きてる意味ないから。」
こいつ、どうしたんだ?なんで俺にそんなに固執するんだよ...
とはいえ1パーセントでも俺が捕まる可能性があるのは遠慮したい。
「絶対に誰にも見せるなよ?」
「うん♡ゆーりのかわいい姿は私だけのものだもんね♡」
俺はできるだけその空間から離れたかったのもあり、彩音を無視して彼女の部屋を出た
勤務が終わった裕理はとてつもなくストレスが溜まっていた。
今日は特に忙しかった。手術は多いわ、患者も多いわ、上司の機嫌が悪いわ、既に三人しかいない病理医が一人辞めるわで散々だ。
そんなストレスが溜まった裕理の脳には、
"「ゆーりは良く頑張ってるね♡」「ゆーり大好きだよ♡」"
という彩音の甘い誘惑の声、頭をなでてもらった時の甘い快感が体中をむずがゆく駆け巡る。
あの日は恐怖で彼女へ怒りしかなかったが、時間が経つにつれ裕理は心の底からあふれ出るあれをもう一度味わいたいという気持ちが抑えきれなかった。
この関係は健全じゃない、それは分かってる。彼女は世界を知らなすぎる、それも分かってる。俺一人に固執しなければならない程世界は狭くない、そう教えなければならない、年上である俺が。
そのはずなのに、わかっているはずなのに、あの日以来、彼女に俺だけを見ていて欲しい、世界を知らないで欲しい、俺だけを受け入れて欲しいという気持ちが芽生え始めてしまった。分不相応な、自分勝手な気持ちが。不健全な関係に溺れそうになっている自分がいる。もちろん彼女への気持ちに愛情が無いわけではないし、それも大きな要素ではある。それはきっと彼女も同じだろう。それでも俺の彼女への気持ちは彼女の母性本能への誘惑と愛情の混ざりもので、純愛なんかとは程遠い。彼女の俺への気持ちもきっと純愛なんかじゃなく、愛情に依存や崇拝という感情が混じっているのだろう。そんな不純物でまみれた関係は長くは続かない、たとえ続いてもお互いに悪影響を与えてしまうだけ。
そう頭ではわかっているのに、彩音は僕を受け入れてくれた。無条件の愛をくれた。
その日裕理の足取りは喫茶店の前を通らなかった。
家出少女 柚月 @yuzuki_nn
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます