狼は追わずにいられない

多田野昇

第1話 退屈した女の子

 ここはとある病院の一般病棟。個室で入院している女の子は左右の髪でそれぞれ三つ編みを作っていた。

 入院生活は退屈極まりない。…極まりない…。

 極まっていなさそうな言葉なのに、限界突破してる時に使うのって、日本語合っているかな?

 限界を突破すると、限界が無くなるのかな?

 女の子はそんなことを考えていると、個室のドアがノックされた。コンコン。

 

 今日は面会の予定が入っている。

 ”しんじょうさん”って名前の人らしいけど、そんな名前の人は知り合いにはいなかった。

 どこの誰だろう?

 警戒よりも興味の方が強かったのは、”お見舞い”というのは退屈な入院生活に訪れる謎のBIGイベント、略して謎Bだったからだ。

 わくわくわくするに決まっている。闇の組織の工作員かもしれないし、落とした記憶がない、ガラスの靴を持ってきた人かもしれない。はたまた無精髭を生やした、なんでも無いナルシストなおっさんなのかもしれない。

 

「なんかこの声うるさいなぁ…。」

 

 失敬…。

 

「どうぞー。あいてまーす」

 

 ガチャリ。退屈を凌いでくれる謎Bの正体とは──

 

 ”一輪のバラ”

 

 白を基調とされた病室に映える真紅のバラだった。

 続いて部屋に入ってきたのは、セットするのに時間が掛かってそうな、明るめの無造作ヘアー、髭は綺麗に剃られていて、ほんの少しオーバーサイズに見える白のワイシャツは上のボタンが開いている。

 視線を落とすと、プレス跡の綺麗な紺のパンツ。くるぶしが見える丈で、黒のローファーを履いている。それも素足だ。

 そしてもう片方の手には、フルーツカゴらしきものを持っていた。

 

「よっ。元気かい?」

「あー。こんにちは」

 

 先日、滞在中のホテルまで送ってくれた、ナルシストな男だった。男はバラをワイシャツの胸ポケットにしまう。

 

「羊ちゃん…だよな?」

「はい。セット中でした。ナルシストさんですよね?」

 

「おう。ナルシストさんだぜ。

 またの名を”新城しんじょう”って言うんだ」

 

 羊と呼ばれた女の子は、三つ編みを器用にくるりと丸めてピンで止める。

 片方が終わるともう片方も。

 入ってきた男は部屋を見回しながら。

 

「そうやって羊ちゃんになるのか」

「はい。またの名を羊乃ひつじのって言うんです。

 ”羊乃ひつじの芽衣めい”です。でもどうして?」

 

「あいつに聞いたんだよ。あの探偵に。というかお前さん、あいつと知り合いだったんだな」

 

 あの探偵…。と言われて女の子が思い当たった人物は。

 

「…雷牙らいかさん?…もしかして新城さんって警察の人だったんですか?」

「もしかしなくても警察の人だぜ。お前さんも事故なんて、災難だったな」

 

 羊ヘアーの女の子は先日事故に会い、現在は検査入院中なのだ。

 

「幸いにも無傷です」

 

 女の子は手鏡を広げ、首を左右に振りながら横目で自身の髪型のバランスをチェックする。彼はくだものカゴを漁りながら

 

「くだもの食べるか?病院のごはんって尖ってないから、ナルシストには物足りないだろ?」

 

 女の子はクスリと息を漏らす。

 

「ナルシストじゃないので、物足りてますよー」

 

「そうかい」

 

 彼はニヤリと笑う。

 

「まぁ、無傷なのはなによりだ」

「ナルシスト呼ばわりされたので、心に傷を負っちゃいました」

「はいはい。俺が悪かったよ」

 

 彼はため息を吐き、続ける。

 

「あいつはまだ顔出してないのか?」

「雷牙さん?きっと今頃、犯人をぼっこぼこにしてるはずです」

 

 と、女の子は何もない空間に、気の抜けた拳を打ち込む。

 

「やっぱりあいつは追いかけているか。あいつはしつけーからな…。」

「ナルシストさんは追いかけなくていいんですか?」

 

 気づけば彼は何もない空間を見ていた。何もない壁を…。

 彼は女の子の方を振り返り、口を開いた。

 

「──そうだな」

「え?」

 

 困惑した女の子をよそに、彼は丸い椅子に座り女の子に向き合う。

 あるいは、自分の過去と向き合うように、

 

「どこから話そうか──」

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