第3話 好奇心
「小田原へ行きなさい」
その一言が落ちた瞬間、胸の奥が——ぱちん、と弾けた。
(小田原。あの、小田原だよね?)
企業都市の“最初の場所”。
歴史の教科書みたいな出来事の、現場。
それを、今から自分の足で踏める。
「……はいっ!」
気づいたら返事してた。早すぎる。自分でも分かる。
でも止まらない。だって——
(絶対、面白いやつだこれ)
向かいの倉木さんは、表情を大きく変えないまま、ほんの少しだけ目元を緩めた。
笑ってるのか笑ってないのか、判別しづらいタイプの“余裕”。
隣を見る。
東雲さんは、眉間にうっすら皺。
さっきからずっと、頭の中で何かを組み立ててる顔。
真面目すぎて、逆に心配になる。
「……具体的に、どういう調査ですか」
やっぱり聞く。
その声音は落ち着いているのに、部屋の温度が一段下がる気がした。
(うわ、空気が“行政庁”だ)
「いい質問」
倉木さんはコーヒーカップを置いて、机の上に視線を落としたまま言う。
「表向きは“都市調査”。現場を見て、学んで、帰ってくる。研修として成立する範囲でね」
“表向き”。
その言葉、さっきも出た。
私の背中の辺りが、ぞくっとする。
怖いというより——ワクワクのほうが強い。
「でも」
倉木さんは、顔を上げた。
真正面から、私たちを見る。
「本当は、“未来の材料”を拾ってきてほしいの」
未来の材料。
なんだそれ。かっこよすぎる。いや、意味が分からない。
「材料って……」
私が思わず口を挟むと
「言葉にできるやつじゃなくていい。むしろ、最初は言葉にならないもののほうが価値がある」
倉木さんは、さらっと言った。
当たり前みたいに。
でも、その言葉だけで分かった。
この人、現場が好きなんだ。
人が動いて、迷って、選んで、やっと生まれる“何か”が好きなんだ。
「この国は、三十年で“当たり前”が変わった」
倉木さんの声は淡々としているのに、芯がある。
「企業が自治体を運営する。いまの君たちにとっては、景色よね。でもね——変わる直前の痛みを、君たちは知らない」
私は息を飲む。
(知らない……いや、知ったつもりになってるだけだ)
教科書で読んだ。ニュース映像も見た。
でも、あれは“誰かの昔話”でしかなかった。
「小田原は、その最初の選択をした場所。だから始める価値がある。成功した都市だから、じゃない」
倉木さんは、少しだけ間を置いて、
「“成功”の裏側に、何が置き去りになったか。何が残ったか。誰が、何を背負ったか。そこに触れなさい」
——背負った。
その言葉が、胸に刺さる。
(なんか……これ、研修じゃない)
「つまり……数字だけじゃなく、街の“温度”を持って帰ってこいってことですか」
東雲さんが言う。
“温度”。その単語を出すの、意外だった。
もっと、制度とか、審査とか、そういう言葉が来ると思ってた。
倉木さんは、満足そうに頷いた。
「そう。あなた、やっぱり優秀ね」
東雲さんの表情が、微妙に固くなる。
褒められてるのに嬉しくなさそう。なんでだろ。
私は、もう黙っていられなくて身を乗り出した。
「えっと、じゃあ、小田原で——誰に会うんですか? 市役所? 企業? 住民? それとも……」
質問が多い。自覚はある。
でも、止まらない。
倉木さんは、少しだけ笑った。今度は分かる。ちゃんと笑ってる。
「会える人には、会えるだけ会いなさい。順番は決めない。あなたたちが引っかかったところが、答えに近い」
(え、自由すぎない?)
でも、その“自由”が怖いんじゃなくて、嬉しい。
「……ちなみに」
東雲さんが、もう一つだけ確かめるみたいに言う。
「なぜ、俺と天城なんですか」
空気が、少しだけ張る。
私も聞きたい。正直、めちゃくちゃ聞きたい。
倉木さんは、即答しなかった。
私たちを見て、ゆっくりと言う。
「二つ並べると、妙に綺麗だから」
(え、なにそれ)
「氷と火。論理と直感」
なんか、ちょっと照れる。
でも確かに——私は考えるより先に動くし、東雲さんは動く前に全部考える。
「合えば推進力。合わなければ摩擦。」
その言い方、ちょっと怖い。
上品なのに、妙にリアル。
でも笑いそうになるのを、ぐっと堪えた。——東雲さん、顔が真顔すぎる。
そして倉木さんは、さらっと締めた。
「——並べたわ。あとはあなた達が意味を作りなさい。」
その瞬間、背中がぞわっとした。
言葉が綺麗すぎる。
“意味をつくる”って、怖いくらい自由で、怖いくらい責任がある。
(……でも、好きだ)
「準備は任せる。移動手段も宿も手配済み。あなたたちは、小田原に行って、見て、聞いて、嗅いで、触ってきなさい」
嗅いで、まで言うんだ。
なんかもう、完全に旅じゃん。
「了解です!」
私が元気よく返事すると、
「……承知いたしました」
隣で、東雲さんが低い声で言った。
同じ返事なのに、重さが違う。
(この人、ほんとに生真面目だなあ)
でも——不思議。
さっきまで息苦しかったこの会議室が、今は少しだけ広く感じる。
外に出られるからじゃない。
“未来”って言葉のせいだ。
「じゃあ、行ってきなさい」
倉木さんは、何でもないみたいに言った。
「君たち自身の“未来”を、拾いに」
——私たちは立ち上がる。
小田原。
この国が最初に“変わった”場所。
そこで私は、まだ知らない“答え”と出会う。
そしてきっと——
これが、始まりになる。
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