ノイズ・キャンセル――追放された魔導教官は、復讐する暇があるなら基礎練したい

@dadada_anti

第01講:計算違いの断罪

「――以上の理由により、セシル・ロウ。貴様を国家魔導院から永久追放、および一級魔導師の資格を剥奪する」


 王宮の謁見の間。冷暖房の行き届いたその空間に、王子の冷酷な宣告が響き渡った。


 壇上から私を見下ろす王子の隣には、彼にしなだれかかる聖女の少女がいた。彼女が仕組んだ低俗なスキャンダル、そして「セシルが国家機密である魔導術式を横領した」という稚拙な捏造。それが、私から全てを奪った理由だ。


「……異議は?」


 王子の問いに対し、私はただ静かに銀のバッジを机に置いた。


「ありません。手続きを」


 周囲に集まったかつての同僚たちが、嘲笑を含んだ視線を投げかけてくる。


「あーあ、あの『氷の教官』もついに年貢の納め時か」「実力だけで厳しく指導してたみたいだけど、結局は時代遅れだったってことよね」「いい気味だ。いつも基礎だの何だの、うるさかったんだ」


 昨日まで私に媚びを売っていた者たちが、今は一番汚い言葉を選んで私を叩いている。王子が勝ち誇ったように笑い、指先を私に向けた。


「セシル。貴様のその傲慢な魔力回路、私のギフトで永久に閉ざしてやる。才能(魔法)のない世界で、精々惨めに這いつくばるがいい」


 不可視の鎖が私の全身を貫き、魂の一部が焼き切れるような衝撃が走る。魔力封印。一級魔導師としての私の源を強制的に遮断する、残虐な呪法。


 しかし、私は悲鳴を上げなかった。ただ、自らの内側で崩壊していく魔力回路の構造を、客観的に観察していた。


(……なるほど。第3層から第7層への接続を物理的に遮断する術式ね。強引だけど、構築自体は子供の火遊びレベルだわ)


「……退出します。お幸せに」


 私は背を向けた。一度も振り返らなかった。復讐? 悲嘆? そんなものに割くリソースは、私の脳内には1ミリも残っていなかった。




 追放から1週間。私は、都心の喧騒から遠く離れた場末の「魔導廃材置き場」にいた。


 かつての華やかな礼装はもうない。泥と油に汚れた作業服を着て、私は廃棄された魔導デバイスの山から、まだ使える部品を素手で漁っている。


「おい、元・お嬢様! 手が止まってるぞ!」


 現場監督の濁声が飛ぶ。私は泥にまみれた膝をつき、錆びついたボルトを回した。爪は割れ、指先からは血が滲んでいる。


「惨めなもんだな、セシル」


 聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには王子と聖女がいた。視察という名の、ただの冷やかしだ。


「どうだ、自分の無力さを噛み締めた気分は? 今さら泣いて許しを請えば、倉庫番くらいの職は用意してやってもいいが?」


 聖女がくすくすと笑う。「可哀想に。あんなに高慢だった人が、今はゴミ山で這いつくばってるなんて」


 二人は私の顔を覗き込み、絶望の表情を今か今かと待ち構えている。しかし、私の心は凪いでいた。それどころか、少しだけ苛立っていた。彼らの言葉が、私の「計算」を邪魔していたからだ。


 私は立ち上がり、作業服の土を軽く払った。目も合わせず、足元に落ちていた一本の錆びた鉄の棒を拾い上げた。かつて魔導の基礎訓練で使われた、魔力伝導率ゼロの練習用ロッド。


「……あ、そう。用件はそれだけ? 次の作業があるから、退いてくれるかしら。邪魔よ」


「……は?」王子が呆気にとられたような声を出す。「今、何と言った?」


「『邪魔だ』と言ったのよ。聴力に問題があるなら、今すぐ専門医の受診をお勧めするわ。時間は有限よ」


「貴様……自分が今、どれだけ底辺にいるか分かっていないのか!?」


 王子の声が怒りで震える。私は彼を無視して、手の中にある錆びた鉄棒の重量バランスを確認した。重心が左に3ミリほどズレているが、許容範囲内だ。


「底辺? ええ、そうね。回路はズタズタ、魔力はゼロ。おまけに明日食べるパンにも事欠くわ」


 私はロッドを正眼に構えた。その瞬間、私の周囲から不快な雑音が消えた。


「でも、おかげでようやく静かになったわ。……会食、パーティー、派閥争い。そんな無意味なノイズに割く時間は、今の私には1秒もないの。私は、ただ私のロジックを磨く。それだけよ」


「……っ、ふざけるな! 魔法の使えない貴様が、そんな棒切れで何ができる!」


 王子が最新式の魔導デバイスを起動した。王家に伝わるチート級のギフト。空間を焼き切る「獄炎の弾丸」が生成され、私に放たれる。


 速度、時速180キロメートル。熱量、摂氏2000度。普通なら、回避不能の死が確定する攻撃。


 しかし、私の目には、その炎がただの「お粗末な数式の集合体」にしか見えなかった。


 炎の流動係数、大気との摩擦抵抗、そして王子が才能に頼り切って疎かにした、術式の「継ぎ目」。私は一歩も動かない。ただ、手の中の錆びた鉄棒を、最短距離で突き出した。


 魔法の核となる論理の結節点を、物理的な衝撃だけで穿つ。


――パリン。


 乾いた音がして、最強の炎は霧散した。王子の頬を、ロッドから放たれた衝撃波が鋭く掠める。


「な……っ!? 魔法を、ただの棒で……!?」


「あなたの構築は派手だけど、中身がスカスカなの。1 + 1 = 2 と同じくらい単純な話だわ」


 私は、驚愕で固まる王子を視界から外し、再び足元のゴミの山へと視線を落とした。


「私を嘲笑いたいなら、勝手にすればいいわ。私はあいにく、自分を磨くのに忙しいの」


 私は背を向け、再び歩き出した。王子の罵声も、聖女の嘲笑も、もう届かない。


 今、私の脳内を占めているのは、封印された回路をどうやってバイパスさせ、物理運動のエネルギーを魔導的な事象へと変換するか。その膨大な計算式だけだ。


 どん底まで落ちて、ようやく見つけた本物の魔導への入り口。私の戦いは、復讐からではない。誰もが才能という名の奇跡に縋るこの世界で、ただ独り、技術の深淵へと足を踏み入れること。


「さあ、練習の時間よ」


 一万回やって、一度も間違えない。その狂気にも似た積み重ねの先にしか、本当の高みは存在しないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る