魔女と獣人
@YotubaToBakusyu
第1話 家族の食卓
王都の賑やかな大通りから外れ、石造りの建物が並ぶ路地の一角。そこにエマの家はある。
木造の小さな平屋の壁は、かつて母が塗り直した明るいクリーム色だ。日に晒され、わずかに色褪せているところも、家族が過ごした時間の証のようで愛おしい。小さな窓辺には母が育てたハーブの鉢が並び、通り抜ける風にほのかな緑の香りを乗せていた。
ゴツゴツとした父の膝の感触と、頭上から降り注ぐ大きな笑い声。少女エマにとって、その場所は世界で一番安心できる特等席だった。
大きな手が自分の頭をガシガシと撫でる。その無骨な掌の温かさに身を委ねながらふと視線を上げれば、向かい側には母がいた。二人を見守る母の瞳は、エマが知るどんな宝石よりもキラキラと輝き、綺麗だった。
夜の帳が下りると、家の中はテーブルに置かれた小さなオイルランプの光に包まれる。部屋には、母がコトコトと煮込む豆のスープのほのかに甘い香り、丁寧にアイロンをかけられた布から立ち上がる湯気の匂い、そして父の防具から漂う汗の匂いが満ちていた。それらが渾然一体となって醸し出す「家族の匂い」がエマは大好きだった。
部屋の中央、使い込まれた丸い木製テーブルを囲む椅子が三脚。その中で一番大きな椅子に、赤い髪をした立派な体格の父マイロが、少し窮屈そうに座っている。その膝の上には、同じく赤い髪の小柄なエマがちょこんと横向きに座り、父の顔を仰ぎ見るように小さな手を伸ばしては、父の髪に絡まった小さな葉や枝を嬉しそうに取り除いていた。窓に近い片隅の作業台では、母エアリスが針仕事をしている。色とりどりに整然と並べられた布切れの傍らで、繕われているのはエマの靴下だ。
ギルドの任務から帰ったばかりの父は、まだ興奮が冷めやらぬ様子で、その日の武勇伝を熱く語り始めた。
「それでな、話が全く通じなくて困り果てたんだが――結局のところ、男っていうのは、言葉が通じない相手には拳で語らなきゃならない時がある! それが、家族を守るってことだ!」
父が熱を込めてテーブルを叩くと、その振動でオイルランプの炎が微かに揺れた。 父の真剣な表情を間近で見ていた幼いエマは、父の膝の上で自分の小さな拳をぎゅっと握りしめる。
「そっか! エマも拳で語る!」
エマの真剣そのものの宣言に、作業台に向かっていた母の手が止まった。母は顔を上げ、優しくもどこか芯の通った視線で父を見据える。
「まあ、マイロ。この前も言いましたよね? エマの前で乱暴な言い方はやめて、と」
妻にたしなめられ、マイロは気まずそうに視線を泳がせた。
「エマ、あなたは女の子でしょう? 力で全てを解決しようとするのは、あなたのすることではないわ」
母はそう言い聞かせながら立ち上がり、エマの元へ歩み寄ると、その赤い髪をそっと撫でた。
父の力強い言葉と、母の優しい言葉。正反対の教えの間で、エマは目をパチクリとさせる。
「えーっと……そうだっけ? エマはエマだよ?」
きょとんとした顔から放たれた、あまりに純粋で正直な問い。父と母は顔を見合わせ、堰を切ったように腹の底から大声で笑い出した。
「そうだな、お前はエマだ! 間違いねぇ!」
父が屈託なく笑い飛ばせば、母も口元を緩める。
「でも、その言い返す気の強さは私の血ね」
父と母の温かい笑い声が、夜の部屋に響き渡る。その真ん中で、エマもまた、つられて満面の笑みを浮かべるのだった。
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