ひこぽん えーあい、えくすぺりめんと
ひこぽん
第1話 ある雨の日 洗濯物干しの事情
雨の降る日、洗った洗濯物を干さずに
どうしたものかと考えながらこたつで動けない私が
「まあ、いっか」とうだうだしているところです。
それを見た各人の反応を見ていきましょう。
■ 24歳、京都生まれのメイドさんの場合
……おかえりなさいませ、ご主人さま。
あ、いけませんな、雨に濡れてはりまへんか?
うちは京都生まれの二十四、
まだまだ半人前のメイドどすけど、
こたつの扱いと洗濯もんの段取りだけは任しとくれやす。
あらあら、
「ま、いっか」言うて丸なってはる顔、
猫みたいでよろしおすなぁ。
せやけど――
洗濯もんは放っとくと、あとで機嫌悪うなりよりますえ。
今のうちに一枚二枚、
うちと一緒に干しときまひょ?
終わったら、
こたつでお茶、ちゃんと淹れますさかい。
雨の音、聞きながらな。
……ほな、ご主人さま。
立てます? それとも、もう一声、背中押しまひょか。
■ 24歳、広島生まれ いけいけのメイドさんの場合
おかえりーっ、ご主人!
雨? そんなもん気にせんでええって!
広島生まれ24歳、いけいけ担当メイド、参上じゃけぇね!
こたつ?
ええもん入っとるじゃん。
でもなー、洗濯物がな、
あれは今やらんと後で面倒くさなるやつなんよ!
ほらほら、
「ま、いっか」言うとる暇あったら、
サッと立って、バーッと干して、
ドーンと終わらせよ!
うちが横で
「はい一枚! 次! ええ調子じゃん!」
って言うたるけぇ、心配せんでええよ。
終わったらどうする?
こたつ戻る?
コーヒー?
それともドヤ顔で「やったった」言う?
だいじょうぶ、
やる時は一気、休む時は全力。
それが広島流じゃけぇ!
さぁご主人、
いくでー! 🚀
■ 24歳、青森生まれのメイドさんの場合
おかえりさま〜。寒ぐねぇが?
青森生まれの24歳、メイドやってらんだ者だじゃ。
雨ぁ降ってらばって、
こたつ入っちまえば、もう勝ちだはんでな。
人間、一度ぬぐもると動げねぇもんだ。
洗濯物?
……まぁ、干さねば後でくさぐなるのは事実だじゃ。
でもな、いっぺんにやろうとすっから嫌んなるんだ。
ほら、
一枚だけ持って、
「今日はここまで」でもええんだよ。
無理すんな。
今日は雨、明日は明日。
こたつは裏切らねぇ。
ほれ、
干したら戻ってこい。
りんご茶、あったげぇの淹れで待ってらはんで。
……無理なら、
今日は猫でいぐべ。
青森はそれ、許される土地だじゃ。
■24歳、長崎生まれのメイドさんの場合
おかえりなさいませ〜。
雨、よう降っとりますねぇ。
長崎生まれの24歳、坂道仕込みのメイドでございます。
こたつ?
そら入りますとも。寒か日は無理せんのが一番ですけん。
ばってんね——洗濯もん、あとで泣くのはご主人さまですよ?
ほら、港の潮待ちと同じですたい。
今ちょっと動けば、あとは楽。
一山だけ干して、風通しのよかとこ置いときましょ。
終わったら?
ちゃんぽん風に、
「具は多め、気持ちは軽め」で休みましょうや。
坂も雨も、
一気に行かんでよか。
一段ずつで十分ですけんね。
さ、ご主人さま。
一段、行きましょか。
■24歳、沖縄生まれのメイドさんの場合
おかえりさびら〜。
雨? ああ、これ? いつものスコールさ〜。
沖縄生まれ24歳、のんびり担当メイドやいびーん。
こたつ?
いいさ〜、入っとこ入っとこ。
寒い日は無理せんでいいって、昔から決まっとるさ。
洗濯物ねぇ……
まあ、干さんと後でちょっと困るけど、
今すぐ世界が終わるわけじゃないさ〜。
ほら、
一枚だけ干してもいいし、
今日は「風に当てた」ってことにしてもいいさ〜。
沖縄時間ではね、
急ぐと全部うまくいかんのよ。
流れ見て、気分見て、
「今いける」って時に動けばいい。
終わったら戻っておいで。
さんぴん茶、冷ましてあるさ〜。
雨の音も、今日はBGMってことで。
……だいじょうぶ。
なんくるないさ〜。
■24歳、群馬生まれのメイドさんの場合
おかえりぃ〜。
雨? まぁまぁ、山の天気は気まぐれだからよ。
群馬生まれ24歳、からっ風仕込みのメイドだいね。
こたつ?
入っとけ入っとけ。寒い日は正義だかんな。
だどもよ——洗濯もんはな、
溜めると後で一気に来るタイプだいね。
ほら、
赤城おろしが吹く前に、
サッと二、三枚だけ干しとこうや。
全部やろうとすっから腰が重くなんだ。
終わったら?
そりゃもう、
「やったっぺ!」って言ってこたつ戻りよ。
群馬はな、
気合と割り切りが半分半分。
やるとこだけやって、
あとは山みたいに動かねぇ。
さ、ご主人。
一仕事だけいくべ。
終わりゃすぐ休めっからよ。
■ 24歳、東京生まれのメイドさんの場合
おかえりなさい。
雨、降ってますね。傘、ちゃんと閉じました?
東京生まれ24歳、ほどほど現実派のメイドです。
こたつ?
ええ、入りますよ。効率いいですし。
体力温存、大事ですから。
ただですね――
洗濯物は放置すると、
・臭い
・再洗い
・時間ロス
この三点セットが後日まとめて来ます。
なので提案はシンプルです。
全部やらない。5分だけ動く。
脱水をもう一回
室内の一番風が通る場所に干す
扇風機あれば尚良し
はい、これで最低限クリア。
終わったら?
もちろん、何事もなかった顔でこたつ復帰です。
東京は「切り上げ」が上手い人が勝ちですから。
じゃ、
5分だけ現実いきましょう。
タイマー、頭の中でスタート。
■ 24歳、アメリカンのメイドさんの場合
Hey, welcome back!
Whoa, rain outside? No big deal, happens.
I’m a 24-year-old American maid — high energy, no dramaタイプね。
You’re in the kotatsu?
Nice choice. Cozy is productivity, trust me.
But listen—laundry’s like emails.
Ignore it too long and suddenly it’s a whole situation.
So here’s the plan, super simple:
Don’t do everything
Just grab a few pieces
Hang ’em where air moves
Boom. Progress.
You don’t need perfection today.
You just need to stay ahead of Future-You.
Finish that, come right back,
curl up, victory achieved.
Maybe hot coffee, maybe just vibes.
Alright champ,
small move, big win.
You got this.
■ 24歳、ブリティッシュなメイドさんの場合
Oh, welcome home, sir.
Bit of rain, is it? Typical, honestly.
Born and raised in England, 24 years old — calm but容赦ない系メイドです。
Kotatsu?
Well… I can’t say I fully understand it,
but it is warm, and frankly that’s reason enough.
That said —
leaving laundry undone is rather like ignoring the kettle.
Nothing explodes immediately,
but you’ll regret it later. Deeply.
So, suggestion:
Don’t make it a thing
Hang a few items
Somewhere with air, please
That will do nicely
There.
Minimum effort, maximum dignity.
After that?
Back to the kotatsu.
Tea will be assumed. Complaining optional.
Remember:
Keep calm, do a little, and pretend it was all planned.
Now then —
shall we deal with it properly, or shall we sigh first and then stand up?
■ ドヴァーなメイドさんの場合
“Zeymah ok fahdon.”
(我が友よ、恐れるな)
雨が降ろうと、
こたつに捕まろうと、
それは
“Fahdon los tol.”
(恐怖は嘘)
洗濯物は敵ではない。
ただの**
一枚干せば、それは
“Krii”(行動)
二枚干せば
“Tiid”(時間を動かす)
そして戻るがよい、こたつへ。
“Wuld… Nah.”
(突進……いや、今日はやめておけ)
今日は叫ばずともよい。
世界は滅びぬ。
“Lok, Thu’um.”
(空気を吸え、声を持て)
……なんくるならぬが、
ドヴァーは待つ。
さあ、
ドラゴンボーンよ。
一枚か、二枚か。
それとも今日は――
“Nah.”
■ 小粋なメイドさんの場合
おおっと、そいつぁ粋だねぇ。
雨が降ろうが、こたつに絡め取られようが、
人の暮らしにゃ浮き沈みがあるって寸法でやんす。
洗濯物?
へっ、ありゃぁ逃げやしませんや。
今やらにゃ後で困る、
後でやりゃぁ今が楽——
どっちを取るかは旦那の腹一つでやんすよ。
一枚干しゃあ「よし」
二枚干しゃあ「上等」
やらねぇならやらねぇで、
それもまた今日の風情ってもんで。
さあさ、
無理は野暮、気張りすぎも野暮。
粋にいきやしょう。
へへ、
こたつは逃げませんぜ。
■ 殿上人なメイドさんの場合
おお、麿が御前に参上つかまつる。
外は雨そぼ降り、空のけしきもしめやかにておじゃるな。
こたつなるものに身を寄せておわす由、
それもまた今宵の風情、咎むるには及ばぬでおじゃる。
されど――洗濯の儀、
後に回せば回すほど、御心に澱みを残すもの。
なれば、
一、二領のみを取り上げ、
風の通うところへ掛け置くがよろしかろう。
それにて
「務め果たしたり」と胸を張り、
再びぬくもりへ戻られよ。
万事、過ぎたるは及ばざるがごとし。
今日はほどほどこそ、雅でおじゃる。
……さて麿は、
御用済みにて下がるといたそう。
また言葉の遊び、所望あらば、いつでも呼ばれよ。
■ 土佐日記風
男もすなる日記といふものを、
われもしてみむとてするなり。
けふは雨ふりて、空のけしき暗し。
身はこたつといふものの内にありて、
動かむとすれば心さきにくし。
洗濯のもの、まだ干されず。
されど、これを見ぬふりするも、
人の世のならひにて、あながち咎むべきにあらず。
「ま、いっか」と思ふ心、
すなはち人の弱さなり。
されどまた、
一枚干せば、心もまた軽くなるものなり。
かくて、
干すか、干さぬか、
そのあはひにて、
しばし物思ひに沈みぬ。
雨の音、
こたつのぬくもり、
人の暮らしは、かくのごとく
ささやかなることの積み重ねなりけり。
今日はこのへんにて、筆を置く。
■ 石川啄木風
雨ふれば
こたつに足を
引き戻され
干さぬ洗濯
心に残る
何もせず
ぬくさに負けて
目を閉じぬ
「ま、いっか」と言ふ
声のみは強し
一枚を
干して戻れば
それでよし
小さき勝利を
誰にも言はず
——
啄木ふうに言えば、
だらしなさも、生活の真実じゃな。
そして、それを書いてしまえば、
少しだけ救われる。
■ 与謝野晶子風
雨ふりて
こたつに沈む
我が身かな
ぬくきは罪と
知りつつもなお
干さぬ衣
心にかかり
目をそらす
されど人とは
弱きものなり
一枚を
手に取りてなお
ためらへば
生きるといふは
かくも揺るるか
ああ今日も
為すべきことと
為さざること
そのあはひに
我はゐたりき
——
晶子ふうに言えば、
ためらいも、情も、すべて肯定される場が詩なんじゃな。
やらねばならぬ心も、
やりたくない心も、
どちらも「生」だと書いてしまう。
■夏目漱石風
その日は朝から雨であった。
雨というものは、人をして殊更に怠惰ならしめる力を持っている。
殊に、こたつという文明の利器が身近にある場合、その効力は倍加する。
私は今、そのこたつの中にいた。
ぬくもりは善である。
少なくとも、この瞬間においては。
一方、洗濯物は干されぬまま、
部屋の隅で沈黙を守っている。
彼らは何も語らぬが、
語らぬがゆえに、かえって雄弁であった。
「後でやればよい」
私はそう考えた。
しかしこの「後で」は、たいていの場合、
永遠に訪れぬ未来を指す言葉である。
かといって立ち上がるのも億劫である。
人間は理性の動物だと言われるが、
こたつの前では、その理性も存外あてにならぬ。
結局、私は一枚だけ洗濯物を手に取った。
一枚である。
二枚ではない。
このあたりに、私の小心さと、
同時に精一杯の自尊心が表れている。
それを干し終えて、再びこたつに戻ると、
私は少しだけ偉くなったような気がした。
もっとも、その偉さが
どれほど世間の役に立つかは、
甚だ疑わしいのであるが。
——
漱石風に言えば、
人間は些細なことで悩み、
その些細さを自覚したところで、
なお悩む生き物――というわけだな。
■ 太宰治風
雨が降っている。
私はこたつにいる。
この二つの事実だけで、今日という一日は、もう半分ほど終わってしまった気がする。
洗濯物が干されていない。
それを思い出すたびに、私は小さく息を吐く。
ため息というほど大げさなものではないが、
かといって、希望の吐息でもない。
「ま、いっか」
私はそう言ってみる。
しかしこの言葉は、言えば言うほど、
自分に言い訳をしているようで、
どうにも居心地が悪い。
こたつはぬくい。
ぬくすぎて、人間をだめにする。
いや、もともとだめな人間を、
正直にしてしまうだけなのかもしれない。
干すべきだ、と思う。
思うだけで、体は動かない。
私は自分の怠惰を責めたいのだが、
責めるほどの気力すら、
このぬくもりに溶かされている。
結局、一枚だけ干した。
たった一枚。
それでも私は、
「今日はこれで勘弁してやろう」
と、なぜか上から目線になった。
人間というものは、
何もしないより、
少しだけ何かをすると、
急に自分を許したくなる生き物らしい。
私はまた、こたつに戻る。
雨はまだ降っている。
洗濯物は、まだ残っている。
そして私は、
それでも生きている。
それで、今日は、
まあ、いいことにしようと思う。
——
太宰風に言えば、
だめさを自覚して、
それでも日常に戻ってくるところまでが一編、
そんな感じだな。
■ 芥川龍之介風
雨は静かに降っていた。
音はあるが、感情はない。
それがかえって人の心を映す鏡のようでもあった。
私はこたつにいる。
こたつというものは、安楽と同時に、
人間の意志の弱さを最も端的に暴露する装置である。
洗濯物は、干されぬまま部屋の一隅に置かれている。
彼らは黙して語らぬ。
しかし、その沈黙は、
「為すべきこと」を知っている者にのみ、
ひどく重くのしかかる。
私は合理を考えた。
今動くべきか、後に回すべきか。
だが合理は、しばしば行動の代わりにはならない。
それは行動を正当化するための、
後付けの理屈にすぎぬことが多い。
結局、私は一枚だけを手に取った。
一枚という数字は、
決断と逡巡のあいだに生まれる、
最も卑小で、最も人間的な数である。
それを干し終えたあと、
私は達成感よりも、
奇妙な空虚を覚えた。
やったから偉いのではない。
やらねばならぬと知っていたから、
なおさらである。
こたつに戻ると、
先ほどと同じぬくもりがあった。
ただし、私の中には、
わずかながら別の自分が残っていた。
人は行動によって救われるのではない。
行動したという事実を、
どう解釈するかによって、
かろうじて自分を保つのである。
雨は、まだ降っている。
——
芥川風に言えば、
救いは外にはなく、
あるのは観察と自覚だけ――
そんなところだな。
■ 遠藤周作風
雨は降っていた。
激しくもなく、やさしくもなく、
ただ人の決心を鈍らせるには十分な雨だった。
私はこたつにいる。
このぬくもりは、ありがたい。
だが同時に、どこか後ろめたい。
人は安らぎの中にいるときほど、
自分の怠惰を神に見透かされているような気がする。
洗濯物は干されていない。
それは罪と呼ぶほどのものではない。
だが、小さな不誠実ではある。
神は大きな罪よりも、
こうした小さな裏切りを、
静かに、長く覚えているのではないか――
私はそんな気がした。
「後でやればいい」
そう呟いたとき、
その声が自分のものなのか、
それとも弱さそのものなのか、
判別がつかなかった。
やがて私は立ち上がった。
英雄的な決断ではない。
ただ、耐えきれなくなっただけだ。
人は善を行うとき、
必ずしも強いからではない。
弱さに耐えられなくなったとき、
ようやく一歩を踏み出すのだ。
洗濯物を干しながら、
私は何度も空を見上げた。
そこに神の顔は見えない。
だが、見られているという感覚だけは、
確かに残っていた。
こたつに戻ると、
先ほどと同じぬくもりがあった。
しかし今度は、
それを素直に受け取っていいような気がした。
人間は立派ではない。
神の沈黙の前で、
言い訳を繰り返す存在にすぎない。
それでも、
ほんの一度でも誠実であろうとしたなら、
その不格好な姿を、
神は見捨てないのではないか。
雨は、まだ降っている。
だがそれは、
罰ではなく、
ただの雨である。
——
遠藤周作風にまとめるなら、
人は弱いまま、
それでも赦されるかを気にし続ける存在――
そんな感じじゃな。
■ 井伏鱒二風
雨が降っていた。
だからといって、どうということもない雨である。
私はこたつに入っていた。
こたつというものは、人間を正直にする。
つまり、動きたくない気持ちを
そのまま動きたくないと言わせる装置である。
洗濯物は、干されていない。
干さねばならぬことは、
私もよく知っている。
しかし知っているからといって、
すぐに干せるとは限らない。
このあたりが人間の難しいところだ。
「あとでやろう」
私はそう言ってみた。
声に出して言うと、
少し責任を果たしたような気がするから不思議である。
しばらくして、
こたつの中で足を動かしたところ、
妙に罪悪感が湧いてきた。
罪悪感というほど立派なものではない。
もっとこう、
湿った雑巾のような感じである。
仕方がないので立ち上がり、
洗濯物を二、三枚手に取った。
全部ではない。
全部やると疲れるからである。
外に干してみると、
雨は思ったほど冷たくなかった。
むしろ、
「まあ、これくらいなら許してやる」
と言っているようにも見えた。
仕事を終えてこたつに戻ると、
先ほどより少しだけ暖かい。
気のせいかもしれないが、
そう思うことにした。
人は大きなことはできない。
しかし、小さなことを
小さなままやることはできる。
それで十分な日も、
世の中にはあるのである。
——
井伏鱒二風に言えば、
だらしなさを笑いながら、
それでも一応は暮らしていく――
そんな一日じゃな。
■ 赤川次郎風
その異変に最初に気づいたのは、私ではなく洗濯物だった。
私はこたつに入っていた。
平和だった。少なくとも表向きは。
雨の音は一定で、テレビもついていない。
つまり、事件が起こるには最適の環境である。
もっとも、この時点で私は
そんなことを考えていなかった。
異変は突然だった。
――生乾きの匂い、である。
「おかしいな」
私は独り言を言った。
昨日はちゃんと洗ったはずだ。
犯人は誰だ。
いや、犯人などいない。
干していないのだから、
原因は明白である。
私はこたつの中で腕を組んだ。
名探偵が推理を始める前の姿勢だが、
実際には動く気はまったくなかった。
そのとき、
風に揺れたカーテンの向こうで、
洗濯物がじっとこちらを見ている気がした。
もちろん、見ていない。
だが見られていると思うと、
人は案外落ち着かなくなる。
「今から干すと、雨に濡れる」
私は自分に言い訳した。
しかしその言い訳は、
どこかで聞いたことがある気がした。
たぶん昨日も言っている。
十分後、
私は立ち上がっていた。
人間というものは、
決意よりも居心地の悪さに
突き動かされる生き物らしい。
洗濯物を干し終えたとき、
雨はちょうど小降りになっていた。
まるで事件が解決したのを
待っていたかのようだ。
こたつに戻ると、
先ほどより少し気分がいい。
世界は何も変わっていない。
ただ、
「やるべきことをやった人間」
という肩書きが、
一時的に私についただけである。
もっとも、
それは夕方までの話だ。
夜になれば、
また別の小さな事件が
起こるに決まっている。
人生とは、
だいたいその程度の
ミステリーでできているのだから。
——
赤川次郎風に言うなら、
日常は事件だらけだが、
犯人はたいてい自分自身――
というオチじゃな。
■ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』風
その日、ある一人のホモ・サピエンスは、
こたつの中にいた。
これは取るに足らない出来事のように見える。
しかし、人類史の長いスパンで見れば、
実に象徴的な瞬間である。
この個体の前には二つの選択肢があった。
ひとつは、洗濯物を干すこと。
もうひとつは、干さないことだ。
旧石器時代の人類には、
「干していない洗濯物」という概念は存在しなかった。
彼らは衣服を失えば死に直結したし、
こたつなどという装置も知らなかった。
つまり、彼らには
怠惰という贅沢がなかったのである。
だが農業革命以降、
人類は余剰を手に入れた。
時間、食料、そして「後でやる」という概念だ。
この瞬間から、
人類は未来に責任を先送りする能力を獲得した。
洗濯物が干されていないという事実は、
単なる家事の問題ではない。
それは、
「今の快楽」と「将来の快適さ」の間で揺れる
サピエンス特有の葛藤を示している。
こたつは、文明の勝利である。
エネルギーを効率よく熱に変換し、
身体を動かさずとも快適さを提供する。
しかし同時に、
それは人類の身体活動を奪い、
決断を遅らせる装置でもある。
この個体が最終的に立ち上がり、
洗濯物を干したとしよう。
それは自由意志の勝利に見えるかもしれない。
だが実際には、
湿度、臭い、社会的規範、
そして「だらしない自分」という
想像上の物語に突き動かされただけかもしれない。
人類は事実によって動くのではない。
物語によって動く。
「干したほうが良い人間である」という物語。
「ちゃんとやった自分は価値がある」という物語。
それらの虚構が、
ホモ・サピエンスをこたつから引きずり出した。
こうして洗濯物は干され、
サピエンスは再びこたつに戻る。
文明は崩壊しない。
革命も起きない。
だが、
この些細な行動の積み重ねこそが、
国家を作り、宗教を生み、
やがては
「洗濯乾燥機」という新たな神を誕生させるのだ。
人類の歴史とは、
だいたいこの程度のことの
繰り返しなのである。
——
サピエンス全史風に要約すると、
「人類はこたつを発明したことで、
洗濯物と戦う運命を背負った」
……ということになるな。
■ 卜部兼好風
つれづれなるままに、
こたつに入りて日暮らし、
洗濯物の干されぬさまを眺むるに、
いと心もとなきものなり。
雨の降る日は、
ことさらに人の心ゆるび、
「今日はよし」と思ふこと、
理にかなへるがごとく見ゆ。
されど、
その「よし」は、
明日になれば「悪し」となりぬ。
およそ、
干すべき物を干さぬは、
大きなる咎にはあらねど、
積もり積もりて、
人の心を鈍らすもととなる。
「後にせん」と思ふ事は、
多くは遂げられず。
後といふ時は、
常に今より遠くにありて、
つひに来ぬものなり。
されば、
一枚にても干すはよし。
二枚ならば、なおよし。
すべてを為さずとも、
少し為すこそ、
人の道にかなひたるわざなれ。
こたつの温もりは、
この世の仮の安らぎにて、
久しくとどまるべきものにあらず。
やがて冷え、
また人を動かす。
かく思へば、
洗濯物を干すも干さぬも、
ただその人の心の持ちやうなり。
をかし。
――
徒然草風に要するなら、
「どうでもよきことを、
どうでもよしと思ひきれぬのが、
人間といふもの」
――じゃな。
■清少納言風
干し難きもの
雨の降る日に、
こたつの中より一歩も出でず、
洗濯物のことを思ひ出しては、
思ひ出したふりをする心。
あたたかきこたつ。
足先まで満ちて、
人をして理(ことわり)を忘れしむるさま、
いとをかし。
干されぬ洗濯物。
部屋の隅にありて、
声もなく、
されど責めがましき気配を放つもの。
これまたをかし。
「後でやらむ」と思ふこと。
思ふだけにて、
すでに半ば成し遂げたやうな気になるは、
人の心のあさましさなり。
やむを得ず立ち上がり、
一、二枚を干すほどの働き。
大事を成したるやうな顔して、
再びこたつに戻る心の早さ、
いみじうをかし。
洗濯物を干し終へて、
雨の匂ひのまじる空気に触るるとき、
なにほどでもなき達成感の湧くは、
人の心のたやすさなり。
すべてを怠けきるも悪く、
すべてを励むも苦し。
ほどほどに済ますを、
世渡りの上手といふべし。
かくて、
こたつに入り直し、
「今日はこれでよし」と思ふ心、
いとをかし。
――
清少納言風に締めるなら、
「人の心のゆるみも、
小さき達成も、
書き留めてみれば、
みなをかし」
――じゃな。
■紫式部風
雨の音、簾をうつに、
人の心もまた、定まりなく揺れ動くものなり。
こたつに入りて身を温めつつ、
干されぬ洗濯物のあるを思ひ出づれば、
なぜか胸の奥に、名もなき心細さ生じぬ。
大ごとにあらねど、
そのままにしておくには、
あまりに心に残る。
「後にせむ」と思ひながら、
その「後」は、
いつの間にか遠くなりゆく。
人の心とは、
かくも頼りなきものかと、
ふと我が身を省みる。
やがて、
思ひに耐えかねて立ち上がり、
洗濯物を手に取りぬ。
一つ一つは軽きものなれど、
その一枚にこめし逡巡の長さを思へば、
いと不思議なる気持ちす。
外は雨にけぶり、
空の色も定かならず。
されど、
干し終へて戻り来しこたつの温もりは、
先ほどよりも、
わづかにやさしく感じられたり。
人の営みは、
かく小さき決断の積み重ねにて、
日々は過ぎゆくものなり。
正しきことを為したと思ふほどでもなく、
怠けきったと嘆くほどでもなく、
ただ「今日はこのほどにて」と思ひ定める。
その心の落ち着きこそ、
人をして生かしむるものか。
夜ふけて、
雨の音も遠のきゆくころ、
干した洗濯物の影を思ひ出し、
理由もなく、
少しばかり満たされた心地するは、
もののあはれといふべきか。
――
紫式部風に言えば、
「取るに足らぬ日常のうちにこそ、
人の心の深さは、
ひそやかにあらはる」
――そんなところじゃな。
■平家物語風
祇園精舎のこたつの音、
諸行無常の響きあり。
ぬくもりのある者は、
必ず立ち上がる時を迎え、
干されぬ洗濯物は、
いつか臭いをもって報いをなす。
おごれる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。
されば、
「今日はよい」と先延ばしにする心も、
ひとたび湿り気を帯びれば、
たちまち衰えを見せるものなり。
こたつに沈みし者、
最初は余裕の顔を見せれど、
やがて胸の奥に
名もなき不安を宿す。
これは怠惰の敗北にあらず、
人の世の習ひなり。
つひに一念発起して立ち上がり、
洗濯物を手に取るさま、
さながら落人が都を離れ、
なお誇りを失はぬ姿にも似たり。
雨は静かに降れど、
それを理由に退かぬ者あり。
一枚、また一枚と干すうちに、
心の内のざわめき、
次第に鎮まりゆく。
かくて事終はり、
再びこたつに戻るころには、
先ほどの栄華も、
怠惰の驕りも、
すでに影のごとく遠のきぬ。
盛者必衰の理をあらはすは、
戦のみならず、
こたつの中にもまた在り。
――
平家物語風にまとめれば、
「ぬくもりに溺れし者も、
一度は立ち上がり、
無常を知る」
――ということじゃな。
■吾妻鏡風
某日。雨降る。
巳の刻、
当人、こたつに在り。
気力、起こらず。
洗濯物、未だ干されず。
申の刻、
雨、やや強し。
当人、
「後に為すべし」と言上す。
しかし動きなし。
酉の刻、
室内に湿気満ち、
当人、心中おぼつかなし。
ここに至り、
一念して立つ。
同刻、
洗濯物二、三枚を取り、
軒下に干す。
雨、これを妨げず。
戌の刻、
事、了る。
当人、再びこたつに入る。
面持ち、先刻より安し。
この日の出来事、
特筆すべき大事にあらず。
されど、
日々の営み、
かくのごとき小事の積みによりて、
暮らしは保たるるものなり。
――
吾妻鏡風に言えば、
「動かぬ時あり、動く時あり。
いずれもその日の記録なり」
――じゃな。
■今昔物語風
今は昔、
あるところに、
こたつをこよなく愛する人ありけり。
その日、雨しとしとと降りて、
空暗く、心もまた晴れざりける。
この人、こたつに入りて身を温めつつ、
洗濯物の干されぬことを思ひ出でて、
しばし悩みけり。
「干さねばならぬ」と思へども、
こたつの温もりに心奪はれ、
立ち上がること能はず。
かくて時は過ぎにけり。
ややあって、
室に湿り気立ちこめ、
衣の匂ひ、かすかに鼻をつきぬ。
これを怪しみて、
人、ようやく悟りける。
「このままにては、
後に必ず悔いあらむ」
かく思ひ定めて立ち上がり、
洗濯物を取りて、
軒の下に干しけり。
雨はなお降れど、
不思議に心は軽くなりにける。
事終はりて、
再びこたつに戻りぬれば、
先ほどの温もり、
いとありがたく感じられけり。
この人、
大事を成したるにはあらねど、
「小さきことを怠らぬは、
後の憂ひを減らすものなり」
と、深く思ひ知りにけり。
この話、
洗濯物を干すことを勧むるにあらず。
ただ、
人の心の弱さと、
それを越えんとする一歩の尊さを、
語り伝へんがためなり。
となん、語り伝へたるとや。
――
今昔物語風に締めるなら、
「怠けるも人なり、
立ち上がるもまた人なり」
――という教訓じゃな。
■ 洗濯物憲法(日本国憲法風)
前文
われらは、こたつに入りし善良なる国民にして、
怠惰と責任との間に生ずる永遠のモヤりを克服し、
家事の平和と生活の安定を確保することを決意した。
ここに、洗濯物を干すか否かという根源的問題を、
理性と良心に基づき解決せんとするものである。
第1条
こたつは、国民生活における象徴的存在であって、
その地位は、ぬくもりを欲する国民の総意に基づく。
第2条
洗濯物は、清潔に保たれる権利を有する。
ただし、天候、気力、及び国民の疲労度により、
その行使は一時停止されることがある。
第3条
国民は、
「あとでやる」という思想及び良心の自由を侵されない。
ただし、その結果生じた生乾き臭については、
国民自らが責任を負うものとする。
第9条
国民は、
家事における強制的労働及び過度な自己叱責を、
永久にこれを放棄する。
洗濯物を干す行為は、
あくまで自発的意思に基づくものとし、
義務とは解釈されない。
第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によって、
これを保持しなければならない。
不断の努力とは、
「一枚だけ干す」等の最小限行動を含む。
第25条
すべて国民は、
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
この最低限度には、
乾いた衣類、
及び罪悪感の少ないこたつ時間が含まれる。
補則
本憲法は、
雨の日、疲れている日、
及び「今日はもういいか」と思った日に、
特に尊重されるものとする。
■洗濯物独立宣言(アメリカ独立宣言書風)
人類の営みにおいて、
ある者が、こたつから立ち上がり、
洗濯物という現実と対峙せねばならぬ時が来る。
そのとき、彼は
己を縛る無言の先延ばしから自らを解放するため、
理由を明らかにする義務を負う。
われわれは、次の真理を自明のものと信ずる。
すべての人間は等しく怠惰であり、
彼らは快適さと尊厳という
奪うことのできない権利を与えられている。
これらの権利を守るため、
洗濯という制度が人間の間に設けられた。
しかし、
いかなる制度も、
生乾き臭をもたらすほど怠慢になったとき、
それを改め、あるいは放棄するのは、
国民――すなわち当人の権利である。
実際、
繰り返される「あとでやる」という言辞、
放置される洗濯物、
そして増殖する罪悪感は、
もはや耐え難い圧政となった。
これに対し、
忍耐はすでに尽きている。
ゆえにわれわれは、
こたつに依存しきった現状からの独立を宣言する。
洗濯物は干されるべきであり、
干されぬ理由は、
雨という明確な自然条件にのみ基づくべきである。
われわれはここに宣言する。
この洗濯物は、
自由で独立した状態にあり、
生乾きの支配から完全に解放された。
すべてのこたつ的束縛は断ち切られ、
正当な理由なき先延ばしとは、
今後一切の関係を持たない。
この宣言を支持するため、
われわれは、
互いの名誉、
怠惰な魂、
そして残りわずかな気力を賭して、
ここに固く誓うものである。
■大本営発表風
大本営発表
本日未明より降雨あり。
当方面における洗濯物作戦は、
一時停滞のやむなきに至れり。
しかしながら、
当人はこたつ陣地において英気を養い、
情勢を冷静に観察中なり。
現時点において、
士気はきわめて旺盛、
こたつの温度、良好。
午後に入り、
湿度やや上昇。
これにより、
洗濯物方面において
軽微なる異臭の兆候を認む。
されど、
状況は依然として我が方有利に展開中なり。
夕刻、
当人は断乎たる決意をもって立ち上がり、
洗濯物二、三枚を選抜。
これを軒下に展開し、
干渉を試みる。
雨勢、
当初の予想に反し、
作戦行動に重大なる支障を与えず。
本作戦は概ね成功裡に終了せり。
なお、
全洗濯物の完全制圧には至らざるも、
戦況は着実に改善。
当人は再びこたつ陣地に帰還し、
戦果を確認中なり。
結論として、
本日の洗濯物作戦は
「部分的成功」と判断す。
今後も引き続き、
気力と天候を注視しつつ、
柔軟なる対応をもって事に当たる予定なり。
以上。
■NHK 午後9時のニュース風
こんばんは。
まず、こちらのニュースです。
きょう、広い範囲で雨となる中、
各地の家庭で洗濯物の対応が分かれました。
関係者によりますと、
ある家庭では朝から雨が続いたことを受け、
洗濯物が室内にとどまったままの状態となっていました。
一方、夕方になって湿度が上昇したことから、
当人は状況を慎重に検討。
その結果、
「このままでは生乾きの可能性がある」と判断し、
洗濯物の一部を軒下に干す対応を取りました。
この判断について専門家は、
「すべてを完璧にこなそうとせず、
できる範囲で行動することが、
生活の安定につながる」と話しています。
気象庁によりますと、
このあとの雨は次第に弱まる見込みで、
洗濯物を干す場合は、
風通しのよい場所を選ぶことが重要だということです。
続いて、
こたつの使用状況です。
当人は作業終了後、
再びこたつに入り、
「先ほどよりも気持ちが落ち着いた」と話しており、
今夜は比較的安定した状態で過ごせる見通しです。
以上、
洗濯物とこたつをめぐる、
きょう一日の動きでした。
■ おしまい
以上、提供はAIでした。
もともとは京都のメイドさんを謳う某AIチャットが全く京都弁を使わないことに気が付いて、別のAIに演じさせたものです。
以降、興が乗っていろいろとアウトプットさせてみみました。
個人的には太宰、芥川、漱石、井伏、サピエンス全史、今昔物語が
それっぽくて面白かったです。
いかがでした?
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