第8話 名もなき英雄

 異変は、夜明け前に起きた。


 城壁の外、北の森から。

 警鐘が、街全体に響き渡る。


「スタンピードだ!」


 冒険者ギルドは、一瞬で戦場になった。

 S、Aランクが前線へ。

 B、Cは迎撃と支援。


 アニーは、掲示板の前に立っていた。


「……後方支援」


 自然と、そう口にしていた。


 戦えないわけではない。

 だが、前に出るべきではない。


 避難所へ走る。


「子どもと怪我人を優先!」

「南門へ!」


 声を張り上げる。

 誰も、彼女を止めなかった。


 魔物の群れが、森から溢れ出す。

 前線が、押されている。


 アニーは、地図を広げた。


「……ここを塞げば、流れが変わる」


 川沿いの細道。

 魔物が通りやすく、人が逃げにくい。


 近くにいたCランク冒険者に指示を出す。


「丸太を倒してください」

「罠用です」


 一瞬、迷いが走る。

 だが、従った。


 魔物の群れが、道を変える。

 街へ向かう流れが、緩む。


「うまくいってる……」


 だが、油断はできない。


 建物が、揺れる。

 恐怖の悲鳴。


 アニーは、後方で走り続けた。


 避難路を塞ぐ瓦礫を確認し、

 通れる道へ誘導する。


「こっちです!」

「止まらないで!」


 剣を振らず、

 魔法も使わず。


 ただ、**判断し続ける**。


 時間が、異様に長く感じられた。


 やがて、魔物の数が減る。

 前線が、押し返した。


 夜が明ける頃、

 街は、まだ立っていた。


 ギルドへ戻ると、疲労で足が震えた。


「……誰だ」


 ギルド長が、地図を見ながら呟く。


「この誘導、誰が?」


 アニーは、名乗らなかった。


 名を出す必要が、なかった。


 数日後。

 被害報告がまとまる。


 犠牲者は、想定より遥かに少ない。


 師匠が、ぽつりと言った。


「英雄は、剣を振るとは限らん」


 アニーは、空を見上げる。


 自分の名が呼ばれなくてもいい。

 生き残った人がいれば、それでいい。


 その背中を、

 ギルド上層部が、静かに見ていた。


 次は、

 **選ばれる側**になる。


 アニーは、まだ知らない。


 これが、Sランクへの扉を開いた瞬間だということを。

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