第2話 弱者の戦い方
森の奥は、思った以上に静かだった。
鳥の声も、風に揺れる枝の音も、どこか遠い。
アニーは足を止め、しゃがみ込む。
地面に残る、ぬめった跡。透明に近い粘液が、枯葉の裏側に細く伸びている。
「……いる」
スライムは気配が薄い。
だから初心者が油断する。
気づいたときには、足元から絡みつかれている。
短剣を逆手に持ち、呼吸を整える。
教わったことはない。だが、何度も失敗して覚えた。
――焦るな。見ろ。
ぬちゃり、と嫌な音がした。
前方、木の根元から、半透明の塊が這い出てくる。
拳ほどの核が、体内でぼんやりと光っていた。
「一体……」
数を数えるのは、早すぎるとよくない。
増えることがあるからだ。
アニーは後退しながら、地形を確認する。
右手は小さな水たまり。
左は倒木と、踏み固められていない柔らかい土。
スライムが近づく。
反射的に、短剣を突き出した。
弾かれた。
「っ……!」
衝撃が手首に走る。
刃は粘液に飲み込まれ、押し返された。
ダメだ。正面からは。
アニーはすぐに後ろへ跳ぶ。
スライムが追ってくる。速度は遅いが、確実だ。
さらに、別の音。
ぬちゃ、ぬちゃ。
「……二体」
最悪だ、と思った。
だが、立ち止まらない。
走る。
一直線ではなく、回り込むように。
水たまりへ向かい、ぎりぎりで進路を変える。
追ってきたスライムが、そのまま水に落ちた。
動きが鈍る。
水を吸い、体が膨らんでいく。
次の一体は、倒木のほうへ誘導する。
ぬかるんだ土に沈み、速度が落ちた。
息が切れる。
足が震える。
でも、まだだ。
アニーは距離を取り、短剣を握り直す。
核を見る。位置を確認する。
「……そこ」
ぬかるみに沈んだ一体へ、横から刃を差し込む。
粘液が裂け、手応えがあった。
核に、届いた。
ぐずり、と音を立てて、スライムが崩れる。
力が抜けそうになるのを、必死でこらえる。
残り一体。
水たまりの中で、まだ動いている。
膨張し、重くなった体は、這い上がれない。
時間をかけていい。
焦らなくていい。
アニーは周囲を確認し、背後に注意しながら近づく。
短剣を、上から、真っ直ぐに。
核を砕いた瞬間、すべてが終わった。
その場に座り込んだのは、勝ったからではない。
生きていることを、確かめたかったからだ。
「……終わった」
手は泥だらけで、膝は震えている。
革鎧にも粘液が飛び散っていた。
格好は最悪だ。
でも、死んでいない。
ギルドに戻ると、解体証明を確認した受付嬢が目を瞬かせた。
「……討伐、成功ですね」
「はい」
周囲から、ひそひそと声が聞こえる。
「時間かけすぎだろ」
「正面から倒せないのか」
アニーは何も言わなかった。
自分が弱いことは、誰よりも知っている。
だからこそ、正面から戦わない。
掲示板の前を通り過ぎながら、心の中で呟く。
――勝てなくてもいい。
――逃げてもいい。
生きて帰れれば、それでいい。
それが、最底辺の冒険者が見つけた、
たった一つの戦い方だった。
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