中国猫の虐待ビジネスに関するレポート
サバトラヒロ
はじめに
#中国猫の虐待ビジネス――正確には「中国の猫達の虐待ビジネス」であるが、この言葉を目にして、いったい何を意味するのかと首をかしげる方も少なくないだろう。私自身もまた、X(旧Twitter)を通じて初めてこの言葉に触れたとき、その背後にある現実を即座に理解できたわけではなかった。
しかし、#中国猫の虐待ビジネスで、Instagramなどでも関連する投稿をたどるうちに、次第に一つの輪郭が浮かび上がってきた。それは、単なる噂話や誇張ではなく、中国において実際に猫達が組織的に虐待され、それが「金儲け」として成立しているという、あまりにも残酷で、あまりにも現実的な事実であった。その瞬間、怒り、嫌悪、そして深い無力感が入り混じり、頭の血が沸騰した。
では、彼らはどのようにして金を稼いでいるのか。その手口は、単純である。猫、それも抵抗する力のない子猫を中心に、拷問とも呼ぶべき虐待を加え、その様子を動画として撮影し、ファイル化する。そしてそれを、世界中に存在する動物虐待愛好家と呼ばれる者たちに販売するのである。苦痛に歪む姿、恐怖に震える鳴き声、命が尊厳を踏みにじられていく過程そのものが、商品として流通している。
本来、私は自らの生い立ちや人生経験を綴った、いわゆる自分史を書くつもりであった。幼少期から現在に至るまでの経験を丁寧に振り返り、読者に関心を持ってもらい、その延長線上、最終章としてこの中国猫の拷問ビジネスという問題を告発する――それが当初の構想であった。しかし、自分史という作業は思いのほか困難を伴った。記憶の整理、言葉の選択、構成の迷い。「ああでもない、こうでもない」と逡巡を重ねるうちに、時間だけが過ぎていった。
私が机に向かい、筆の進まなさに悩んでいる間に、すでに2025年12月、渋谷ではすでに約80人規模のデモ行進が行われ、中国における猫の虐待、そして拷問ビジネスに対する抗議の声が、街頭という公共空間で明確に可視化されている。その事実を知ったとき、私は衝撃と同時に、ある種の焦りを覚えた。私が書こうとしていた「告発」は、すでに現実の行動として先行していたのだ。正直に言えば、私のレポートなど遅すぎるのではないか、とさえ感じた。
それでもなお、私はこの問題を言葉として残し、記録し、伝えることには確かな意味があると考えている。街頭の声と同様に、文章には文章の役割がある。沈黙は、結果として現状を追認することに等しい。知らなかったふりをすること、見なかったことにすることは、加害の構造を温存することにつながる。だからこそ私は、たとえ遅すぎると感じられようとも、この中国猫の拷問ビジネスについて書くことを選んだのである。これは告発であり、記録であり、そして何よりも、声なき猫達へのささやかな愛情の意思表示である。
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