また明日! ~転校生の彼女は私と同じ炎使いでした~
ヅレツレ愚者
12月1日、転校生がやってきた!
朝。目を覚まして布団から出たら、部屋に満ちた冷たい空気が私、
その空気が昨日と比べて一層冷たくなったように感じるのは、昨日までは11月で、今日から12月が始まるからなのだろうか。
「さ、さむ……」
思わず声が漏れ出る。とにもかくにも、と小さな火の玉を中空に出現させて暖を取った。
科学技術の進んだ昨今、火を扱えるなんていうのは早々役に立たない
昨日で期末試験が終わった。11月の後半はずっと試験勉強で、正直げんなりしていた。今日からしばらくは解放感に浸れる。
火の玉をかたわらに浮かべたまま、階段を降りて洗面所に向かう。
蛇口をひねると水の冷たさに思わず手を引っ込めた。お湯が出るまで待とう。
鏡に映る自分の顔はいつも通りのぼんやりした寝起き顔。
特別可愛くもなく、特別何かがあるわけでもない、普通の顔。
化粧水を手に取って、改めて今日から12月が始まるということについて考える。
……特に何もなく新しい月が始まるだけな気がする。強いて言えば暇つぶしに遊んでいるソーシャルゲームのショップが更新されるくらい。
髪をブラシで梳かしている間も考えていたが、12月になったからといって変わるなにかは気温以外に思いつかなかった。
着替えてリビングに向かえばトーストの焼ける香りがする。
「おはよう、灯花」
「おはよう、お母さん。……あれ、お父さんは?」
「もう行っちゃった、月初で忙しいんだって」
お母さんはこちらに笑顔を向けながら料理を続ける。
「あ、暖房ついてるでしょ? 火の玉しまっちゃって大丈夫よ」
「たしかに。ありがとうお母さん」
お母さんから言われて、私は起きてから私を温め続けてくれていた健気な火の玉を消した。
私の持つ火を扱う異才はお母さんと同じものだ。でも今お母さんはガスコンロで料理をしながら暖房で部屋を暖めていて、事務の仕事をしている。
当然それが悪いことだとは思わないけど、世の中には異才を活かして働いている人がたくさんいる。
火を操って人を救う消防士とか。治癒の異才で命を繋ぐ救急医療士とか。
そういう人たちは「異才があってよかった」と心から思えるんだろうな、などと考えてしまう。
私は、自分の異才があってよかったと思ったことがあんまりない。
その気持ちこそがなんとなく自分の未来を示唆しているようで少し憂鬱なのは、まだちょっと寒いのだろうか。それともお腹が減っているからか。
朝ご飯を済ませて母親に行ってきますを告げ、学校へ向かう。
自転車に跨って駅へと漕ぎ出せば12月の寒気が顔を刺す。愛しき火の玉を呼び出してかたわらに置きたい寒さではあるものの、自転車の速度で移動する火の玉は単純に危険極まりない。公共の場における火の扱いについてはその規模に応じて法律や条例で制限がある。
空を見上げれば冬という言葉から想起される鉛灰色の空ではなく、まさしく冬晴れと呼ぶべき澄んだ青空が広がっていた。今の時期ならまだ路面凍結の心配もなく、顔を刺す冷たい空気にさえ慣れてしまえば自転車を駆るのは気持ちがいいものだ。
10分程度の心地よいサイクリングを終え、駅前の立体駐輪場に自転車を止め、駅へ入る。早紀はまだ来ていないようだった。
手持ち無沙汰にスマホを見ていると目の前を小学生くらいの男の子たちが2人、走り去っていく。寒いのに元気だなぁと微笑ましく思ってスマホに視線を戻してすぐ、どてんと音がした。
音のほうを見ると先ほど走り去った男の子のうち1人が転んでいた。転んだ子は数秒してから堰を切ったように泣き出した。
「大丈夫?」
とは声をかけたものの当然ながら返事はなく、目の前の子は泣き声をあげている。
見るとそれなりにしっかりと膝を擦りむいていた。とりあえず駅ナカのコンビニで消毒液と絆創膏を買って応急処置をしようかと思った時だった。
「ボク、大丈夫だよ」
振り返ると、早紀がいつの間にか隣に立っていた。
「あっ、早紀」
「おはよう、灯花。ちょっと待ってて」
私の挨拶を遮るどころか挨拶をする前に早紀は泣いている男の子の前にしゃがみ込む。相変わらずせっかちだ。
「お姉ちゃん誰……?」
少し落ち着いてきたのか男の子も返事をした。
「通りすがりの……お医者さん。ほら膝見せて、今治してあげるから」
男の子がおずおずと膝を差し出す。血が滲んで、見るからに痛そうだ。
早紀は擦りむいた膝に手をかざした。淡い光が生まれる。
光が膝を包んで、数秒。裂けた皮膚が塞がり、血が消え、赤みが引いて、元通りの綺麗な膝に戻った。
「はい、おしまい」
「……えっ、すごい! 痛くない!」
男の子が目を輝かせた。さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。
「お姉ちゃんすごい! ありがとう!」
「でしょ? でも走ると転ぶから、次から気をつけなね。ほら、お友達待ってるよ」
早紀が促すと、男の子は「ありがとう!」と元気よく言って、待っていたもう一人の子のところへ駆けていった。……こう言われてすぐに走っていくあたり、なんとも元気な小学生らしいというか。
「さすが早紀」
「別に大したことじゃないよ。ほんの数秒戻しただけだしね」
早紀は立ち上がりながら何でもないことのように言った。
その異才は治癒や治療を行うもの……ではない。
時間干渉。時空に作用する第四類の異才。対象の事物の時間に干渉し、巻き戻すこともできれば時間を経過させることもできる。
たとえばああやって傷を治すこともできるし、壊れたものを修復したり、もっとすごい時間干渉の能力を持つ人は現在以外の時間を観測したり、因果操作なんかもできるらしい。
言っちゃ何だが火の玉を出して温まっている私とはワケが違う。
「灯花、どうしたの? ぼーっとして。電車来るよ、早く早く」
「あ、うん」
早紀に急かされて私たちは一緒にホームへと歩き出した。
◇◇◇
電車に乗り込むと、ちょうど二人分の席が空いていた。早紀が「ラッキー」と小さく呟いて腰を下ろす。
「やっと試験終わったね」
「ね。数学やばかった……」
早紀が切り出した話題に私は思わずため息をついた。
「灯花、数学苦手だもんね」
「早紀は余裕そうだったじゃん」
「まあ、普通かな。詩織には敵わないけど」
それはそう。詩織さんに敵う人なんていない。
「そういえば今日から12月だね」
「だね。試験終わったばっかりなのに彩羽が騒ぎそう」
「あぁ……」
私が切り出した話題に早紀が乗ってくる。そしてその切り返しに私は思わず遠い目をしてしまう。
変身能力を持っていて、誰にでも変身することができる。私くらいの発想力でもいくらでも悪いことが思いつく能力なのだけど、本人はあくまでいたずらくらいにしか使っていない。
そしてその太陽は最近、来る受験シーズンに怯えている。
「『もう12月だよ!?』とか言いそうだよね」
「間違いない。『実質青春はあと4ヶ月しかないんだよ!?』まで見える」
「あはは、絶対言う~」
彩羽ちゃんの口調を真似して言う早紀に思わず笑ってしまう。
「まぁ詩織がなだめてくれるでしょ」
早紀が事もなげにそう言った。
「詩織さんはわざわざ受験勉強とかしないんだろうな~」
「あの異才だしそもそも頭いいからね、詩織は」
詩織さんの異才は第五類、つまりは特異系に分類される「なんかわからないけどすごい系能力」だ。
その異才は「
つまりはテストにめっぽう強い。
「じゃあ詩織さんだけ青春1年延長きっぷってこと?」
「でも詩織のことだから絶対気遣うよ」
早紀がショートボブの毛先をいじりながら言った。
「それはなんか悪いなぁ……」
詩織さんには詩織さんの読みたい本があって、やりたいことがあるはずだ。それを私たちの受験勉強に付き合わせて不自由をさせるのは、なんというか、申し訳ない。
……まあ、詩織さんは絶対そんなこと気にしないで「一緒に勉強するの楽しいわよ?」とか言うんだろうけど。それはそれで、余計に申し訳ないというか。
「詩織のことより灯花はどうするの?」
「私? 私はのんびりやるかなぁ。でも火の異才に推薦枠みたいなのないし普通受験だと思う。早紀は? 第四類はあるでしょ、推薦」
「普通に受けるよ。異才推薦って入ったあと大変らしいし」
そう言うと早紀は髪をいじっていた手を止め、腕時計に目をやった。
「そろそろじゃない?」
車内案内表示器を見る。たしかに次は高校の最寄り駅だった。次の駅がどうとかではなく時間で覚えているのがなんとも早紀らしいというか。
「次だね。今日も一日が始まるなぁ」
席を立つ。しばらくして電車が止まってドアが開き、暖かい車内に冷たい空気が吹き込んだ。いつも通りの一日の始まり。
◇◇◇
「とうか~!さきっち~!」
教室に入るが早いか、彩羽ちゃんが私たちに抱き着いてきた。そうだ、今日はいつも通りの日ではない。電車の中で話していたのに忘れていた。今日は彩羽ちゃんの月初の嘆きがある。
「わっ、彩羽ちゃん……!」
私はなすすべなく抱き着かれるが、早紀はさっさと異才を使って逃れていた。
「あぁ、さきっちが逃げた! まぁでもいっか、灯花捕まえたし~。あったかぁ~」
顔に頬ずりされると「面倒だなぁ」と思いながらもしているせっかくの保湿が取れるとか、もはやその扱いは人間じゃなくてカイロなんじゃないかとか、言いたいことはいっぱいある。
だがそんな私の内心はお構いなく、彩羽ちゃんのマシンガントークは止まらない。
「朝起きた時ほんと寒くてさ~。地球が全球凍結したのかと思った本当に! スノーボールアース! 世界の終わり! でも灯花が暖かいしまだまだ世界は終わりませんなぁ。いや11月は終わったんですけども……ねぇ、とうか~! 今日から12月だよ! 試験終わったと思ったらもう12月! 受験勉強始まったら私たち世間から大学0年生みたいな扱いを受けて手錠と首輪をつけられて椅子と机の前に縛り付けられるんだよ!? 実質私たちの青春はあと4か月しかないんだよぉ!?」
「早紀、ヘルプ!」
「パス」
ヘルプに対して無理とかじゃなくてパスってなんだ。自分だけ時間干渉で逃げてずるいぞ。
「おはよ――」
そろそろ私の制服で鼻水でも拭き始めるんじゃないかという雰囲気が出始めたところで、教室の扉を開けて救世主が現れた。
「あぁ、詩織さーん! 助けてー!」
詩織さんのあいさつすら遮って助けを求める。
「あら、灯花ちゃん――あ、彩羽ちゃん! だめよ? また灯花ちゃんに迷惑かけて~」
「詩織ねぇ~」
詩織さんが一言注意すれば、彩羽ちゃんは誘蛾灯に誘われる夜の虫のような足取りで詩織さんに向かっていった。
「12月だよぉ~11月が終わったよぉ~」
「うんうん、そうねぇ。12月になっちゃったわねぇ」
詩織さんは彩羽ちゃんの背中をゆっくりと撫でながら、おっとりとした声で相槌を打った。
「でもね彩羽ちゃん、4ヶ月『しか』ないんじゃなくて、4ヶ月『も』あるのよ?」
「……4か月なのは同じじゃない?」
助けてもらった立場で恐縮だけど私もそう思う。
「ぜんぜん違うわ。だって彩羽ちゃん、1ヶ月あれば何回騒げる?」
「……いっぱい?」
そうだね。でも彩羽ちゃんは1日でもいっぱい騒ぐから正しくはいっぱいの30倍かも。
「そうでしょう? 4ヶ月分のいっぱい。たくさん楽しめるじゃない」
「……詩織ねぇ、なんかごまかされてる気がする」
「あらあら、気のせいよ」
詩織さんがにこにこと笑う。絶対気のせいじゃない。
「まぁじゃあいいや~。と、いうわけでおはよ、詩織ねぇ! さきっち! 灯花!」
「えぇ、おはよう」
「あいさつより先に飛び込んでくるのやめなよね、おはよう」
「おはよう、彩羽ちゃん」
こうしていつものように朝のあいさつを交わす。私は1日が始まる実感がするこの時間が好きだった。
でもホームルームまではまだ少し時間がある。彩羽ちゃんがいるのにホームルームまでの時間を静かに読書でもして過ごしましょう、とはならない。
「おっと、それはあいさつさえ済ませたら飛び込んでもいいってことぉ?」
さっそく彩羽ちゃんが早紀の
「失言だったから訂正する、私には飛び込みも抱き着きも禁止。手品同好会に近づかれると持ち物確認しなきゃいけないんだから」
あっ、と思ってさっきまで長時間にわたって彩羽ちゃんに抱き着かれていた私も持ち物を確認し始める。……大丈夫そうだけど本当に大丈夫かな? 心配だ。
「ちょっと! 手品同好会と演劇部のことを悪く言うのはいいけど私のことは悪く言わないでよ!」
「普通逆でしょそれ。あと演劇部の話は今してない」
「そんなことより~」
彩羽ちゃんは早紀のツッコミなんて聞いちゃいない。
「ねぇさきっち、髪切ったよね? いいじゃん美容院どこ~?」
言われて早紀を見る。え、ほんと? 切った? 言われてみれば毛先が少し短くなっているような気もするけど、正直わからない。
「あんたは別に美容院とかいらないんだからどこでもいいでしょ。っていうかよくわかったね。灯花は気づくそぶりもなかったのに」
「え~、灯花ありえな~い」
ヤバ、こっちに矢が飛んできた。でもたしかに早紀は電車の中でしきりに髪をいじっていた。髪切ったからだったんだあれ。
早紀の冷ややかな視線と彩羽ちゃんのわざとらしいくらいのジト目を向けられた私はさながら裁断を待つ罪人と化したのだけど。
「あらぁ? でも2人も灯花ちゃんの変化に気が付いてないでしょう? ねぇ、灯花ちゃん?」
地獄にも蜘蛛の糸が垂れるように、救いの手というのはどこにでもあるものだ。詩織さんが助け舟を出してくれた。
その助け舟に全力で飛び乗るべく私は彩羽ちゃんと早紀のほうを向いてなるべく自信ありげに二度三度うなずく。
実際のところ別に何も変わったり変えたりはしていないのだが、こういう機転も効くところが詩織さんは本当に頼もしい。
ともあれ私自身も何かを変えたと言っている以上、安易に何も変わってないと断じることはできないはず。悪魔の証明、白いカラスを探しに行くと良い!
「……うーん?」
案の定彩羽ちゃんのマシンガントークが止まる。
「……」
早紀も無言で私を見る。
2人の視線が私の全身を舐めるように観察していく。頭のてっぺんから足の先まで、鑑定士が
普段からツッコミに回っている早紀はともかく、彩羽ちゃんが黙って人を観察しているとなんだか落ち着かない。
「……眉毛?」
「特別整えてないよ」
「まつげ伸びた?」
「伸ばしてないし伸びないよそんな急に」
彩羽ちゃんが次々と推理を繰り出してくるが、全部外れだ。当然である。何も変えていないのだから。
「……灯花、本当に何か変えた?」
早紀が疑わしげな目で私を見る。
こちらは彩羽ちゃんと違って最初から懐疑的だ。
早紀との付き合いは長い。付き合いが長いわりに私は早紀が髪を切ったことに気がつかなかったわけだけど、早紀はそういうことにしっかり気が付くタイプだ。
その長い付き合いと自分の観察眼に対する信頼、それと私の言葉を天秤にかけたら自分への信頼のほうに天秤が傾くのだろう。あれ、もしかして悲しい話?
「さあ……? 言ったら答えになっちゃうし」
見た目を変えたとは言ってないし、あながち嘘とも言い切れない。
肌着を変えました~とか言っても嘘じゃないのだ。そんなこと言おうものなら普通に
「むむむ……」
彩羽ちゃんが腕を組んで唸る。変身能力を持っている彩羽ちゃんにとって、人の変化を見落とすのは沽券に関わるのかもしれない。
「あ、もうこんな時間」
早紀が教室の掛け時計を見て言った。見れば確かに、ホームルーム開始の時間が近づいている。
普段なら口うるさく「早く早く」と急かしてくる早紀が時間に言及するだけで急かさないのは、まだ私の変化を探ることを諦めていないからだろう。
「うー、今日のところは引き分けってことで……」
「最初から勝負してないよ」
「いいや勝負だね! 私は絶対見つけるよ、灯花が何を変えたのか!」
彩羽ちゃんが人差し指をびしっと私に向ける。プライドを刺激したらしい。狙い通りではあるけど。
「うふふ、仲良しねぇ」
救世主の詩織さんはにこにこと私たちのやり取りを見守っている。
この人はいつもこうだ。一歩引いたところから私たちを見て、嬉しそうに微笑んでいる。お姉さんというか、お母さんというか。
今回はある種発起人でもあるのでその微笑みが少し意味深に見えなくもないが、それが意味深に見えているのは私だけだ。
「詩織はどのタイミングで気が付いたの? というか答え教えてくれてもいいんだけど」
早紀が詩織さんに水を向けた。詩織さんは困ったように小首を傾げる。
「んー、でも灯花ちゃんが言わないのだったら私から言うのもちょっと……ねぇ?」
優しすぎる。なぜこんなにも詩織さんは優しいのか。ちゃんと研究してみれば慈愛の女神の生まれ変わりとかであることが判明するかもしれない。
そんなことを話しているうちに、予鈴が鳴った。
「あ、やば」
「ほら、席着くよ」
早紀に促されて、それぞれが自分の席に戻っていく。
私も自分の席に座って、先生を待つ。
窓際の席だ。視線を外に向ければ、冬晴れの青空が広がっている。
今日も何でもない一日が始まる。12月1日。昨日が11月30日で、明日が12月2日。そんな当たり前の日常が続く。そう思っていた。
本鈴が鳴って、担任の山本先生が教室に入ってきた。山本先生は四十代半ばくらいの男の先生で、異才は風の系統。普段は穏やかだけど、授業中に寝ている生徒には容赦なく風を浴びせるので油断がならない。
「えー、ホームルームを始める前に、ひとつ連絡があります」
山本先生がいつもと少し違うトーンで切り出した。なんだろう。面倒な連絡じゃなければいいんだけど。
「今日から、このクラスに転校生が来ることになりました」
教室がざわついた。
12月に転校生。珍しい。
普通、転校って学期の変わり目とか、少なくとももう少しキリのいいタイミングにするものじゃないだろうか。まあ、試験が終わった直後というのは、ある意味キリがいいのかもしれないけど。
「うぇ、転校生?」
彩羽ちゃんが小声で反応しているのが聞こえた。早紀も詩織さんも、ちょっと驚いたような興味深そうな、そんな顔をしている。
「静かに。――入ってきてください」
山本先生が教室のドアに向かって声をかけた。
静かに扉が開いて、転校生が入ってくる。
瞬間、私は目を奪われた。
黒髪が揺れる。長い髪だ。腰に届くくらいの、
色素の薄い肌。
そして、目。
私と、同じ色の目。
その目は静かだった。深くて、凪いでいて、何を考えているのか読めない。
大きなものを見て唖然としてしまったかのように、私はその目から視線を外せなかった。
教室がしんと静まり返っている。彩羽ちゃんも、早紀も、詩織さんも、クラスの誰もが彼女から目を離せないでいる。
彼女は教壇の横に立つと、こちらを。教室を、一度だけ見渡した。
そしてその静かな目が、一瞬だけ、私のところで止まった気がした。
「
感情のない声。温度のない声。
「よろしくお願いします」
それだけ言って、彼女は口を閉じた。
自己紹介としては最低限。いや、最低限以下だ。
趣味も異才も好きなものも、前の学校のことも何も言わない。
でも、不思議と誰もツッコまなかった。ツッコめなかった、と言うべきかもしれない。彼女にはそうさせる何かがあった。
「えー、花輪さんは遠くから引っ越してきたばかりで慣れないことも多いと思います。みんな、仲良くするように」
山本先生が取り繕うように言う。
「席は……そうだね、窓際の後ろが空いてるから、そこに」
空いている席。それは、私の2つ後ろの席だった。
花輪環。
環さん? が私の横を通り過ぎていく。ふわり、と微かに何かが香った気がした。何だろう、これ。火を使った後の、煤のような。
環さんが席に座る気配が、背中越しに感じられた。
私は前を向いたまま、心臓がどくどくと鳴っているのに気づいた。
なんだろう、この感覚。
あの目。私と同じ琥珀色の目。だけどあんなに静かで深い目を、私は見たことがない。
窓の外の青空が、さっきより少しだけ眩しく感じる。
今日までの日常とは違う日常が始まる。そんな予感が、胸の奥でちりちりとそれでいて確かに燻っていた。
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