15 尻を出すな! その2

 貿易センタービルという巨塔を急角度で見上げるすぐ正面には、市民公園がある。

 午後の柔らかな木漏れ日が降り注ぐベンチで、アスカマサキは近くの売店で買ったサンドイッチを頬張っていた。


 すぐ脇、ベンチの端には赤毛の妖精がちょこんと腰を下ろしている。

 機械人形マリオネツト、メリアルである。


 アスカは片手でサンドイッチを食べながら、残る片手ではメリアルの足カバーを開けて油を注したり、小さな工具でナットを止めたり忙しい。

 メリアルも、自分の手が届く範囲で部品の締まり具合を確認したり。

 なんだか不思議で器用で微笑ましげな光景である。


 実は、目の前にそびえるこの貿易センタービル内のドックで、警察によるメンテナンスをしてもらったばかりだ。

 そこでの調整があまりにも杜撰であったため、とりあえず自分でやれる整備をやっているのだ。


 あとでマッチョお姉ことまつの工房へと赴いて、しっかりと仕上げてもらうつもりだ。


 もう整備代も払ってしまっているし。


 もともと、松千代の工房でメンテナンスを受けていたのだ。

 キンキン声のかんばらしいから連絡を受け、それがユスティーナが攫われたという一大事であったため、調整途中のまま飛び出したのだ。

 その結果が、不様な敗北。

 こうとの勝負に破れ、ユスティーナを攫われた。


 アスカは現在、途方に暮れている。

 どうしようかと迷っている。

 腹が立っているけど、腹もすいてるし、とりあえずサンドイッチを食べている。


 なにに腹が立ってるかというと、自分の不甲斐なさに対してだ。


 あれだけ普段から警察を無能呼ばわりして嘲笑しておきながら、自分も結局ユスティーナを助けることができなかったのだから。


 佐香に負けたこと。調整中だなんてなんの弁解にもならない。そこを考慮した戦い方をしなかったのは自分なのだ。

 いまさら考えても詮無いことではあるが。


 モヤモヤというスパイスと共に、サンドイッチの最後を飲み込んだ時である。


 ん?


 何者かの接近に、アスカはほとんど顔を動かさずに視線を前方へと向けていた。


 正面から、黒スーツを着た大男が歩いてくるのだ。

 戦車の如き重量感、巨大感。

 岩みたくゴツゴツしている筋骨が、スーツを内側から突き破りそうな迫力がある。

 そんなただでさえ凶悪犯みたいな大男が、なんとも不機嫌そうな表情でずんずんとこちらへ歩いてくる。


「そこで待ってな」


 アスカはメリアルの頭を軽く撫でると、ベンチから立ち上がった。


 男がさらに近付いて、もう目と鼻の先だ。


 アスカは170センチほどしかないため、二人の身長差は頭一つ分は優にあった。


 歩みを止めた男は、仁王立ちでアスカを見下ろしている。

 一呼吸おくと、腹から響く低い声でこう怒鳴ったのである。


「尻を出すな!」

「出してねえよ!」


 アスカは瞬間的に顔を真っ赤にして怒鳴り返していた。


 二人は、知った仲なのだ。

 大男はなお、43歳。

 アスカの養父であるりゆうぞうの、秘書であり、執事であり、料理人、さらにはボディガードである。


「ん、あれっ、あれっ、なんでコレいうことになったんだっけ? ずっといってやりたかったって社長が、じゃあわたしがガツンといってやりますよってことなんだけど」


 佐治は、ゴツくて猛烈に凶悪な顔を、なんだか可愛らしく困らせている。


「ん? ああ、義足になったばかりの頃にさ、ズボンがしっくりこなくて色んなの試してたからかな。でもケツなんか出すかよ、ったくクソ親父め。際どいのは、あったかも知れないけど」

「なんだ、そうだったのかあ。いやあ、アスカちゃんがお尻を出してた記憶なんかなかったから、びっくりしたよ」


 身長二メートルの筋骨ゴツゴツ大魔神みたいに恐ろしい顔の佐治であるが、その大魔神顔なままでひふっと可愛らしく笑った。


「ったくあの親父は、ムサい髭面のくせして口を開くとろくなこといわねえんだからなあ。それはそうと直也さん、ちゃん付けはやめてよ」


 昔からよく知る者と話すと、自然と言葉が柔らかくなってしまうアスカである。


「え、どうして? アスカちゃんはアスカちゃんだろう? アスカちゃんがアスカちゃんじゃなかったらアスカちゃんがアスカちゃんでないことになって、アスカちゃんが……」

「分かった分かったから! いいけど、恥ずかしいから人のいるところではアスカちゃんって呼ばないでよね!」

「アスカちゃん、もう何年、社長と会ってないんだっけ?」

「えっ、三年、かな」


 社長とは、アスカちゃんの父である蘇我竜三のことだ。父といっても養父であるが。


 親子仲は最悪などといわれており、実際、アスカちゃんは勘当中の身である。佐治は、ちょっと異なる見解を持っているのだが(「本章第3話『尻を出すな!』」を参照のこと)。


 アスカ自身の出生も、不仲の噂が流れる要因の一つであろうか。


 日本人の父にフィンランド人の母を持つ、いわゆる混血児ダブルだ。

 混血が問題ではない。

 問題は父が、人間の皮を被った野獣ということにある。

 本能に身を任せた、一族の恥部ともいえる大罪の結果として、アスカはこの世に生を受けたのだ。


 その野獣、家系図上では竜三の兄にあたる存在なのである。


 現在、その野獣はまた別の事件、悪質詐欺を働いた罪により塀の中だ。

 弟への金銭の無心を突っぱねられた翌週の犯行であり、悪いのは吝嗇漢の弟であり自分に一点の非もないどころか被害者であると本気でいっているクズ男だ。


 こんな親を持ち、そんな親の弟に引き取られたという家庭の事情があるために、竜三とアスカは複雑環境が故の不仲を疑われているのだ。


 実際は、そんなこともないのだが。

 確かに、アスカの感情として色々と思うところはある。

 学生時代にはクラスメイトから白い目で見られたり、辛い体験もした。

 でもアスカは、竜三が引き取って育ててくれたことに対しては、素直に感謝しているのだ。

 素直といっても自分の胸にだけ。

 本人に面と向かってそんな台詞は、一度たりともいったことはない。

 恥ずかしいし。

 あの髭面で抱きしめてこられても、気持ちが悪いし。


 まあ、ともかく生まれた秘密たる血の呪いがあるからこそ、アスカが家庭環境に敏感だったことに間違いはないのだが。


 さて、いきなり現れては態度も会話もグダグダなこの巨漢、彼はもともとアスカが会おうとしていた相手である。

 ここにこのタイミングで姿を見せたのは、予想外だったが。


 佐治に会ってなにをする予定だったかというと、機械義肢の強化方針を相談しようと思っていたのだ。

 そのため久々にこの街へとやってきたのだが、訪れた早々ユスティーナ誘拐騒ぎに巻き込まれて、警察には捕まるわ、奪回作戦には参加させられるわ、それどころではなくなってしまったのだ。


 なおアスカはその騒動でこうしんいち機械人形マリオネツトケンプファーに敗北を喫し、悔しさから現在の気持ちは吹っ切れている。

 おのずから義肢や機械人形マリオネツトの調整方針は決まってくるわけで、つまりもう助言の必要はなくなっていた。


 でも、佐治直也がここでこうしてアスカに顔を見せたのは、その件ではなかった。

 まあその件あったればこその事態進展からでもあり、まったくの無関係でもないのだが。


「実は、我が社がチンピラどもに襲撃されちゃって……」


 佐治は、十人の男が暴れて警備員が応戦した話を語り出した。


「最終的には社長が一人で、ほとんどやっつけちゃったんだけどね」

「想像つくなあ。どうせまた武士の甲冑だろ? 数え歌とか歌ってさ。ああ……もしかしたら、襲った連中はおれがなにか大事なこと知ってると思って、繋がってるはずの親父のとこに揺さぶりを掛けたってことかな?」

「社長もぉ、まぁったく同じことを仰っておりましたあ」


 佐治が大魔神みたいな恐怖の地顔を、かわいらしく変化させた。それでも充分に破壊的な顔だが。

 彼はアスカの悲劇的な生い立ちを知っているからこそ、鬼畜であった実父以外との血族関係の濃さをこうして結び付けたがるところがあるのだ。


「ちょっと直也さん! いちいちあのクソ親父と似たとこ探して笑うのやめてよね! んなことよりも……そうなると仕掛けたのは、やっぱりあいつしか考え……」


 アスカが眉を潜めた、その瞬間であった。


 ぶいいいいいい

 ぶいいいいい

 左腕のリストフォンが振動し、文書の着信を知らせたのは。


「うお」


 ちょっとびっくりしながら、リストフォンに指を置いて滑らせると、眼前に情報画面が空間投影される。


 内容は実にシンプル、かつ見慣れているものだ。

 DHBドールハウスバトルの、大会参加招待状であった。


「……招待状?」


 だけど、アスカは訝しむ。


 何故ならばそれは、大会。

 

 アスカが憧れつつも参加したことのない、出られるはずがない、表舞台への案内状だったのである。

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