嫌な予感がするから

 

 中に入ると、窓際の席に案内され、どっしりとしたメニューを渡されたが、厚みがあるのは表紙で、メニューの数自体は、そんなに選べない感じだった。


 料理に対する自信が窺われて、また値段が心配になったが、ランチはそう高くないようだった。


「亮太、ここ、よく来るの?」


 ちょっと亮太が来そうな店には思えない。

 そう思いながら、那智は訊いてみた。


 亮太は、呑み会のとき、安くて量が呑める店がいい、とか言って、桃子たちに文句を言われるたぐいの男だからだ。


 亮太はメニューを見ながら、

「いや、一、二度かな」

と言った。


「前の彼女に連れられてきた。

 払ったのは俺だが」


 その渋い表情に思わず、笑ってしまう。


「あいつ、お嬢様だったからな。

 当時は、俺もまだ学生だったから、あいつと付き合うの、大変だったよ」


 亮太の好みの芸能人は、気の強そうな美人ばかりだ。


 そんな感じの彼女に振り回されている亮太を想像して、また笑ってしまった。


 なんだ? と亮太がメニューから目を上げて言うので、


「いや、なんでも」

と誤魔化したが、なにを考えていたのか見てとられたようだった。


 亮太は、ひとつ溜息をついたあとで言った。


「川村梨花だよ」

「え?」


「川村梨花だ。

 俺の前の彼女」


 思わず、メニューを落としていた。


 亮太はそれには構わず、ウェイターを呼び止め、

「Aランチで」

と言う。


「お前は?」

と振り向かれ、


「あ、私も」

と深く考えずに答えていた。


 ウェイターが去ったあと、まだそちらを見ながら亮太は言う。


「あいつ、テニスやってたんだよ」


 それでだ、と。


 なるほど。

 亮太はその世界では、なかなか有名な選手だったらしい。


 人気のアマチュアテニスプレーヤー、しかもイケメン。


 確かに梨花が好みそうなキャラだ、と妙に納得する。


「なんで別れやがったんだって目で見たな、今」

と睨まれ、いやいや、と苦笑いしたが、本当にそう思っていた。


 遥人の苦悩に少なからず、梨花と付き合っていることが関係している気がしていたからだ。


「確かに、梨花は扱いづらい女だったが、俺はあんな感じの美人が大好きだ」


 なんの宣言だ、と思っていると、

「捨てられた俺を哀れに思うのなら、そんな女を紹介しろ。

 今朝の礼に」

と言われたので、慌てて考えてみたが、そんな人間、一人しか思い浮かばなかった。


「う……、うちのお母さんとか」


「幾つだ、こら」

とまた睨まれる。


「あの、それ、専務のせいで別れて恨みに思ってるとか?」


「なに言ってんだ。

 梨花と専務が付き合いだしたのなんて、最近だろ。


 俺は学生時代には別れてる。


 梨花のことだから、その間に、他の男も居たかもな。

 あいつ、気が多いから」

と言われ、確かに、と社内でキスしていた梨花を思い出す。


「だから、梨花がまだ自分に気があるうちに、さっさと結婚しようと思ってるんだろ、専務は。

 でも、お前と二股かけてるようじゃ、いずれ、梨花か誰かにバレて、破談になるだろうがな」


「いや、ほんとに私と専務はそういう関係じゃないんだけど」


「でも、昨夜は専務と一緒だったんだろ」

と言われたので、


「毎晩一緒だよ」

と白状すると、さすがの亮太も呆れたようだった。


「でも、なんにもないの」

「……余計複雑そうだな」


 いっそ、包み隠さず話した方が変に誤魔化すより、真実味が伝わりやすいかと思ったのだ。


 本当だとわかってはくれたようだが、亮太は、理解できない、という顔をする。


「俺の好みじゃないが、お前は一応、いい女の部類に入るのに。

 毎晩一緒にいて、なにもなしか」


「なんで、そんな余計な一言を付け加えるのよ」


「だって、お前も別に俺の好みじゃなくてもいいだろうが」


 まあ、確かに。


「お前なんか、『なんかあの人、美人だよねー』って言う程度の美人だろ」


 ……お前の私に対する評価には、どこか悪意が感じられる、と那智は思った。


 そんな那智の表情を読んだように、亮太は素っ気なく、

「好みの問題だ」

と言う。


「ともかく、専務との関係はどうにかしろ」


 どうにかしろって言われてもなー、と那智は頬杖ついて、小さいが小綺麗にしてある庭を眺める。


 ベンチのような形の木製のブランコがあった。


 ちょっと乗ってみたい……。


 それを眺めていて、

「あ」

と声を上げると、亮太は、なんだ? という顔をする。


「もしかして、梨花さんのため?」

「は?」


「梨花さんが泣かないように、私を専務から遠ざけようとしてるの?」


 莫迦、と亮太は少し赤くなって言う。


「そんないい話じゃねえよ。

 梨花に今更、未練もねえし。


 ただ……」

と亮太は視線を木のテーブルに落とす。


「どうも釈然としないんだよな。

 俺みたいな男ならともかく、専務ほどの人がなんで、梨花みたいな女に引っかかったのかなって」


「意外と、あんたの中の専務の評価高いわね」

と感心したように言うと、


「いや、待て。

 大抵の人間の中で、あの人の評価は高いぞ」


 なんで、お前だけ低いんだ、と言われたので、少し考える。


 まあ、格好いいし、仕事もできるし。

 他人に厳しいかもしれないけど、自分にも厳しくて。


 でも――。


「なんかこう、しょうのない人って感じの人だから」


 亮太は、あーあ、と残念な人を見るような目でこちらを見て言った。


「あーあってなによ」


「もうなにを言っても無駄かなって思っただけだ。

 女がそういうことを言うときって、大抵、もう惚れてるときだからな」


「別に専務のことなんか好きじゃないわよ」

と赤くなって言ってみたが、はいはい、と流される。


「それに、私が専務を好きでも、好きじゃなくても。

 私には、今の専務は突き放せない」


 亮太は、そう言ったこちらの表情をうかがいながら、

「非常に嫌な予感がするぞ、那智。

 お前、俺の好みじゃないが、俺と付き合ってみるか」

と言ってきた。


「なんでよ。

 っていうか、そんな言い方で、はい、そうですかって言う女がいると思ってるの?」


「他に言いようがねえよ。

 本当にただ、なんか……嫌な予感がするから。


 それだけなんだ」

とそこで亮太は真面目な顔をする。


 そのまま沈黙する亮太に、那智はちょっとだけ笑って言った。


「亮太、そういう顔してると、格好いいね」


「なんだ。

 今まで知らなかったのか」


「いや、だから、好みの問題でしょ」


「一番高いの、おごらせてやればよかった……」

と呟き、庭を見る横顔に笑う。


 予想以上に美味しそうなランチが運ばれてきて、浮かれていると、亮太が言った。


「そういえば、お前が夜の街をすごい男前と手をつないで歩いてたって情報があるんだが。

 あれって専務じゃないよな」


 会社の人間が見たのだから、専務だったらそう言うはずだ、と言う。


 手をつないで?

 記憶にないが、と思ったが、そういえば、一度、無理やりつながれた覚えがある。


 桜田にだ。


「呑み会の帰りとかじゃない?


 酔った誰かじゃないの?

 亮太が酔ったら勝手に腰に手を回してくるみたいに。


 男の人って、酔うとボディタッチが多くなるからね」


「まるで、俺が誰かれ構わず、酔ったら触ってるみたいじゃないか」


 意外に品良くナイフとフォークを使いながら、亮太がそう文句を言ってきた。


「俺だって、触る相手は選んでる」


「へえ。

 そうなんだ?


 でも、私は好みじゃないんじゃなかったの?」

と言ってやると、


「言ったろ。

 お前は、一応、いい女の部類だから」


 亮太は、そう素っ気なく言う。


 あとはもう、普段通りのしょうもない話しかしなかつた。





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