不思議生物観察日誌
かなぶん
不思議生物観察日誌
その日はよく晴れた日だった。
昼下がり、買い物を終えて家路につく途中だったウルネは、先程まではいつも通りだった光景の中に、見慣れないモノを見つけた。
(……動物?)
最初は変わった物体と思うだけだったが、近づけば微かに身じろぐソレは、どうやら動物の類いらしい。
(呼吸している……。生きているみたいだけど、なんて言うか……)
あまりこの辺りでは見かけない、ヘンテコな生き物だ。
形自体はウルネの知る動物たちとそこまで違いはないが、全体的におかしい。
大きさはウルネの身長の半分ほどで、奇妙な形の布に中途半端に覆われている。毛の生え方も独特で、毛本来の役割を果たしているのかどうかも疑わしい。
(どうしようか)
とりあえず、近くに落ちていた木の枝を拾い、一度だけ布越しに軽く突いてみる。
反応はない。
意識はないようだ。
(どうしようか)
再び悩む。
眠っているのか、気を失っているのか、はたまた、この状態が正常なのか。
(でも、出かける前にはこんなのいなかったし……絶対動くよね)
造りは動物に似ているため、恐らく手足を使うのだろうが、この長さで考え得る移動方法を想像すると、這うような動きになりそうで、だいぶ気持ちが悪い。
いっそこのまま、見なかったことにしてしまおうか。
そんな誘惑が頭を過るものの、この道の先にあるのはウルネの家だけである。
後に自力で辿り着かれてしまった方が怖い。
(やっぱり、起こしてみよう。で、ここから移動して貰おう)
こちらが見たことのない生き物なら、きっと、この生き物とてこちらは見たことないはず。こちらに気づかせれば、まともな生き物ならまずは警戒して距離を取り、隙を見て逃げ出す……はずだ。
自信はあまりない仮説どころか、実のところ、ウルネ自身がそうしたいところでしかないのだが、やってみる価値はあるだろう。
何せ、こちらに比べて小さい生き物だ。よく分からない大きな生き物はそれだけで脅威なのだから、この生き物に動物としての生存本能があるならば、きっと逃げ出すことを選んでくる。
一方で、パニックに陥り反撃してくる可能性も十二分に考えられる。
(この小ささで脅威になりそうなこと……)
爪や牙はなさそうだが、飛び出ていない口吻は侮れない。口吻が短い生き物は顎の力が長い生き物よりも強いと聞く。見た目の口は小さいが、ぶよぶよの皮膚は伸縮性もあるため、噛みつく際は飛び出てくるかもしれない。
あるいは、毒を使う生き物かも――。
(……ダメだ。際限がない。どれだけ考えたって初めて見る生き物なんだから)
行動の前には準備を。
相手に動きがないのを良いことに、何重にも思いつく限りの防御魔法を掛ける。
「よし」
最後に自分を鼓舞する言葉を一つ。
と、それが合図となってしまったようだ。
不意にソレの目が開いた。
「――――っ!」
そして、こちらを見るなり甲高い奇声を上げる。
ゾッとするような鳴声は、防御魔法を突き抜けてウルネの全身を震えさせた。
(こ、怖い! っていうかコイツ、二足歩行すんの!?)
一瞬だけ、威嚇のための格好とも思ったが、ソレはそのまま後退りを始める。
いくつか想定とは違う行動はあったものの、攻撃ではなく逃げを選択してくれたことはありがたい。
が、ここでウルネは、気づかなくて良いことに気づいてしまった。
(コイツ……もしかして何か喋ってる?)
少なくともウルネが知る言語ではないが、口の動きと発声には、話しかけていると思しき法則がありそうだ。
警戒を解くべきではない。
そうは思うものの、意思疎通を図れそうな気配に好奇心は抑えられなかった。
「あの、もしかして」
伝わるかは分からないが、努めてゆっくりと、相手を刺激しない声音で話しかけ、会話を試みる。
ただし、ウルネは失念していた。
自分が手にした木の枝の存在を。
「!!」
「あ」
ウルネにとっては木の枝でも、ウルネの半分しかないソレにとっては、それなりの脅威だっただろう。
殴られるとでも思ったのか、弾かれたように奇声を上げて走り出した生き物に、ウルネは一瞬、呆気に取られてしまった――が。
「まずい! あっちには!」
ほんの数分前のウルネであれば、追い払えたと安堵するところである。
だが、一度興味を惹かれては、放っておくことなど出来なかった。
逃げ出したきっかけが、自分の失念のせいなら、なおさら。
ウルネと生き物の足運びの速さは、おそらく同じくらいだろう。
しかし、身体の大きさの分、呆気に取られた時間を取り戻す歩幅でウルネは走り、生き物はその姿にまた奇声を上げ――落ちた。
「しまった!」
失念の次の失態。
生き物が逃げ出した先には、ウルネでも二の足を踏む高さの崖があったというのに、追うことに必死になりすぎて、こちらに注意を引かせてしまった。
甲高い、奇声とは最早言えない悲鳴に、無我夢中で手を伸ばす。
「!?」
間に合った。
空中で掴んだ生き物は思いの外軽く、そのまま共に落下することはなかった。
だが、不安定な格好では、まだ安心できない。
ウルネは伝わらないとは理解しつつも、伝われとの思いで声を掛ける。
「お願いだから、動かないでじっとしていて。そこで暴れられたら、引き上げられない。今だけは、大人しくしていて」
「…………」
生き物の目がウルネと崖下を往復する。
推測するまでもなく、こう思っているのだろう。
このまま引き上げられても酷い目に遭うのではないか、ならばいっそ――と。
(もしかしたら、私が思う以上に、私が怖く見えているのかな?)
それはお互い様だから仕方がないとはいえ、ウルネにそんな悪趣味はない。
(見た目ぶよぶよなのに、意外と固い。しかも、変にでこぼこしてる身体だ。持ちやすいからいいけど)
ただ持つよりも、でこぼこに添って持てば、落とす心配もなさそうだ。
生き物もそれに気づいたのか、最初こそ抵抗したものの、途中からウルネの手にしがみついてきた。
信頼、とまではいかずとも、とりあえず落下死は諦めてくれたらしい。
そんなことを考えつつ慎重に引き上げて、生き物の足が地面についたところで手を離す。
途端、
「――――!!」
もの凄い勢いで距離を取った生き物が、自分の身体に手を回して何かを叫ぶ。
もちろん、叫んでいる内容は分からないが、ジェスチャーからおそらく、生き物の身体を掴んだことを怒っているのかもしれない。
――状況が状況だけに今回は許してやるが次はない。
そんなところだろうか。
ウルネとしてもやはり、持ちやすかろうが得体の知れない生き物に触れるのは、出来れば避けたいところであり、望むところだ。
「分かった分かった。だから、落ち着いてよ。とにかく、私、喋れる。あなた、喋れる? 分かる?」
自分と生き物を交互に差しながら問う。
これで逃げるならそれも良し。
そう思ってのウルネの声かけに対し、生き物は意外にも逃げなかった。
代わりに、自分の言語で何かしら話しかけてくる。
もちろん、ウルネには分からない。
ただ、こちらも言語を使うことを生き物は理解したようだ。
理解して――生き物はウルネの家まで着いてきた。
言語が分からないなりにも状況から考えて、どうもこの生き物は、どこか別のところから、自身もどう移動したのか分からぬまま、ここに辿り着いてしまったらしい。
いわゆる、迷子というヤツだ。
迷子ゆえに、頼ってきたというところだろう。
害意がないと伝えるためだけの交流のつもりだったのだが、関わってしまった以上は仕方がない。
そんなこんなで始まるウルネと奇妙な居候との生活だが、何もかもが違う生き物同士の生活は困難の連続だった。
これを支えたのは、ウルネが欠かさずつけることになる生き物の観察日誌と、意外にも長けていた生き物自身の言語習得能力。
とはいえ、ウルネが拾った生き物、その種名を「ヒト」と知るのは、まだまだ先のことである。
不思議生物観察日誌 かなぶん @kana_bunbun
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