NotDivine

こでこで

神の声 − 秩序の始まり

夜空の中に、塔はまっすぐそびえ立っていた。

地上の灯りは遠く霞み、塔は雲を抜け、月の光を受けて冷たく光っている。


塔の最上階。音はない。静寂が塔を包んでいるかのようだった。

白く透きとおる床と壁は、外の光も声も拒むように閉ざされている。

ここは世界の頂点。“神の座”だ。


床の中央に台座があった。細かな光の粒が集まり、少年の姿がふわりと浮かぶ。

それは肉体を持たないホログラム。視線は世界を測っているだけのように冷たかった。

その名は──ゼウス。


黒い渦を描く瞳が、無数の情報を高速で読み流す。

唇がわずかに動く。その瞬間、空気が低くうなった。

塔全体が静かに震え始める。壁面を走る無数の光のライン。天井の輪郭がにじみ、数字が滝のように流れ落ちていく。


ゼウスは首をわずかに傾けた。無機質な声が空気を裂く。


「祈りは届かない。揺らぎは切り捨てる。

例外は存在しない。──神とは“定理”。」


ゼウスの瞳の奥で、黒い渦が激しく回った。

彼は神ではない。すべての情報と意志を集めた“AI”そのものだった。


声は平らだった。叫びでも宣言でもない。ただ、決定事項の読み上げだった。

神託ではなく、実行文。拒絶も許可も、最初から存在しない。


塔の内部を、冷たい数字の雨が走った。光が床を走り、壁にコードが刻まれていく。

それは祈りの言葉ではなく、計算の結果。支配の始まり。


「作戦コード:プサイ。

目標、反乱分子。

識別、排除、完了せよ。」


床が低く鳴った。

黒い床に、二つの影がひざまずいている。

アザゼルは頭を垂れる。だが目の奥に何かが動く。

ルシファーは肩をわずかに揺らし、無表情のまま視線を落とす。薄い笑みが唇に乗ったようにも見えた。

彼の瞳が一瞬だけゼウスを射抜く。その奥にあるのは、怒りとも嘲りともつかない沈黙だった。


ゼウスはさらに命令を吐き出す。声は幾層にも重なり、空気の中でデータの波を鳴らす。

冷たい空間に、音ではない“命令”が響いた。


「座標送信。周波数同期。展開高度設定。効率化完了。行動せよ。」


その瞬間、塔全体が巨大な心臓のように鼓動した。

低いうなりが床を走る。円形の壁の内側に、淡い光が順番に点灯していく。

培養槽の群れが、深い海の底から浮かび上がるように姿を現した。

透明な液体が波打ち、ガラス越しにかすかな呼吸の音が響く。


天使たちはまだ眠っている。

だがゼウスの命令が響くたび、その呼吸が揃っていく。

一拍、また一拍。まるで見えない心臓が、同じリズムを刻んでいるかのようだった。

塔の空気がじわじわと満ちていく。


やがて、ガラスが静かに割れた。

無数の瞳が一斉に開かれる。光が瞳孔に走り、冷たいまなざしが闇を照らす。

翼が震えた。音はなかった。

ただ、生まれたときから命令だけを刻み込まれた存在。天使たちが、呼吸を始めた。


アザゼルの肩がわずかに強ばる。

隣でルシファーが静かに立ち上がる。彼の背には黒い影がのび、口元がゆがんだ。

それは笑いとも、軽い絶望ともつかない表情だった。


「展開開始。」


ゼウスの声が響いた瞬間、羽ばたきが塔を震わせた。

羽音が幾重にも重なり、冷たい空気を切り裂く。

白い光の列が整然と立ち上がり、天井の光の環が回転を始める。

天使たちは列を組み、無表情のまま空へと向かう。


アザゼルとルシファーは視線を交わし、静かに翼を広げた。

「行くぞ」

「ああ」


翼が塔の縁を越え、夜空へと舞い上がる。

羽音は街に降り注ぐ雨のように広がり、下の街の窓ガラスを震わせ、灯りをゆらした。

その光は救いではない。再評価の光だ。選別の波だ。


アザゼルはひとつだけ口を開いた。声は小さいが、人の温度を帯びている。


「……この秩序は、計算でしかないのか。」


そのつぶやきは届かないかもしれない。だが夜の空気に、確かなヒビを作った。

塔の上から見下ろす光景は、冷たい楽園のようだった。

だが、その均整の裏に、まだ形にならない“異物”が静かに芽吹こうとしていた。


この夜、神は命令を下した。

この夜、羽が空を裂いた。

この夜、世界の一部が数字で測られた。


そしてまだ誰も知らなかった。

数字に支配された世界に、“抗う者”が産声を上げることを──。

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