第7話 一歩進んで


「それは――シグ様でも許されない冗談です」


 レイヴンの声は低く抑えられていたが、そこに込められた怒気ははっきりと伝わってきた。ほんの少し前まで、幼い姿になったシグの可愛さに内心悶えていたとは、とても思えない。



 酒場獅子亭の喧騒が、遠くでざわめいている。シグはその空気に気圧され、無意識に視線を逸らしたまま、ぽつりと続けた。


「……レイヴンは実力者だ。俺の代わりにギルマスをやってくれてもいい。他のギルドに行きたいなら、知り合いのところを――」


 言い終わるより早く、低く鋭い声が遮った。


「何を、言っているのですか」


 次の瞬間だった。

 レイヴンは言葉の勢いのまま、顔をずいと近づけた。


 その距離の近さに、シグは思わず息を詰める。

 長い睫毛の影が、伏せられた瞳に落ちるのが見えた。整った横顔がすぐそこにあり、息遣いさえ感じられるほど近い。


 触れてはいない。だが、逃げ場を失うには十分すぎる距離だった。



「私は……あなたが何者だろうと、ついていきますよ」


 真正面から向けられた視線。逃がさないという意思が、そこにはあった。


「あなたが魔導十二宮であろうと、ただの凡人であろうと……幼い姿であろうと……」


 低く、しかし揺るぎない声。


「私はあなたが好きなのです。尊敬とか、忠義とか……そういう言葉では足りないほどに」



 シグは、ぽかんと目を丸くした。

 そのまま数拍固まり――やがて、しゅん、と肩を落とす。


(俺は……なんて馬鹿だったんだ)


 小さく息を吐き、力なく笑う。


「……ありがとう、レイヴン。つい、弱気になってたみたいだ」

「シグ様……」

「元に戻る方法は、必ずある。俺は……《ブラックオプス》のギルマスターに、返り咲いてみせる」


 顔を上げたシグの瞳には、かつての自信の光が、わずかに戻り始めていた。


 その表情を見て、レイヴンは思わず微笑む。



「ふふ……それでこそ、私が憧れた男ですよ。……ですが」


(この姿を拝めなくなるのは……惜しい……!! むしろこのまま一生、守りたい……!)


 思考が、一瞬だけ危険な方向へ暴走する。


「……もしや、私がギルマスになった方が良いのでは?」

「え?」


 シグが目を瞬かせた。

 レイヴンは我に返り、慌てて手を振る。


「い、いえ! 深い意味は……! ただ、想像してしまっただけで――」

「……気が変わって、ギルマスになりたくなったのか?」


 シグは一歩、距離を詰める。

 捨てられそうになった子猫のような、不安げな眼差しで見上げながら。



 そのときだった。

 背の高い椅子の上で、シグの小さな身体がわずかにバランスを崩す。足が宙を踏み、椅子から滑り落ちそうになる。


「うわっ……!」


 ――落ちる。

 そう悟った瞬間、シグは思わず前のレイヴンにしがみつく形になってしまう。


「し、シグ様――!?」


 ぐい、と服を掴まれた感触。

 黒いローブの隙間がわずかに開き、そこから――女性らしい柔らかな曲線が覗いた。


「………………え?」

「………………っ」


 シグの目が、完全に見開かれる。


 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

 酒場獅子亭の喧騒が、急に遠のいたように感じられた。



「……レイヴン。お前……女、だったのか!?」


(俺、完全に“寡黙で強い男剣士”だと思ってたんだが!?)


「~~~~~~ッ!!」


 レイヴンは一気に顔を真っ赤に染め、胸元を押さえながら後ずさる。


「い、今さら……!? ずっと一緒に任務してきたのに……っ!」


 その瞬間、レイヴンの脳裏に“走馬灯”のように数年分の記憶が一気に流れ込んだ。


 十代の頃――細身で、まだ剣の腕も未熟だった自分を、シグは何度も魔物討伐へ連れて行ってくれた。危険な局面になれば必ず庇い、帰り道では無言で肩を貸してくれた。



(……あの頃から、ずっと)


 ギルドを立ち上げたばかりの頃、誰も寄りつかないオンボロ倉庫を買った日。シグは埃だらけの床を見渡して、こわもての悪人顔でニカッと笑っていた。


『ここから大きくしていくぞ、レイヴン。……お前にも期待してるからな』


 そう言って、ぽん、と頭に置かれた大きな掌。不器用だけど優しくて、あったかくて、誇らしくて。



 遠征で野宿した夜――。

 月明かりの下、湖で休もうとしたとき。


『レイヴン、先に水浴びしてこい。見回りしたら俺も続いて入る』


 何気ない一言に心臓が爆発し、真っ赤になって必死で断ったこともあった。思い返すほどに胸がいっぱいになり、涙すら滲む。


(こんなにも……ずっと……シグ様を……)」



「す、すまん……男相手だと思って雑なことばかり……!」

「女扱いされなかったことに怒っているわけでは……いや、少しはそうですが……!!」


 思わず口から漏れた本音に、レイヴンの目がさらに泳ぐ。シグはショタ顔をしゅんと曇らせ、肩を落とした。


「仲間の性別すら見抜けないなんて……俺はギルドマスター失格だ……」


(ち、違うのです、そうではなく……!!)


 レイヴンは心の中で必死に叫ぶ。しかし、羞恥が勝って説明できない。ましてやずっとシグに恋していたなんて、口が裂けても言えない。


 そのせいで表情は強ばり、眉は吊り上がり――結果、怒っているようにしか見えない。



(……やっぱり怒ってる……俺が情けない男だから……)


 シグはさらにしょぼんと縮こまる。心が通じ合ったと思えば、またすれ違う二人なのであった。



 ◆


 第三王女アリステリアの執務室。


 夜の王城は静まり返り、高窓の外には星明りと月光が淡く差していた。政務机の上には、一つの魔導具が置かれている。

 銀縁の手鏡。宝石が散りばめられた、見るからに高価な代物だ。


 鏡面には――

 酒場獅子亭の一角、壁際の静かな席で、浮かない顔をした二人の姿が映っている。



「……あらあら」


 アリステリアは、思わず声を漏らした。口元に手を添えながら、肩が小さく震える。


(ようやく一歩を踏み出せたと思ったのに……)


 長年“氷の王女”と称されてきた彼女の頬は、完全に緩みきっていた。


 小さな身体を縮こまらせ、世界の終わりのような顔で俯くシグ。

 一方で、胸元を押さえたまま視線を彷徨わせ、怒っているように見えて実際は思考が大混乱しているレイヴン。


「もう……少し落ち着いて話せばいいものを」


 そう言いながらも、声はどこか楽しげだった。その様子を見ていた側付きの侍女が、恐る恐る声をかける。



「王女殿下……そこまでして、あのギルドに肩入れなさる必要があるのでしょうか?」


 《ブラックオプス》。

 こわもてのギルドマスターに、曲者揃いのメンバー。

 王都でも扱いづらいと評判の集団だ。


 だが、アリステリアは即座に首を横に振った。


「あら。そうかしら?」


 満足げな微笑みを浮かべながら、はっきりと言い切る。


「わたくしからすれば、彼らはとても分かりやすくて単純だし、扱いやすいわよ」


 感情に嘘がない。

 信頼も、不安も、執着も、全部顔に出る。

 だからこそ――使いやすい。



 だが次の瞬間。

 アリステリアは、ふっと笑みを消した。


「……それにしても帝国は、我が国でいったい何を企んでいるのかしらね」


 その呟きは静かだったが、鋭さを帯びていた。


 恋と勘違いの小さな悲喜劇の裏側で――

 確実に、別の歯車が回り始めていた。


――――――――

拙作をお読みいただき、本当にありがとうございます。

皆さまからの応援が、日々筆を取る力になっています。


こちらはカクヨムコンというコンテストに挑戦している作品です!

もしお気に召しましたら、★評価などいただけましたら嬉しく、今後の創作の励みになります。

これからも少しでも楽しんでいただける物語を紡いでいければと思っております。

心より感謝をこめて──今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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