第9話 現実に干渉する視聴力

 翌日の朝、俺は目覚まし時計のベルよりも早く目を開けた。

 体が異様に軽い。昨日までの疲労は一切残っていなかった。

 鏡を見ると、血色も良く、目の下の隈も消えている。

 Rewriteを「守るためだけに発動する」と制限してから、体の調子が常軌を逸して良い。

 体の代謝レベルが別人のように跳ね上がっているのがわかる。


「これも副作用ってやつか……」


 呟いた自分の声が微かに反響した。

 空気が俺に共鳴しているような感覚。

 世界が俺を中心にわずかに呼吸している、といえば正確かもしれない。

 冴希が言っていたとおり、Rewriteはまだ完全には止まっていないらしい。


 制服に袖を通し、校門へ向かう途中、街の景色が微妙に違うことに気づいた。

 信号機の位置、看板の文字、通る車の車種までがどこか別の世界のようだ。

 昨日のRewriteが、世界のレイヤーそのものに干渉している。

 ただの変化ではなく、“整えられた世界”という印象だった。


 靴音がやけに響く。

 俺以外のすべてが薄膜越しに存在しているような、不思議な距離感。

 軽い眩暈とともに、耳の奥にノイズが生じた。


【Rewrite監視モード:視聴力(β)発動】


「……視聴力?」


 突然、視界の端に半透明の数字が浮かび上がる。

 周囲の人々の頭上に、青や赤の小さな値が点滅している。

 どうやら、相手の感情や注目を“数値化”して見せているようだ。

 注目が強いほど数字は大きく、興味を失うと小さくなる。


 なるほど――これがRewriteに内包された新たな副作用、“視聴力”か。

 世界の視点を可視化する能力。

 人々の意識の焦点を読み取り、操作するための亜種機能。


 校門前に差しかかると、複数の視線が俺に集中した。

 数字が一気に跳ね上がる。

 十、二十、三十……やがて百を超えると、周囲の空気が振動した。

 視られるほど力が集まり、逆にRewriteへエネルギーが供給されている。

 それはまるで、注目そのものが燃料になっているかのようだった。


「……つまり、俺は見られるほど強くなるってことか」


 半ば呆れながらも、内心で笑ってしまう。

 以前の俺なら、誰かの視線に怯え、逃げるように日陰を歩いていた。

 だが今は違う。

 どれほど見られても揺れない。

 むしろその視線を糧に、Rewriteは正確さを増す。


 昇降口で咲良と目が合った。

 彼女の頭上の数字はずば抜けて高い。

 だがその数値は、単なる興味ではなく、純粋な“信頼”として表示されているように見えた。


「レン、顔色いいね」

「ああ。むしろ良すぎるくらいだ」

「昨日の戦闘の後なのに……すごいな」

「Rewriteの調整が上手くいったらしい」

「そうなんだ。……でも、気をつけてね。あまり頼りすぎると、きっとどこかで軋むから」

 咲良は俺の腕を軽く叩いた。

 瞬間、数字の光が震え、その輝きが柔らかく変化した。


 感情の“波形”さえもRewriteが拾っている。

 まるで、彼女の気持ちごと現実に干渉しているみたいだ。


*****


 昼過ぎ、校舎全体がざわつき始めた。

 廊下を歩く教師たちの通信端末が一斉に鳴り、学生たちの会話が慌ただしくなる。

「A組の実戦演習、外部見学者が入るって!」

「有名企業の異能研究者らしいよ!」

「篠宮が呼ばれたらしいぜ! “社会実装テスト”だってさ!」


 耳を疑う。

 冴希以外の組織までRewriteに関心を持ち始めたというのか。

 いや、違う。これはRewriteが“注目”を集めるよう世界を導いている。

 視聴力が上がるほど影響範囲が広がり、現実そのものが俺に合わせて構築されていく。


 午後、合同演習が始まった。

 俺とA組数名がフィールド中央に立つ。

 見学席にはスーツ姿の研究員やスポンサーらしき人物たちが並んでいる。

 その全員が俺に視線を向けているおかげで、頭上の数値は刻一刻と跳ね上がっていた。


「篠宮レン、実戦演習を開始します」

 場内アナウンスの声が響く。

 対戦相手は、A組の防御能力保持者・神倉。

 重厚な障壁を生成する異能だ。


「お前が噂のRewriteか。どれだけのもんか、見せてもらおうか」

 神倉の背後に青白い結界が広がる。

 同時に俺のRewriteが自動発動するのがわかった。

 周囲の意識の流れが俺を中心に渦を巻く。


【Rewrite:視聴反応変換】


 光の軌跡が走った。

 観客たちが俺を見つめた瞬間、その“視線”そのものが力へと変換される。

 視る行為が現実を揺らし、結界の構造へ干渉していく。

 わずか五秒で、神倉の障壁が軋んだ。


「まさか、視られてるだけで……崩されるのか!」

「俺じゃない。世界がそう決めてる」


 崩壊音とともに、神倉の防御が粉砕した。

 会場がどよめき、研究員たちが一斉に立ち上がる。

 その刹那、俺は感じていた。

 Rewriteが世界の評価構造にまで干渉していることを。

 「注目される者が力を持つ」というルールそのものを現実に変えていた。


 冴希が観覧席の隅で小さくため息をつくのが見えた。

 その視線だけで、心を見透かされたようだった。


*****


 演習の結果は、“前例なき現象”として報告され、俺の評価値は学園内でもう別格の扱いになった。

 放課後には端末のフォロワーが急増していた。

 気づけば十万人を超えている。

 見知らぬ研究施設から提携依頼とスポンサー契約の通知まで届いていた。


 急激な変化に疲れを感じながら帰路につく。

 空は不自然なほど青く澄んでいる。

 Rewriteが環境の“理想値”を補正しているせいだろう。


 歩く途中、ショーウィンドウの反射に映る自分の瞳が淡く揺らめいた。

 世界のあらゆる“目”がそこに集まり、再び数値が跳ね上がる。

 フォロワーが増えるたび、力が増大する。

 Rewriteがその注目を受け取って完全な制御モードに入ろうとしている。


 だが、今度の光は以前のように優しくはなかった。

 どこか、冷たい機械的な輝きを帯びている。

 視線の総和を統計化し、人々の“関心”を支配する。

 それが——この力の本質。


 ポケットの中の端末が鳴る。冴希からの通信。

『あなたのRewriteが、社会層のレコードに干渉してる。目に見える世界だけじゃない、情報構造そのものよ。フォロワー数は実質、“支配指数”として換算されている』

「つまり、今の俺は……人々の現実感にまで影響を与えてるってことか」

『その通り。気を抜かないで。Rewriteが世界を観測で成り立たせる“神の視聴”に近づいてる。もし暴走すれば、あなたが見た世界“だけ”が現実に固定されるわ』


 通信が途切れる。

 息を吐いた瞬間、夜空の色が一瞬で変わった。

 街灯がきらめくのではなく、星そのものが俺に視線を送っている感覚。

 世界中の“注目”が収束していく。


「……視聴力、か。笑える名前だな」


 それでも、もう戻れない。

  Rewriteは止まらず、視えるすべての意識を再構築していく。


 その夜。

 ベッドで目を閉じた瞬間、無数の視線が夢の中まで入り込んできた。

 囁くような声が脳内に届く。

 知らない誰かの願い、憎しみ、祈り。

 その全部が数字の光となって俺の意識に流れ込んでくる。


【Rewrite:現実干渉率 上昇中】


 夢の中で、俺は静かに呟いた。

「……世界の“視聴者”が、俺の力を形作ってるのか」


 そして気づく。

 Rewriteという名の異能は、結局のところ他人の“観測”に依存している。

 誰かが俺を見ている限り、世界は止まらない。

 だが、もし誰も見なくなったら――。


 闇の中で小さな光が瞬き、やがてすべてが白に染まった。

 それが、Rewriteの次の進化の予兆であることを、俺はまだ知らなかった。

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