湯豆腐とオヤジ

光雨

湯豆腐とオヤジ


 正面から歩いてきたあのオヤジの顔面にこの湯豆腐をぶん投げることでおれの人生は始まる。右手で燃える湯豆腐。左手で握る手汗。徐々に近づいてくるオヤジの顔。焦茶の肌色に深い青眼。左目の下に大きなほくろがあると分かる、この距離。いざ。


 豆腐は彗星のように湯気の尾を引いて、冬空を飛んでいく。オヤジの視界に突如として湯豆腐が入るが、オヤジはまさか湯豆腐が視界に入ってくるとは思っていない。故に、避けられない衝突。そして、おれの人生の幕開け。5大陸のように湯豆腐を顔面に散らしながら、海にあたる肌を真っ赤に染めた焦茶のオヤジはまるで世紀末の地球の様で、その荒廃の如く、酷く掠れた声で朗らかに笑って叫んだ。


『おめでとう!』


 おれたちは硬く握手を交わす。無沙汰の左手で、もう一つの湯豆腐も投げる。それも、ちゃんとオヤジの顔面で弾ける。おれは確信する。人生の幕開けは、いつだって構わない。いくつあったって、構わない。

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湯豆腐とオヤジ 光雨 @HikaRi_aMe

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