働くぱん屋さん
深紅みどり
第1話 フランスパンのゆううつ
──とある商店街の中ほど。
白い壁とレンガ混じりの建物がぱん屋『blossom』の 目印。
従業員は3人だけの小さなぱん屋ですが
みんなで力を合わせてがんばっています。
頭の中では、理想的なナレーションが響く。
あくまでも"理想的"な。
握りしめた拳を震わせながら、目の前の現実を受け止める。
「──いい加減…」
震えた声を叫びに変えて、拳を振り下ろす──
「起きろぉぉお!!!!」
鴉の鳴くより早い朝、商店街の真ん中で、俺の叫び声が轟いた。
***
「京香ちゃん、寝たのは悪かったけどぉ、起こし方雑過ぎるぅ」
ゲンコツを食らった円花が頭を擦りながら非難がましく声を上げる。
ぶーぶー文句を言いながら、まだ仕事を始める準備段階の円花に、俺の苛立ちは消えない。
「自業自得だ、ばか!働かざる者給料貰うべからず、タイムカード押したあとの居眠り厳禁!」
パン生地を撹拌させる機械を準備しながら、シャットアウト。
「だって、俺血圧低いし」
「言い訳にならん!」
「上が60の下が30」
「お前はゾンビか!」
成形用の道具を手際よく並べてから、振り返る。
「というか!桜華はまだなのか!?同室だろ、お前ら」
前掛けをやっと腰に巻いて、腕まくりを始めた円花に尋ねる。
円花は少し記憶を辿るように視線を彷徨わせながら、ポツリ。
「桜華ちゃん?俺より先に起きてたけど、フェイスパックしてたから置いてきた」
こともなげに告げる円花の声に、
イーストをほぐしてる手が、また拳になりかける。
「お前ら───!!」
続く言葉を発するより先に、従業員ドアからけたたましい音が鳴り響いた。
「おはようございますぅ♡ぱん屋"blossom"の看板息子こと、桜華到着です!張り切って参りましょー!」
横ピースのキメ顔で厨房に入ってきた桜華の顔は、フェイスパックのおかげかツヤツヤだ──
俺の眉間にまた深い皺が刻まれる。
「桜華くん?──今は何時でしょうか?」
努めて穏やかに口に出すが、貼り付けた笑顔の底の血圧の上昇は抑えられない。
こいつらをなんとかしないと、俺の身体がもたない気がする。
「今?今は午前3時30分ジャスト!京香ちゃん、まさか時計も読めなくなったの!?」
わざと茶化してくる姿に反省の色はない。
「──フェイスパックのおかげて、今日"も"大遅刻だな。早く仕事しろ!!」
軽いデコピンで済ませてやった俺は、菩薩級の忍耐力だと思う。
「きゃーこわいー」とわざとらしいセリフを残して、桜華もやっと、仕事に取り掛かった──
***
時間が過ぎるのはあっという間だ。
酵母の甘い香りに、湯気が絡んだこの空気が俺は好きだ。
ついつい、休むのも忘れて生地と会話していたことに気づいて、水分補給に向かうと
二人が一足先に休憩に入っていた。
俺の席に置かれた、まだ温かいコーヒー。
芳ばしさが疲労を少し癒してくれる。
こういう所は気が利く二人が、ずるいと思う。
気遣いが出来ない訳じゃない、
ただやり方が少しズレてると、いつも思う。
椅子に腰を下ろして、二人が楽しげに語らっているのを見て、ふと疑問が湧く。
「お前ら──随分ゆっくりしてるけど、間に合うのか?」
コーヒーを両手で抱えて指先を温めながら漏らした俺に、二人は小首を傾げた。
「ゆっくりって?いつもと同じくらいには進んでるよ?」
「朝イチのお客さんなんて、そんなに多くないし?」
疑問形で話し合う二人に、嫌な予感がする──
「まさか、今日が何の日か…忘れてないよな?」
震える声で確かめる俺に
「「何の日…」」と二人の声が重なった。
僅かな沈黙。
そして、二人とも同じタイミングで顔色が変わった。
「毎月第三月曜限定」
「午前中ポイント5倍セール」
絶望の色を乗せた二人の声に、俺はゆっくりと頷いて肯定する。
「「──こんな事してる場合じゃねぇ!!」」
休憩室から駆け出した二人は、職人の顔をしていた。
そのギャップに思わず笑みがこぼれる。
「仕方ない…手伝ってやるか──」
惣菜パン用のコッペを焼き上げ、
デニッシュに飾る苺を切りそろえる。
焼きそばパン用の具材を準備し、
カスタードをかき混ぜる。
時間がないのを自覚した瞬間の奴らの動きは無駄がない。
香ばしさと甘さと──
様々な香りが厨房を満たしていく。
手を抜かなければ、本当に頼りになるのに、と苦笑する。
どうしようもない奴らだ、と思う。
ただ、どうしようもない奴らを手伝ってしまう俺だって
結局、どうしようもない奴だから───
フランスパンを籠に入れて陳列は終了。
一つ息をついて見る今日のフランスパンは、
少しため息混じりに見える。
「今日の目標、全品完売御礼!!」
オープンギリギリ、棚に並んだパンを確認して俺が声を上げると
円花も桜華もこちらに目配せして、
「「おーーー!!!」」と声を上げてきた。
どうしようもない俺たち、今日も
みんなで力を合わせてがんばってます。
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