2:初?登校の波乱(1)

 二日目。残念ながら起床のラッパは鳴らなかった。


 海斗がぼんやりした頭から徐々に覚醒した時、体はすでに勝手に動きだしていた。


 無意識のうちにバスルームへ向かい、シャワーを浴びている。熱い湯が頬を叩き、思考が鮮明になるにつれ、昨日の「現実」がどっと脳裏に蘇った。


「……夢じゃなかったか」


 バスルームを出て、洗面台の鏡の前に立つ。そこにいたのは、やはり自分ではない誰かだった。


「やっぱり髪が黄色い……」


 がっくりした。思わずため息が出る。

 それにしても、起きてシャワーを浴びるまでの一連の動作は完全に「自動運転」だった。


 海斗はこの部屋の構造を詳しく知らないはずなのに、迷うことなく棚の奥からタオルを取り出し、流れるような動作でバスローブを羽織った。


 デザイナーズマンションの一室、生活用品はすべて「隠す収納」に徹底されていて、初めての人間にはタオルの場所ですらわからないはずなのに、手が勝手に場所を覚えているのだ。


 さらにキッチンへ向かうと、カウンターには空になったコップ。

 どうやら起きぬけに無意識に牛乳を飲んだらしい。


(ありえん……。俺が冷たい牛乳なんて飲んだら、即座に腹を壊すっていうのに)


 脳裏に「手続き記憶」という言葉がふいに浮かんだ。

 自転車の乗り方や靴紐の結び方のように、生活の中で繰り返してきた行動は、意識せずとも体が覚えているという記憶。


(翔生の手続き記憶か……)


 昨日、豪邸からの帰りに無意識にバスに乗っていたのもそのせいだろう。


 海斗は姿見の中の翔生をもう一度見た。悔しいが、自分より数段今どきのイケメンだ。


 線は細いがヒョロくはなく、脱げばしなやかな筋肉がついている。女子の視線を釘付けにしそうな、計算されたスタイル。


 鏡を見ると、翔生の癖なのか、黄色い髪をかき上げてしまう。


「クソ」


 面白くない。

 自分の中に見知らぬ他人の習慣が同居していることが気持ち悪い。


 制服に着替えようとしたとき、スマホがピロンと軽快な音を立てた。

 アキトからのおはようスタンプだ。


『今日どうするん? またさぼる?』


(また、て……。そういえば、コイツは不登校気味って言ってたな)


『いや、登校する』短く返すと、即座に既読がついた。


『マジか。迎えにいったろか』


 ありがたいが、渚学園なら場所はだいたい分かる。


 LINE を閉じたとき、ふと気づいた。杏奈からの未読通知が昨日より三つ増えている。


「杏奈、ちょっとヤバめやけん、気を付けとき~」


 アキトの忠告が頭をよぎり、海斗の背中に薄ら寒いものが走った。


 「彼女」だと思い込んでる同級生。どう接していいか正解が見えない。


 とりあえずは「彼女ではない」という情報を信じ、未読のまま放置することに決めた。



***



 アキトは校門のところで待っていた。どこまで親切なんだ。図体の大きな男が所在なげに立っている姿は、どこか微笑ましい。


「ショウ~、本当に来たんや~」


「はよっす」軽く会釈する。


 その仕草にアキトはギャハハと笑い転げた。


「ちょ~ショウ!キャラ変受けるわ。てことはまだ記憶戻らんの」


「はあ、もど……らないですね」


 丁寧語を崩すべきなのだろうが、どういうタメ口で話せばいいか分からず、つい丁寧語が混じってしまう。


 下駄箱へ移動し、上履きに履き替える。翔生の手続き記憶のおかげか、アキトに案内されずとも、靴箱の位置は自然と分かった。


 しかし、上靴のかかとが踏みつぶされていてめちゃくちゃ履きにくい。

 無理やり踵を起こしてなんとか履いた瞬間、海斗は不穏な空気を感じた。


「?」


 周囲の生徒が、遠巻きにこちらを見ている。 ……だけでなく、距離を取っている。彼が目を向けると、蜘蛛の子を散らすように視線を逸らす。


(どういうこと?)


「おま、記憶障害で歩き方も変わってんね」


 アキトが指摘した。


「なんか背筋がピシッとしとうわ。モデルっぽい?」


(モデルじゃねえ。自衛官だっつの)


 かつてはヤンチャだった海斗だが、自衛隊で叩き直されたビシっとした姿勢は体に染みついている。


「ま、俺もブレイキンの先生に背筋伸ばせって言われてんだわ。気をつけよ」


 ガタイのいいアキトが背筋を伸ばすと、さらに巨大に見える。周囲の視線がますます怖がっているように感じるのは気のせいか。


 海斗は迷いなくアキトより前に、3年2組の教室へ入ろうとして引き戸をがらりと開けた。


 その瞬間、教室の空気が一変した。


---------------

*あとがき*

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1日2回更新 11時20分すぎ・23時20分すぎ

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