第17話 新島(山本)八重

新島(山本)八重


「……風が強い」


そう言って、私は銃を抱え直した。

火薬の匂いが鼻に残り、指先がじんと痺れている。

城壁の上から見下ろす会津の町は、煙に包まれて灰色だった。


「八重!」


兄・覚馬の声が、耳の奥で鳴る。


「無茶をするな!」


「無茶じゃない!」


私は叫び返す。


「生きるためです!」


弾を込める音。

金属が擦れる乾いた音が、心臓の鼓動と重なる。


幼い頃。


「八重、お前は女だ」


父が言った。


「女は、鉄砲を持つな」


私は、むっとした。


「でも、撃てます」


父は、困ったように笑った。


「撃てるからといって、撃っていいわけじゃない」


「……じゃあ」


私は、首を傾げる。


「男は、どうして撃っていいんですか」


父は、答えなかった。

その沈黙が、私の中に残った。


「八重!」


城内で、女たちが騒ぐ。


「敵が、迫っている!」


「分かってる!」


私は、銃を構えた。


「下がって!」


「でも……」


「撃てない人は、後ろに!」


声が、思ったよりも大きく出る。


「……怖い」


誰かが、泣きそうな声で言う。


「私も怖い!」


私は、振り向かずに言った。


「でも、怖いまま、撃つ!」


発砲。


耳をつんざく音。

肩に、ずしんと衝撃が来る。


「……当たった?」


覗くと、敵が倒れている。


「……ごめんなさい」


口から、勝手に零れた。


「……でも」


私は、唇を噛む。


「……ここは、渡せない」


夜。


城内は、血と汗と薬草の匂いが混じっている。


「八重」


女が、私の袖を掴む。


「……人を、殺してしまった」


震える声。


私は、目を閉じた。


「……殺した、と思うな」


ゆっくり言う。


「……守ろうとした、と思え」


「……そんなの……」


「……それでも」


私は、彼女の手を握った。


冷たい手。


「……生きて」


「八重」


兄の声が、疲れている。


「……もう、負けだ」


私は、息を呑んだ。


「……兄上」


「……降伏だ」


言葉が、重い。


「……私は」


胸が、痛い。


「……撃った意味は、ありましたか」


兄は、しばらく黙ってから言った。


「……あった」


その一言で、涙が出そうになる。


戦が終わった。


「……静か」


私は、瓦礫の中に立つ。


焦げた匂いが、まだ残っている。


「……勝った人も、負けた人も」


呟く。


「……同じ顔をしてる」


「八重」


後に、人が言った。


「あなたは、恐ろしい女だ」


私は、首を振った。


「恐ろしいのは、戦です」


「あなたは、銃を持った」


「……はい」


「後悔は?」


私は、少し考えた。


「……あります」


正直に言う。


「でも」


空を見上げる。


「……撃たなかった後悔も、あったと思う」


京都。


「……ここが、新しい場所」


町の匂いが、会津とは違う。


「八重さん」


新島襄の声。


「……銃を、置けますか」


私は、彼を見る。


「……置けるかどうか、分かりません」


「……持ったままでも、いい」


その言葉に、胸が揺れた。


夜。


「八重さん」


新島が言う。


「……あなたは、強い」


「違います」


私は、即座に言った。


「……壊れにくかっただけ」


「……それも、強さです」


私は、首を振る。


「……私は」


言葉を探す。


「……撃った手で、誰かを抱きたい」


沈黙。


「……赦されますか」


新島は、静かに答えた。


「……赦しは、撃った後にしか、来ません」


その言葉が、胸に落ちた。


晩年。


「……あの時」


私は、縁側で言う。


「……怖かった」


誰に向けるでもなく。


「……でも」


風が、頬を撫でる。


「……私は、逃げなかった」


銃を持ち、

撃ち、

泣き、

それでも生きた。


人は言う。


――新島八重は、女でありながら戦った。

――強い女だった。


けれど、私は知っている。


強さとは、撃つことではない。

撃った後も、生き続けることだ。


新島(山本)八重。


それが、

撃つ手と、祈る心を、両方持った女の名。


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