見出しのない新聞部

金城由樹

1. 未知は、ウケない部室から始まる

 夕方の文化部部室棟にある新聞部室は、いつも静かだった。

 静かすぎて、最初から誰もいなかったのではないかと錯覚するほどだ。

 部室に机は四つあり、椅子も四つある。

 ドアの上には「新聞部」と書かれた色あせたプレートが貼ってあり、部室の体裁だけはきちんと整っている。

 ただし、実際にここに座っているのは、いつも二人だけだった。

 三年生の二人の女子――。

 編集長と、副編集長。

 部員名簿の上では、新聞部は十人を超える大所帯だった。

 しかし、現在のこの部は、幽霊部員の見本市みたいな場所であった。

 入部届を出したきり姿を見ない者、最初の一回だけ顔を出して消えた者、SNSの連絡用のグループに名前だけ残っている者。

 もちろん、既読はつかない。

 それでも名簿は減らせない。

 減らす手続きが、面倒だからだ。

 だから新聞部は、書類上ではにぎやかで、だが、現実では驚くほど静かだった。


「……ねえ、副編集長」


 机に突っ伏したまま、編集長が言った。

 声に力がない。

 こういうときの「ねえ」は、大抵ろくな話ではない。


「名前で呼んでください」


「いいじゃん、役職呼びの方が『新聞部」らしいしー」


 副編集長は淡々と返しながら、原稿用紙の束を揃えていた。

 揃える必要があるほど枚数はないが、揃えるのが癖になっている。


「それはいいとして……、どうしたんですか」


「新聞がウケない」


 編集長は顔を上げずに言った。

 まるで深刻な社会問題でも告発するみたいな口調だった。


「知ってます」


「知ってるんだ……」


「毎号、配ってるのを見てますから。それも、配布を生徒会に依頼しているのは、わたし自身ですから!」


 副編集長はそう言って、プリンターの横に積まれた新聞をちらりと見た。

 誰も手に取らなかった分だ。

 毎回、少し余る。その“少し”が、積み重なっている。

 編集長はゆっくり起き上がり、椅子に背中を預けた。


「ねえ、副編集長。新聞ってさ、読まれてナンボじゃない?」


「新聞に限らず、だいたいのものはそうです」


「じゃあ、読まれてない新聞は?」


「……ただの紙です。しかもチラシ以下の……」


「でしょ!」


 編集長は勢いよく立ち上がった。

 立ち上がった勢いで椅子が少し鳴り、その音が部室にやけに大きく響いた。

 副編集長は、その音が消えるのを待ってから言った。


「でも、ちゃんと作ってますよね。毎月」


「作ってる!」


「配ってますよね」


「配ってる!」


「それで読まれないなら、それは……」


「世の中が悪い!」


「世の中のせいにしないでください!」


 編集長は頬を膨らませた。

 こういう表情をするたび、副編集長は思う。

 この人は、本当に三年生なのだろうか、と。


「スクープが足りないのよ!!」


 そう言うと、編集長は、むくりと起き上がった。

 夕日が頬に当たって、妙にドラマチックに見える。

 ドラマチックな顔で、ドラマチックじゃないことを言うのが編集長の十八番だ。


「出た。新聞部が言うと途端に背伸び感が出る単語第一位、“スクープ”」


「副編集長、あなた本当に夢がないわね。スクープよ? 未知よ? 真実よ? 社会の闇よ?」


「最後のそれ、編集長が一番好きなやつ。で、何をスクープするんですか。先生の不倫? 校長の横領? 生徒会の不祥事?」


「おお、いいわね不倫!」


「よくない。そもそも誰の?」


 編集長は指を折って数え始めた。


「まずは教頭先生。教頭先生は不倫してそう」


「偏見の詰め合わせやめてください!」


「次に、体育の先生。汗と不倫は相性がいい」


「どういう相性!?」


「次に、進路指導の先生。不倫で現実逃避しそう」


「人間観が荒れてる!!」


 副編集長は、机を軽く叩いた。


「そんなの、記事にできません。証拠もない。名誉毀損。あと普通に最低!」


 編集長は、また頬をふくらませた。


「えー。じゃあ時事ネタと絡めた不祥事は? パワハラとか、裏金とか……」


「この女子高のどこに裏金があるんですか。文化部予算が毎年“気合い”で乗り切ってる学校ですよ?」


「うちの部費も気合いよね」


「それを言わないでください!」


 編集長は、ふっと遠い目をした。


「……わたしたち、報道の自由が欲しい……」


「自由より先に倫理をください!」


 副編集長は、本気でそう思っていた。

 そうでなければ、この部は、とっくに何かを壊している。

 編集長が、三度みたびふくれっ面をする。


「でもさ、副編集長。だったらさ……」


 言いかけて、編集長は、ふっと表情を変えた。


「“未知”なら、どう?」


 それは、いつもの思いつきみたいな調子だったが、珍しく、逃げ道を用意していない言い方だった。


「……“未知”?」

 

 副編集長は眉をひそめた。


「“未知”を記事にするの」


「”未知”は、分からないものです」


「分からないから面白いんじゃない!」


「分からないまま書いたら、問題になります」


「じゃあ、見つけるの! “未知”を!!」


 編集長は立ち上がり、部室の隅を指さした。

 そこには、一眼レフカメラが置かれていた。

 新品同様で、しかし長い間、触れられた形跡がない。


「……それ、使うんですか」


「もちろん。新聞部だもの」


「買ったのは、今いない部員ですけどね」


「幽霊部員の遺産よ」


「縁起が悪い」


 編集長はカメラを持ち上げた。

 少し重そうにしながらも、誇らしげだった。


「じゃあ、副編集長、“未知”を探しに行こう」


「校内に?」


「校内に!」


「人手が足りません」


「二人で十分よ!」


 副編集長は、一瞬だけ言葉に詰まった。

 二人で十分だと思ってしまう自分が、確かにいたからだ。


「……分かりました」


 結局、そう答えてしまう。

 いつもそうだ。



 二人は部室を出た。

 夕方の廊下は長く、窓から差し込む光が床を歪ませている。

 誰も見ていない。

 誰にも気づかれていない。

 それでも、確かに歩いている二人がいる。

 新聞部は、今日も活動していた。

 それがまだ、誰にも知られていないだけで、未知は、たぶん、ここから始まる。

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