DREAM QUEST ~ 異世界で不死身になった私は、借金返済のため今日もダンジョンに潜る

瑞雨ねるね

第一話 墓の下にいる

 目が覚めた時、私は暗闇の中にいた。


 なにも、視えない。

 状況が分からない。


 ―――ここは、どこ?


 兎に角、周りがどうなっているのか把握はあくしたい。どこかに光源がないだろうかと首を巡らせると、後頭部が硬いもので擦れた。

 顔に掛かった長い髪が揺れる。

 途端に私は、鼻腔びこうを満たす土と石の臭いに気付く。肺がカビくさい空気で一杯になっていた。


 どうやら私は、地面かなにかに横たわっているらしい。


 長く眠っていたのか、天地の感覚が酷く曖昧あいまいだった。それでも、とりあえず起きあがろうとして――私は、なにかに額をぶつけた。


 ―――ガンッ


 あたまが、いたい。

 かなり強く打ち付けてしまった。

 ズキズキと傷が痛む。

 喉から声にならない悲鳴がれた。コブになってしまうかもしれないな、となんとなく間抜けなことを思う。


 でも、今はそんなこと、問題にならない。


 文字通り、私の目と鼻の先に壁があった。おそるおそる手で探ると、ざらりとした硬い石の感触が指を押し返してくる。


「…………!」


 不吉な予感に駆られ、私は更に手をわせた。

 手の届かない場所は、足で探る。

 結果として分かったのは――目の前だけでなく、左右や上下も同じような壁で囲まれているという事実。しかも、とても狭い。ほとんど身動きが取れない状態だった。

 棺桶かんおけの中にいるかのようだ。


 ―――まるで?


 と、電撃的に理解する。

 気付きたくはなかった事実が、怖しい現実が、容赦ようしゃなく私におそい掛かった。


 私は、墓の下にいて。

 ここは、棺桶の中だ。


 ―――――冗談じゃないッ!


 一気に逆上して、私は全力で目の前の壁――棺桶のふたを叩いた。


 ドンッ、ドンッ、ドンッ、と鈍い音が鳴る。


 何度も叩き付けた拳が酷く痛んだ。骨が砕けてしまいそう。

 だけど、重い石の蓋はびくりともしない。

 触れただけでも分かるくらいボロボロでもろそうな蓋なのに、叩いた感触はコンクリートの壁よりも堅牢けんろうだった。


 悲鳴を上げて助けを呼ぼうとするけれど、何故か声が出ない。それでも私は泣き叫びながら、必死で棺桶の蓋を叩き、蹴りつけた。


 ……ひとしきり暴れて疲れたところで、ぐったりと手足を投げ出す。


 体勢の問題もあるけれど、とても私の力では壊せそうにない。

 ならば、なにか――脱出する足掛かりになるようなものはないだろうかと考えて、私は棺桶の中を注意深く探った。


 蓋には、小さな細かいみぞがいくつもあった。

 それになにか、かわいたものが付着していて、指で擦るとボロボロと落ちてくる。


 それから、棺桶の中は、ふさふさしたもので一杯だった。


 どうやら私の髪の毛らしい。

 御伽噺おとぎばなしのラプンツェルが脳裏をぎるけれど、生憎あいにくとここは墓の下であって、とうの上ではない。脱出の役には立ちそうにもなかった。


 ―――ガリガリガリガリガリガリガリガリガリッ


 いつしか、奇妙な音が鳴り響いていた。

 なにかと思えば、私が棺桶の蓋をいている音だった。


 爪がげる。


 酷い痛みが指先を焼いた。流れ出る血が、溶岩のように熱い。私は爪が剥げた指をくわえた。

 こんなことをしても意味はない。

 それでもなお、私は蓋を掻き続けた。


 なにも視えない暗闇の中で、私は絶望する。

 もう、自分が目を開いているのか閉じているのかすら分からない。痛いほどの静謐せいひつが耳を打つ。

 夢なら覚めて欲しい。

 だけど指先の痛みが、これがどうしようもない現実なのだとうったえていた。


 爪が剝がれるのも気にせず、壁を引っ掻き続ける。

 私は、自分の頭が狂いつつあるのを自覚していた。


 ―――それから。


 いったい、どれだけの時間が経っただろう。


 五分しか経っていない、なんてことはないのは間違いない。

 だけど一時間か、一日か、あるいは一週間か。流れた時を大まかに予測することすら、今の私にはできそうになかった。

 ……そもそも、こんな状況で、時計もなしに時間を計れる人間がいるとは思えないけれど。


 皮肉を考えることすら億劫おっくうだった。


 もう、疲れた。


 私は意を決し、舌を動かしてくちびるから這い出させる。そして、

 ブチリ、と嫌な音。

 意外と呆気なくみ切ることができた。

 肉片が喉を塞ぎ、更に大量の血液が口の中を満たす。気道がふさがれてしまうけど、身体の反応は鈍い。

 生理的な反射すらなく、せきの一つもこぼれなかった。


 これでいい。


 スパイ映画では自決のお約束だけれど。実際には、舌を噛み切っても出血で死ぬことはないと聞いたことがある。

 だから私は、窒息ちっそくして死ぬことにしたのだ。


 ……もちろん、なにもしなくても、いつかはひつぎの中の空気が尽きるとは思う。それでも私はもう、一秒だってこの状況に耐えられそうになかった。


 死ぬのは怖い。絶対に嫌だ。

 だけど今の私の胸は、後ろ向きな安堵の気持ちで満たされていた。


 ―――……これで、終われる。


 私は目を閉じて、その時を待つ。


 待って、待って、待って、待って、待って―――


 気が付いた時、私は


 四度目までは覚えている。

 だけど、私は一向に死なない。それどころか、噛み切る度に舌が生えてくる始末だ。

 爪もいつの間にかすべてそろっている。

 頭がおかしくなりそうだった。


 どうやら私は、不死身らしい。


 何故そんなことになっているのか、全く分からない。完全に理解不能だった。

 どうしてこうなったのか。

 今更ながら、私は目覚める前の出来事を思い出そうとする。しかし、すぐに愕然がくぜんとする羽目になった。


 


 自分の名前も、住んでいた街や国も、家族や友人のことも――あるいは、天涯孤独であるのかどうかすら――判然としない。私の頭の中は、度し難いほどに空っぽになっていた。

 世界が崩壊したように錯覚さっかくする。


 ああ――気付いてしまったからには、もう戻れない。

 私の正気は、今度こそ完膚かんぷなきまでに打ち砕かれた。


「…………」


 暗い棺の中で、意味もなく覚醒と睡眠を繰り返す。

 棺桶の中の空気は、当の昔に尽きていた。……もしかしたら、私が最初に目覚めた時から、そんなものは尽きていたのかもしれない。

 酸素もなく、水も食事も絶って幾星霜いくせいそう

 私の意思に反して、私の身体は劣悪な環境でも生きていた。仮死状態にでもなっているのか、皮膚の細胞組織すら壊死しない。ただ髪だけが、無意味に延々と伸び続けていた。


 私はこのまま、自分の髪におぼれるのだろうか。


 そんな、なんだか場違いな空想にふけっていると、不意に――なにかの物音が耳に届いた。


 ざくざく、と。土を掘る音がする。

 狂った私の脳が生んだ幻聴かと思った。だけど、そんなことはどうでもいい。私はわらすがる思いで棺桶の蓋を叩いた。


 音はどんどん近づいてくる。


 やがてそれは止まり――しばらく間を置いてから、棺桶の蓋が開いた。


 重い音を立てて、棺の蓋が横に落とされる。それと同時に、まばゆい光が網膜に突き刺さった。

 異常に長く伸びた髪越しに、なにかの光が目を焼く。私は咄嗟とっさに固くまぶたを閉じて顔を背けた。

 冷たい外気が雪崩なだれ込み、肌を洗う。

 関節が固まった腕をどうにか動かして顔の前にかざし、光をさえぎって、少しずつ目を慣らしていく。


 程なくして、私は外の景色と対面した。


 まず最初に抱いた印象は、暗い土の中。だけど広々としている。薄っすらとしもに覆われた硬い岩の天井が、頭の上に広がっていた。


 ―――洞窟どうくつ


 知らない場所だ。だけどここが何処か知ることよりも、まずは棺の外に出たい。

 私は身体を起こそうと手足に力を入れるが、これがどうにも上手くいかない。髪が邪魔だ。それに、自分の身体が、まるで自分の身体じゃないみたいになっている。

 長時間狭い空間に閉じ込められていたことで、全身の関節が固まり、筋肉が衰えていた。

 髪の海を掻き分けて、どうにか棺のへりに身を乗り上げてしがみ付く。


 なんとか一息吐いたところで、顔を上げると……―――


「―――――」

「―――――」


 目の前に、怪物がいた。


 見た目は狼男に近い。だけどそのみにくさときたら、筆舌に尽くし難いものだった。

 犬に似た顔は不細工に潰れている。身体を覆う皮膚はゴムのような非生物的な質感であり、その上に灰褐色の毛皮が生えていた。

 毛皮には汚らしい印象の黒いまだら模様もようが入っている。

 その身は泥と血と緑色の黴で汚れていて、なにかが腐ったような、酷く不快な臭いがした。

 足の爪先はひづめ

 手の構造は人間に近いけれど、指先には鋭い鉤爪かぎづめが備わっていた。

 口からは止めどなくよだれが垂れている。肉と毛皮の隙間からのぞく牙は、ぞっとするほどに凶悪な代物に見えた。


 その怪物が三匹、私――正確には棺――の周りを取り囲んでいる。


 ……私が悲鳴を上げなかったのは、肝が据わっているからじゃない。

 ただ単に、肺がしぼんでいて、まだ上手く呼吸ができないからだった。


 一方で、怪物達は顔を見合わせて、首を傾げている。


 私が生きているのが不思議なのか。

 想像するに、彼等は墓荒らしなのだろう。だから石棺を掘り起こし、穴から引きり出したのだ。その行動と、生きている私を見るリアクションからして、彼等に知性があるのは間違いないように思う。


 友好的な挨拶あいさつをするべきだろうか。

 そして助けてくれたお礼を言うべきだろうか。


 とりあえず私は、引きる唇をどうにか笑みの形にして、フレンドリーに片手を挙げてみる。すると怪物の内の一体――私の正面にいた個体――が、急激に体毛を逆立てた。

 怪物は地面を蹴って、私に飛び掛かる。

 怪物は私の腕を掴み、大きく口を開けて――噛み付いた。


「―――――ッ!」


 激しい痛みが神経を走って、そのまま脳髄のうずいに突き刺さる。

 自傷とは全く異なる性質の痛み。

 不意打ちだったこともあって、とても耐えられそうになかった。それに、食われることにも本能的な恐怖を感じた。


 私は不死身で、少なくとも窒息や出血で死ぬことはない。

 だけど食われて消化されたらどうなるかは分からなかった。もしかしたらそれでも復活は可能なのかもしれないけれど、とても試したいとは思えない。


 残る二体の怪物も飛び掛かってきて、私にかじりつく。


 痛い。痛い。痛い。―――痛いッ!


 嫌だ!


 痛いのは嫌だ!

 死ぬのは嫌だ!


 せっかく自由になれたのに――こんな化け物に食われて終わるかもしれないなんて、そんなのは絶対に嫌だ……ッ!


「―――……た、すけて」


 叫んだつもりだったけれど、それは小さな呟きにしかならなくて。

 だけど―――


「―――お安い御用!」


 不意に――遠くから、救いの神の声が聞こえた気がした。

 それは、気のせいなんかじゃなかった。


 ヒュン、と鋭く風の吹く音がする。

 その一瞬の間に、全ての決着はついていた。


「―――――」


 三体の怪物が、バラバラの肉片になって転がり落ちる。断面からあおい血が零れた。

 大量の蒼を頭から被って、私は呆然と硬直する。


 いったい、なにがおこったの?


 私はおそるおそる首を回し、声が聞こえた方へ視線を向ける。


 ひとりの少年が、こちらにやって来ていた。


「まだ迷宮探索の途中だというのに……―――はてさて、これはこれは。なかなかどうして、奇妙なこともあるものだね」


 ゆっくりと。水面を歩く白鳥のように、優雅且つ泰然たいぜんとした足取り。

 物語の登場人物みたいな気取った台詞は、だけど嫌味なく似合っていて。声変わりのしていない高い声には気品があり、しかし年齢とは不釣り合いな、老爺ろうやじみて落ち着き払った雰囲気がある。


 いつの間にか、少年は私の目の前に立っていた。


 背丈は非常に小柄。

 人形めいた、人間とは思えないほどに整った中性的な顔立ち。

 長い睫毛まつげに縁取られた、くりくりしたアーモンド型の大きな眼の色は蒼。晴天を連想させるほどに澄み渡った瞳の中で、金色の星がキラキラと輝いていている。

 それはまるで瑠璃ラピスラズリの宝石のようだった。

 三つ編みに結われた長い髪は、黄色がかった色の白髪しらが

 だけど老人のソレとは違って瑞々しくうるおっている。それは肌も同じで、白い肌はまるで茹で卵のよう。つるりとしていて、その白さは人間味に欠けていた。


 服装は、そのまま舞踏会に参加できそうな、瀟洒しょうしゃな貴族服。

 襟元を蒼いスカーフタイで結び、黒のしま瑪瑙メノウのブローチを着けている。


 首には黄色のマフラーを巻き、その上から同色のフード付き外套マントを羽織っている。

 外套は袈裟けさ風の仕立てでポンチョに近い構造をしており、フードにはピエロの衣装のような、青いしま模様もようが特徴的な、二つの尖った房が備わっていた。


 黄色い少年は、上品に微笑んでいる。


 利発な子供のような、悪戯好きな老人のような。

 だけど氷みたいに冷たい――不思議な空気を纏う少年。彼の周りだけ気温が低くなっているような、そんな錯覚がする。―――あるいは、それは錯覚ではないのかもしれない。

 だって、彼の周りだけ、はらりはらりと雪のようなものが舞っている。本当に冷気を纏っていてもおかしくはない――と、そんな馬鹿げたことを本気で考えてしまった。


 彼は唐突に着ていた外套を脱ぐと、そっと私の肩に掛けた。そこで初めて、私は自分が全裸に近い状態だったことに気付く。

 服は着ていたようだけれど、長い時間の経過によってほとんどち果てていた。


 慌てて外套を掴み、前を隠す私を見て。黄色い少年はくすりと笑みを零した。


 薄い唇が、平らな喉が、言葉を紡ぐ。


「―――初めまして、可愛らしいお嬢さんマドモアゼル。僕はロビン。ただのロビンです。さあ、お手をどうぞ」


 差し出される右手。

 シルクの手袋で包まれた手に、おそるおそる、手を伸ばす。だって今の私は、さっきの怪物達の血で汚れているから。

 だけど彼は全く気にした様子もなく、じっと私を待っている。


 掌が重なる。


 掴んだ小さな手は、氷のように冷たくて。身体の芯からこごえてしまうほどに痛かった。

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