第4話 0点の設計図

 爆心地特有の熱気と粉塵が、ゆっくりと晴れていく。

 俺が開けた風穴の向こう側に広がっていたのは、豪奢なカーペットが敷かれた広い石室だった。

 壁一面には複雑怪奇な魔法陣が描かれ、部屋の中央には巨大な水晶球――おそらく、この無限回廊を制御していた魔導コンソールが鎮座している。


 そして、その傍らで腰を抜かしている男が一人。

 貴族風の衣服を纏い、片眼鏡モノクルをかけた優男だ。さっきまで天井から偉そうな声を響かせていた「未知の主」に間違いない。


「ば、馬鹿な……ありえない……ッ」


 男は震える手で、俺たちが開けた大穴と、自分の手元の魔導書を交互に見比べている。


「こ、この空間は『閉じて』いるのだぞ!?数学的に脱出ルートなど存在しない!計算式に一点の曇りもないはずだ!なのに、どうして……どうして座標が繋がるんだッ!?」

「うるさいですね」


 俺はドレスの埃を払いながら、破壊した壁の瓦礫を踏み越え石室へと足を踏み入れた。

 カツ、カツ、とヒールの音が響くたび、男がひぃ、と喉を鳴らして後ずさる。


「貴方の計算式は完璧だったのでしょう。机の上ではね」


 俺は冷徹に見下ろした。


「ですが前提条件が間違っています。『壁の強度が無限大である』という仮定で設計していませんか?現場の素材強度を無視した設計図など、我々の業界軍隊では紙くず同然です」


 背後からリーゼロッテとセツナ、ヴェロニカが続いて入ってくる。

 ヴェロニカは信じられないものを見る目で壁の断面を眺めていた。


「……空間呪法を物理的な熱量だけで焼き切るなんて。野蛮というか、デタラメね。……惚れ直したわ」

「お褒めに預かり光栄です、共犯者」


 俺は短く答えると、敵の魔術師に向き直った。

 男はパニックになりながらも、最後の抵抗を試みるように水晶球に手を伸ばす。


「く、来るな!まだだ、まだ術式は生きている!空間を再定義して、今度こそ貴様らを虚数空間の彼方に……ッ!」


 ブォンッ、と男の手元で魔法陣が輝く。

 だが、遅い。


「往生際が悪いですよ」


 俺はため息混じりに合図を送る。

 刹那、俺の影からセツナが飛び出した。

 彼女は獣のような跳躍で男との距離を詰めると、手に持ったクナイを男の手の甲に突き立て、水晶球から物理的に引き剥がした。


「ギャアアアアアッ!?」

「……詠唱、遅い。隙だらけ」


 セツナは無表情のまま男の襟首を掴み床に叩きつける。

 同時にリーゼロッテが踏み込み、男の喉元に大剣の切っ先を突きつけた。


「動くな。……聖女様の御前だぞ、下種が」


 勝負ありだ。

 圧倒的な暴力の前に、理論武装された「未知」はただの「無力な老人」へと成り下がった。


「ひ、ひぃッ……待ってくれ!私は、私は帝国軍に依頼されただけで……!」

「命乞いは神になさい。私はただの、通りすがりのシスターですから」


 俺は男の前に歩み寄り、パイルバンカーの先端を――まだ熱を帯びている鉄杭を、男の鼻先に向けた。

 プシュウ、と排気弁から漏れた蒸気が男の前髪を揺らす。


「質問します。この先にある帝国軍の兵器庫はどこですか?」

「あ、あそこの隠し扉の奥だ!誓って本当だ!だから助けてくれ、金ならある、魔道書も全部やるから!」


 男は失禁しながら、震える指で部屋の奥を指差した。

 あそこか。俺は満足げに頷く。


「素直でよろしい。……ですが、採点は『0点』です」

「え……?」

「客人を迷子にさせた詫びが足りません。それと、私のドレスを湿気させた罪は重い」


 俺は聖女の慈愛に満ちた(と自分では思っている)微笑みを浮かべ、鉄杭を振り上げた。


「安心して眠りなさい。次に目が覚めたら、そこは鉄格子の中ジェイルです」


 男が悲鳴を上げようと息を吸い込む。

 その瞬間、俺は躊躇なくパイルバンカーを叩き込んだ。

 

 ゴウンッ!!


 狙ったのは頭ではない。男のすぐ横にある、魔導コンソールの中枢(水晶球)だ。

 水晶が粉々に砕け散り、魔力が暴走する衝撃波が男を吹き飛ばし、壁に叩きつけて気絶させた。

 これで無限回廊の結界も完全に消滅する。


「……ふぅ。片付きましたね」


 俺は飛び散った魔力の火花を手で払い、振り返った。

 ヒロインたちが、尊敬と陶酔の眼差しで俺を見ている。


「さすが聖女様!悪しき魔術師を一撃で粉砕なさるとは!」

「……相変わらず、心臓に悪い解決策ね。でも、スカッとしたわ」

「ご主人様……強い。好き」


 彼女たちの称賛を受け流しつつ、俺は隠し扉の方へと歩き出した。

 この奥に目的のブツがある。それを確保すれば任務完了だ。

 だがその前に、やらなければならないことが一つある。


 俺は懐から最後のニッキ飴を取り出し、口に放り込んだ。

 戦いの後の高揚感を鎮めるための、ささやかな儀式。

 辛味成分が舌を刺激し、泥臭い現実へと感覚を引き戻していく。


「さあ、行きますよ。ここから先は『未知』ではありません」


 俺は崩れ落ちた壁の向こうに広がる夕暮れの空を見上げ、スカートを翻して告げた。


「私たちが歩いた後に残る、『道』です」

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