第22話 招かれざる商人

 竜の眠りを確認してから三日。ルーデン村には久しぶりに穏やかな朝が戻っていた。

 嵐を抜けた空は澄み切り、鳥は歌い、子ども達は井戸の周りではしゃいでいる。

 アレンは久しぶりに杖を置き、村外れの畑に向かった。


 土は温かく、前回の地脈修復以来、すっかり色を取り戻していた。

 力を透かして感じてみると、大地の鼓動が明らかに穏やかになっている。竜の夢が再び深くなったのだ。

 アレンは膝をつき、芽吹いた若葉をそっと撫でる。

「ようやく落ち着きましたね。……いい傾向です。」


「アレンさーん! よかったら昼のお茶にしましょう!」

 ミーナの明るい声が丘の上から響いた。

 アレンは顔を上げ、柔らかく笑った。

「では、お言葉に甘えましょうか。」


 二人が家へ向かおうとしたときだった。

 村の門の方から、珍しく複数の馬車の音が聞こえてきた。

 ミーナが首をかしげる。

「お客さんかな……? でもこの時期に商人なんて来ませんよね。」

「違和感がありますね。確認してきます。」

 アレンは軽く外套を羽織り、村の入口へと歩いた。


         ◇


 村の木製門の前に、三台の馬車が止まっていた。

 旗は見慣れない紋章。王都商人組合の正式な印でも貴族の紋でもない。

 馬車の前で、黒衣の男が深く一礼していた。


「やあ、ここが噂のルーデン村ですね。お初にお目にかかります。わたくし、トラヴィス商会のシドと申します。」

 やけに丁寧な口調。にこやかな笑みを貼り付けた目がどこか濁っている。

 アレンは無表情のまま彼を見つめた。

「珍しいですね。この辺りは道も荒れていますが。」

「ふふ、ええ。だからこそ価値があるんです。“辺境の珍しい産物”と噂されておりましてね。特に貴方、アレン=クロード殿のお力で地が豊かになったと。」

 アレンの眉がわずかに動く。

「僕のことを知っているとは、随分と情報通ですね。」

「商いの世界、名を知らぬ者はいませんとも。ですが、今日は別件で。些かお伝えしたい文がありまして。」


 男が懐から封筒を取り出した。黒い蝋印に刻まれるのは――王都聖殿の紋。

 アレンは笑みを消したまま、封を切った。

 中の文面は短い。


『再構築術の使用者、アレン=クロード。聖王庁は貴殿の行動を注意深く観察している。近日中に査問使を派遣予定。準備されたし。』


「査問、ね。」

 呟く声にシドがにやりと笑う。

「表向きはご挨拶です。が……裏では、“お見立て”ですよ。貴方の力が神か悪魔か、確かめるそうです。」

「あなたはその先触れとして?」

「ええ、ついでに物資の取引も。辺境の“新しい資源”をお披露目できれば、聖殿も満足するでしょう。」


 アレンは視線を鋭くした。

「資源とは?」

「このあたりに、妙な“青石”が眠っているそうで。地脈から吹き出した輝石。……神核の欠片、とでも呼ぶのかもしれませんね。」


 その瞬間、村の奥で風が鳴った。

 リィナの気配がはっきりと変わる。彼女も会話を聞いているのだ。


「その石を誰が渡すと言いました?」

「もちろん、取引です。金は払います。欲しければ王都の保護も。」

「保護とは名ばかりの支配ですよ。」

 アレンは冷ややかに言い放つ。


 シドは少し肩をすくめて笑った。

「噂通り、聖人のように優しい方だ。けれど、この村をご存じない貴族たちはこうおっしゃる。“辺境は宝の倉だ”と。採掘権限が下れば、ここもすぐに掘り返されるでしょう。」


「脅しのつもりですか。」

「いえいえ、事実ですよ。」


 微笑みを浮かべながら、シドは手の中の黒い指輪を指先で弄んだ。

 その表面には、王都神殿とは異なる紋章。三重の三角を重ねた、裏教団の印。

 アレンの瞳が鋭く光る。

「……なるほど、“商人”の皮をかぶって、異端狩りを誘い込むつもりですか。」

「話が早い。封印の石と、貴方の力の源を持ち帰る。それが私の仕事です。」


 次の瞬間、空気が張り詰めた。

 シドの足元に展開された符が爆ぜ、無数の黒い鎖がアレンを絡め取ろうと襲いかかる。

 しかしそれは触れた瞬間に光粒となって弾けた。


「……甘いですね。」

 アレンの掌から放たれた淡い光が空間を満たす。

 鎖が花のように溶けて散り、風となって丘を駆け抜けた。


 シドは軽く舌打ちをして後退する。

「いやはや、やはり本物。ですが、目的は果たしました。」

「情報収集か。」

「ええ。貴方が“守る側”であることを確認した。となれば、もう一方――“奪う側”が動き出します。」


 それだけ言い残すと、シドは霧のように姿を掻き消した。

 残された馬車も音もなく消え、ただ地面に黒い羽根が一枚落ちていた。


         ◇


 その日の午後、アレンは村長宅で村の有志を集め、事情を説明した。

 神殿による査問と、謎の商人の出現。

 リィナは不安げに唇を噛む。

「アレンさん……これって、また戦いになるんですか。」

「今度は防戦ではなく、静かな駆け引きです。武力ではなく、理を示す必要がある。」

「理?」

「この村が、神の代弁者などではなく“人の意志で立つ地”だと理解させる。でなければ、いずれ燃やされる。」


 村人たちは顔を見合わせた。

 誰もが恐れていた未来。それを正面から言葉にしたのはアレンが初めてだった。

 やがて、一人の壮年の男が口を開いた。

「……なぁアレン殿。もし、あの査問使を説得できなかったら?」

「その時は、僕が責任を取ります。」


 その言葉に、場の空気がわずかに緩む。

 ミーナが呆れたように笑った。

「なんでアレンさんばっかりが背負うんですか。」

「僕が背負うと安心するでしょ?」

「安心はしますけど……ムカつくときもあります。」


 そのやり取りに、小さな笑いが起きた。

 わずかでも明るさが差し込む。

 アレンはそんな彼らを見渡し、心の中で小さく息をついた。


(こんな人々を、また失うわけにはいかない。)


         ◇


 夜。

 アレンは小屋で書簡を手に取っていた。

 聖王庁への返答を書く必要がある。

 窓の外では風が鳴いているが、その音がどこか不気味に聞こえる。


 紙にペンを滑らせながら、彼は思案していた。

 神殿がおそらく送る査問使は――ハイゼル。

 師であり、旧友であり、敵でもある男だ。

 再構築の理念を最初に共有し、そして決別した相手。


(あなたを止めるために、僕はこの地にいる。……けれど本当は、あなたを救いたい。)


 彼はペンを置き、窓の外に目をやった。

 薄い月明かりの中、丘のあたりに何かが立っている。

 細身の影、人ではない。

 金の輪のような何かが背に浮かんでいるのが見える。


 その正体を確かめようとした瞬間、風が吹き抜けた。

 影は煙のように消え、ただ草が波打った。


「……見ていましたか。ハイゼル。やっぱり、もう動いてる。」


 呟いた声が闇に溶ける。

 アレンはゆっくり外套を羽織り、机の上の封筒を閉じた。

 王都行きの手紙はまだ白紙のまま。


「人と神、どちらの理にも属さない。この村は……僕の答えを試す場所だ。」


 その言葉と共に、遠く空に赤い灯がまたひとつ灯った。

 新しい奔流が始まった予感が、夜空に漂う。

 ルーデンの青い星々をかき消すように、静かな闇が村の上に降りていた。

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