第2話 王子の罠と理不尽な裁き

 その夜、王都アルディナの王宮最上階では、ひとりの男が不機嫌な溜息をついていた。

 第二王子レオニール=グランヴェルト。王国の支配権を狙う若き獅子と称される男だ。

 だが、彼の額には冷や汗が滲んでいる。

 机上には報告書が一枚――そこには震える筆跡でこう書かれていた。


『アルディナ郊外ルーデン村にて、聖光柱発生。瘴気地域の汚染、完全消失。原因不明。』


 報告書を見つめながら、レオニールは歯を食いしばり、紙を握りつぶした。

 無能と断じた男――アレン=クロード。

 その名が報告書に記されていた時点で、胸の奥にじりじりと焼けるような怒りがこみ上げていた。


「追放したはずの男が……村ごと浄化だと? ふざけるな……!」


 机を叩く音が響き、部屋の空気が震えた。

 すぐさま控えていた側近たちが顔を上げる。

「殿下、報告は確かで……現地の調査隊も確認しております。村人によれば“流浪の治癒師”が奇跡を……」

「黙れ! 誰が奇跡を許可した!」


 怒号に誰も口を開けなくなった。

 レオニールの目は激しく血走り、手にしていたグラスを握りつぶす。

 破片が指先を切り裂いたが、痛みなど全く気にしていない。


「アイツは俺の顔に泥を塗った! 追放されたのに平穏に暮らす? あり得ん……!」


 憎悪の言葉が夜の静寂を裂いた。

 王子の感情の根には、かつて王都での出来事があった。

 魔王戦での功績を讃える式典の日、王が宣言したのだ。

 ――アレン=クロード、聖魔統合術の完成者として王国最高位叙勲。


 その瞬間、全てが変わった。

 人々の目は勇者でも王子でもなく、ひとりの白衣の青年へと集まった。

 レオニールの優越感は、あの日を境に辱めへと変わったのだ。


「あの下民が……王族を差し置いて称賛されるなど、あってはならん」


 そう呟くと、背後の扉が静かに開く。

 入ってきたのは金髪の女魔導師、リリア=シェード。

 勇者パーティの頭脳であり、かつてアレンの副官として共に戦場を歩いた仲だ。


「殿下。彼が辺境にいる件、いかがお取り計らいを?」

「放っておけば“英雄”として再評価される。封じねばならん」


 レオニールは立ち上がり、窓の外――遠くに見えるルーデン方面の空を睨む。

「リリア。お前に命じる。“無能”である証を決定的に作れ。奴を神殿の監視下に置け。二度と表には出すな」

「……それは、処刑を意味するかと」

「黙れ。お前もあの男を庇えば同罪だ」


 リリアの瞳にかすかな動揺が走った。

 アレンの実力を、一番知っているのは彼女だ。

 だが立場的に逆らうことはできない。

 彼女は深く頭を下げた。


「承知……しました。ですが、アレンが抵抗した場合は?」

「ならば、奇跡を起こさせろ。神聖術の証拠を記録して“異端の術師”として捕らえる。それが奴の終わりだ」


 王子の口元が歪む。

 まるで狩りの手はずを整える悪魔のように。


          ◇


 一方そのころ、ルーデン村の夜は穏やかだった。

 粗末な宿屋の片隅に、アレンがぼんやりと湯気立つスープを見つめている。

 村人の好意で泊めてもらった部屋は狭いが、不思議と落ち着く。

 昼間に癒した老婆の孫娘ミーナが、木製の椀を両手で差し出した。


「アレンさん、これ……山菜スープです。さっき摘んできたんですよ」

「ありがとう。嬉しいよ。……こんなに優しくされたのは久しぶりだ」


 そう言って微笑むと、ミーナは少し頬を染め、逃げるように厨房へ走って行った。

 アレンは苦笑しながらスープを口に含む。素朴な味だ。

 けれど、胸の奥が妙に温かくなった。


(魔力の流れがこの村だけ妙に澄んでいるな……。瘴気の根も完全に絶たれた。神の祝福というより、地脈の再生か)


 研究者の癖が抜けず、つい観察してしまう。

 だが同時に、王都での冷たい視線を思い出しては心が軋んだ。

 信じた仲間は沈黙し、王子は嘲笑い、王国は無能と宣告した。

 それでも不思議と怒りは湧かない。


「俺はただ……人を助けたかっただけ、なんだけどな」


 呟いた声は、宿の灯火に溶けた。


 そのとき、外から騒ぎ声が聞こえた。

「おい、村の外に騎士団だ! 夜襲かもしれねぇ!」

「なんだって!? 魔物じゃなくて、人間が!?!」


 アレンはすぐ立ち上がった。

 宿を出ると、月光に照らされた街道に十数人の兵が見える。

 鎧の紋章――それは、王都騎士団のものだった。


「……嫌な予感しかしないな」


 先頭の騎士が声を上げた。

「そこにいるのは聖魔導師アレン=クロードか!」

「ええ、そうです。いまはただの旅人ですが」


「王命により、貴様を拘束する!」


 兵たちが武器を構えたが、アレンは眉をひそめただけだった。

 魔力の気配を感じ取ると、彼らの武具には高位封印術が施されている。

 まともに反撃すれば、人体が持たない。


(なるほど……王子の差し金か。度胸のある連中だ)


「理由を聞いても?」

「禁忌の術を使用し、王国の結界を乱した罪」

「なるほど。ありがちな罪状だ」


 アレンは溜息をつき、ゆっくり手を上げた。

 ただし降伏ではない。

 周囲の空気が一瞬ざわめき、次に光が弾ける。


「な、なんだ!? 魔法反応……!!」


 白光が村の広場全体を覆い、騎士たちの動きが止まる。

 温かく穏やかな気配。彼らが構える武器は、触れた瞬間、ふっと静かに崩れ落ちた。

 鉄も、魔法も、炎も、すべて無力化する。


「……戦うつもりはありません。けれど、村の人に迷惑はかけないでほしい」


 静かな声。

 だが、その響きには抵抗できない“重さ”があった。

 圧力とも慈悲ともつかぬ魔力の奔流が、存在そのもので威圧している。


「撤退だ! こっちは荷が重すぎる!」

「っ……しかし王命が……!」

「構うな、死ぬぞ!」


 指揮官の叫びとともに、騎士たちは我先にと逃げ出した。

 残されたのは、穏やかな夜風と静まり返った村だけ。


 アレンは深く息をつき、腰を下ろす。

「……やれやれ。平和に過ごしたいだけなのにな」


 村人たちが恐る恐る顔を出す。

 ミーナが駆け寄ってきて彼の手を握った。


「アレンさん……こわかった。でも、助けてくれたんですね」

「守りたいだけですよ。誰かが泣くのは、もう見たくないから」


 彼が微笑むと、少女の瞳に安堵の涙が浮かぶ。

 その光景だけで、アレンの心は満たされた。


 だが、その穏やかな時間は長くは続かない。


          ◇


 翌朝。

 ルーデン村から北へ離れた街道を、一台の黒い馬車が走っていた。

 中には、昨夜の報告を聞くレオニール王子とリリアの姿。


「騎士団が敗走しただと?!」

「直接交戦はしておりません。光に包まれ、武具が溶けたとのこと。死傷者はなし」

「まるで神罰ではないか……!」


 レオニールは頭を抱え、そして笑った。狂気を帯びた笑みだった。

「いいだろう……ならば、奴を本物の悪に仕立て上げてやる。神を冒涜した異端者として、世界中に宣告しろ」


 その命令にリリアがわずかに顔を歪める。

 けれども、王子の眼光がそれを許さない。


「アレン……ごめんなさい。でも、あなたの優しさは、残酷すぎる」


 彼女の呟きは馬車の音にかき消された。

 一方、アレンはそのころ村の畑で鍬を振っていた。


「……やっぱり、地面の触感は落ち着くな」


 一振りごとに、地脈の魔力が整っていく。

 気づかぬうちに、村はすでに聖域へと変わりつつあった。


 それでも彼は気づかない。

 世界が再び彼の存在を中心に動き始めていることを――。

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