生徒会長は男の娘

葉っぱふみフミ

第1話 始業式

 四月七日。

 今日から三年生が始まる、始業式の朝だ。


 高校生活もいよいよ最後の一年。名残惜しさと、最高学年として後輩の見本にならなければという、よく分からない責任感で胸がいっぱいになる。

 こういう感情を「気概」と呼ぶと授業で習ったことを思い出した。


 そんな気分に応えるように、窓の外は気持ちのいい快晴が広がっている。

 自然と足取りも軽くなり、朝のトイレと洗顔を済ませると、制服に着替え始める。


 白いブラウスのボタンを留め、赤と茶色のチェック柄のプリーツスカートを履く。

 赤いストライプのリボンを結び、最後にブレザーを羽織った。


 昨日、美容院でカットしてもらったショートボブは、なかなか様になっている。

 出来上がりに満足して、階段を下りリビングへ向かった。


「おはよ」


 キッチンで朝食を作っていた母が振り返り、コーヒー片手に新聞を読んでいた父が、ゆっくり視線を上げる。


「翼、おはよう。今朝はパンだけど、何枚焼く?」

「二枚お願い」


 そう答えて席に座る。

 父は無言のまま、ちらちらとこちらを見る。何か言いたそうだが、何を言えばいいのか分からない、そんな顔だった。


 仕方がないので、こちらから声をかける。


「父さん、何かある?」

「いや……何もない。ただ……本当に女子高生みたいだな、と思って」


 それ以上は言わず、父はコーヒーに口をつけ、再び新聞へと視線を戻した。

 深掘りしないあたりが、最近の我が家らしい。


 トーストが焼き上がる頃、パジャマを着たままの妹の乙葉が、目をこすりながら階段を下りてくる。


「おはよ。いよいよ、今日からだね」

「ああ。乙葉も明後日から高校生なんだから、生活リズム戻さないとな」

「はいはい。分かってますよー。ほら、そろそろ出る時間でしょ」


 言われてテレビに目をやると、確かに時間が迫っていた。

 どうやら髪のセットやら何やらに、思った以上に時間を使っていたらしい。


 残りのトーストを牛乳で流し込み、歯磨きを手短に済ませ、ローファーを履いて、玄関を出た。


 本来の膝丈はダサい感じがして、ウエストを折りたたみ膝上10cmにしたスカートでは、外気はちょっと寒く感じる。


 4月なのに黒タイツは重いと思って辞めたのを、一瞬だけ後悔した。

 学校に着けば暖房が入っているだろうし、昼には暖かくなるだろうから、少しの辛抱だ。

 家を出て駅まで歩き、十五分ほど電車に揺られ、そこからさらに五分。

 少し坂を登ったところに翼の通う星見ヶ丘高校はある。


 学校が近づくにつれ、同じ制服を着た生徒たちが増えていく。

 友達同士でおしゃべりに夢中な生徒たちも、すれ違う通行人も、誰ひとりとして翼を気に留めない。


 制服というのは本当に優秀だ。

 着てしまえば、中身が何であれその学校の生徒になる。


「……最高の迷彩服だな」


 誰に聞かせるでもなく独り言を呟き、翼は校門をくぐった。


 三月の終業式ですでに三年のクラス割は発表されている。

 それに従い、翼は三年二組の教室へ向かった。


 ドアを開けると、見慣れた顔がずらりと並んでいる。


「おはよ」


 いつも通り挨拶し、出席番号三番の翼は右端の前から三番目の席へ向かう。

 その途中で、クラスメイトたちの視線が一斉に集まった。


 妙に静かだ。

 そして、遠巻きだ。


 ひそひそと小声が交わされ、男子数名のグループから背中を押される形で、一人の生徒が前に出てくる。

 三年連続で同じクラスの、小石原だった。


 まるで未知の生物に話しかけるかのような慎重さで、口を開く。


「いち……一ノ瀬、だよな?」

「うん。そうだけど」


 当たり前の質問には、当たり前に答える。

 だが小石原は納得せず、「どういうこと?」と顔に書いたまま固まっていた。


 その反応は、教室全体にも共通している。

 誰もが言葉を失い、視線だけがこちらに集まっていた。


 やがてチャイムが鳴り、担任の先生が教室に入ってくる。

 生徒たちは一斉に席に着いた。


 教壇に立った先生は、名簿を開き――そして、翼を見て動きを止めた。


「……一ノ瀬?」

「はい、先生。なんでしょう」

「お前、なんで女子の制服を着てるんだ?」


 教室の空気が、ぴしっと固まる。


「先生。この学校の制服って、男女の区別はありませんよね?」


 翼は落ち着いた声で言った。


 星見ヶ丘高校の制服は、ブレザーとシャツは共通。

 リボンかネクタイ、スカートかスラックスを選ぶ方式になっている。

 生徒会長である翼が、それを知らないはずがない。


 実際、教室の中にもネクタイにスラックス姿の女子生徒が何人かいる。


「……まあ、そうだが」

「なら、問題ないですよね」


 きっぱり言い切られ、先生は一瞬言葉に詰まった。

 そして、何事もなかったかのように咳払いをすると、出席を取り始めた。


 教室にはまだ、静かな混乱だけが残っていた。


 先生が教室を出ていくと、再び小石原が近づいてきた。

 さっきよりも距離はある。慎重というより、様子見だ。


「なあ一ノ瀬。体は男だけど、心は女ってやつか? もしかして……俺のこと狙ってたり?」

「ううん。体も心も男だよ」


 あっさり答えると、小石原は拍子抜けした顔をする。


「じゃあ……なんでスカート?」

「男がスカート履いちゃダメなの?」


 根本的な問いに、小石原は言葉を失った。

 その様子を見て、翼は少しだけ首をかしげる。


「それにさ。仮に心が女の子だったとしても」


 そこで、わざと声量を上げた。


「修学旅行で女子風呂を覗こうとしてた小石原を、好きになることはないかな」


 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、小石原に向けてクラスの女子たちの軽蔑の視線が突き刺さる。


「ちょっ、それは――」

「そろそろ体育館行こうか」


 翼は何事もなかったように席を立ち、移動を促した。

 クラスメイトたちは気まずそうにしながらも、ぞろぞろと廊下に並び始める。


◇ ◇ ◇


 体育館の壇上では、校長先生が新学期らしい話をしている。

 が、それを真面目に聞いている生徒はほとんどいない。


 下を向き、早く終われと念じる空気の中、十五分ほどで話は締めくくられた。

 校長が壇上を降りると、体育館に安堵の気配が広がる。


「続いて、生徒会長よりお話があります」


 放送部のアナウンスが響いた瞬間、ざわめきが起きた。


 翼は日の丸に一礼し、壇上へ上がる。

 視線が一斉に集まるが、特に気にせずマイクのスイッチを入れた。


「おはようございます」


 それだけで、また少しざわつく。


「新学期になって、新しいことを始めようと思っている人も多いと思います。その中で、今日の私の格好に驚いた人もいるかもしれません」


 翼は一度、間を置いた。


「理由は簡単です。高校生活、最後の一年、この制服で過ごしてみようと思いました」


 体育館がざわりと揺れる。

 見かねた先生が「静かに!」と声を張り、ようやく落ち着いた。


「多様性、って言葉を聞いたことがある人も多いと思います。でも正直、難しいことを考えてるわけじゃありません」


 翼は淡々と続ける。


「校則で禁止されていないことを、自分で選んだだけです」


 少しだけ、口元が緩む。


「だから皆様も、自分のやりたいことに周りの視線は気にせずにチャレンジしていってください」


 それだけ言って、翼はマイクを置いた。


 ざわつきは残っていたが、さっきとは少し質が違う。

 戸惑いと、理解と、諦めが混ざったような空気だ。


 壇上を降りながら、翼は心の中で、えらそうなこと言ったけど、実際は着たいから着てるだけなんだけどね、とつぶやいた。

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