シルバークリークの怪

kankisis

第1話 シルバークリークの怪死事件

 『指名手配の脱獄囚 魚にまみれて怪死』

 道端で新聞売りの少年から受け取った新聞を見て、真っ先に目に飛び込んだのがこの見出しだ。


 カイル・コルビーは軒先に立ち止まり、記事を読む。


 ラズベリータウンの北の山脈を流れるシルバークリークという川で、13日朝、元判事のブランドン氏が死体を発見した。ブランドン氏は趣味の釣りをしに川へ向かったところ、上流の方よりひどく生臭い異臭を感じ、臭いのする場所を見に行ったという。すると、川岸の岩場で大量の魚に埋もれるようにして死んでいる男を発見。ブランドン氏によると、異臭はそれまでシルバークリークで嗅いだ事のないもので、また、川岸に打ち上がっていた魚はすべて見た事のない種類だったとのこと。男の死体はすぐに保安官らによって回収され、手配中の脱獄囚であった事が判明した。

 死んだ脱獄囚はモリスという男で、南北戦争のさなか西部を騒がせた盗賊団のメンバーだったという。彼が子牛の窃盗と殺人の容疑で捕まったとき、すでに盗賊団は解散しており、単独犯だった。護送先の監獄で以前の仲間らと偶然に再会し、とある仲間の情婦の手引きで集団脱獄に成功。モリスは脱獄後、同じく盗賊団のメンバーだった稲妻バーニーと一緒に行動しているのを度々目撃されている。

 モリスの変死体が発見されたシルバークリークは現在、立ち入り禁止となっている。


 記事を読み終え、ふとカイル・コルビーはギャンブル仲間のジェームズの事を思い出す。

 奴は隣町で開催されるポーカー大会に出場するために、今朝このラズベリータウンを出ていった。隣町に行くためには川を渡らなければならない。問題はその川がシルバークリークである事だった。変死事件を知らずにジェームズは出発したのだ。


 しかし一帯が立ち入り禁止になっている事を考えると、ジェームズはすぐ引き返してくるだろう――カイルはこう考えた。危険な賭けは極力避けるのが、俺と違って奴の美点だ。それにしてもツキが悪い。自分もそうだが、立ち入り禁止の事をまるで知らないままだった。普通ならあいつの出発前には耳に入ってくるところだ。


 すぐ後ろの商店でドアが開く音がした。客が出てきたので、カイルはその人物を何気なく呼び止めた。


「シルバークリークが立ち入り禁止って、知っていたか?」


 尋ねた相手を見て、カイルはしまったと思った。昨晩カイルが賭けで大金を巻き上げた相手だった。誰でもいいと思って相手を確かめずに尋ねたのだが、気まずい。もちろん、カイルの表情はその気まずさを表に出さないように振舞っている。


「死体が出たんだろ」


 相手の男はぶっきらぼうに答えたあと、不機嫌そうに続けた。


「おい、お前。今夜空いてるか。昨日は酔った勢いでやられたが、今度はそうはいかねえぞ」

「受けて立とう。昨日と同じ場所でいいな」

「おう」


 男は去った。こういうときに断っても得にならない。むしろ、負けてムキになっている奴から更にむしり取るチャンスなのだ。



 夜になって、カイルは約束通り酒場に赴き、同じテーブルで賭けに興じていた。相手の男と、他に二人加えてのポーカーだ。

 最初にカードが配られた頃、カイルは普段通りの心持ちでいるつもりだった。それが間違っていたことに気がつきはじめたのは、数時間経ってのことだった。

 ツキがないどころかくだらないミスを何度も繰り返し、チップを大幅に減らしたカイルは、このままでは昨日のうちに稼いだ分を相手に取り返されてしまうと不安にかられていた。得意げな男のにやけ顔から目をそらし、必死に自分の中の原因を見つけようとした。集中を欠く要因がどこかにあるはずだ。

 ……やはり、ジェームズのことが気掛かりだった。道を引き返して今夜中に戻ってくるだろうと確信していたのに、なかなか戻ってこない。そのことがずっと心に引っ掛かっている。

 夜遅くになり、さらに負けを重ね、戻ってこない友人に気を揉み、いよいよ席を立ち上がった。あいつが帰ってきたならば真っ先にここに顔を出すはずだ。いくらなんでも遅すぎる。

 イカサマをする気にもならなかった。


 酒場の主人から酒を奪うようにして一杯飲み干すと、カイルは建物を飛び出した。



 幸い、満月の夜だった。カイル・コルビーは馬で町を離れ、かすかに視界に浮き上がる道を進んでいく。誰ともすれ違わない。ジェームズはどこへ行った?

 しばらく道を行き、傾斜が目立ち始めると、ただでさえ遅いスピードをさらに緩めざるを得ない。

 松明も持たずに来たのは間違いだった。かといって引き返そうとも思わない。


 山に入ると、見づらい道が余計に分かりづらくなる。月光が木々に遮られるからだ。カイルの自信はか細くなっていく。

 シルバークリーク一帯が立ち入り禁止になっているのなら、道が険しくなる手前辺りで狩猟小屋でもあって、そこで保安官なりその助手なりといった何者かが通行を見張っているものと思っていた。そんなものはどこにもなかった。追い返されるわけでもなく、ジェームズはそのまま川まで進み、山を越え、とっくに隣町に着いているのではないだろうか? それとも、この暗闇でただ自分が見逃しただけなのだろうか?


 不安を追い払うように馬から降りると、冷気が首筋をなでて通り過ぎていく。ひそひそと話す声に似た、木の葉が擦れ合うざわめき。名も知らぬ虫の鳴き声。実体なき気配ばかりが山の空気を占拠していた。そして一時的に集中力を増したカイルの耳は、澄んだ水が流れる川の音を聞きとった。シルバークリークは近い。


 林が途切れ、急に開けた場所に出た。思ったよりもずっと近くを川が流れていた。川原に出て、向こう岸を観察する。危険な動物がいる様子はない。誰かいるか? いない。脱獄囚の死体があったという上流に視線を向けてみても、特段、変わったものは見えなかった。


 馬を手近な木に繋ぐ。

 右手側の上流へ向けて歩を進めながら、カイルは声を張り上げた。


「ジェームズ! いるか? 返事をしろ!」


 喉から飛び出した自分の声が思ったよりも大きく夜の闇に反響したので、カイルはうろたえた。さらさらと一定の調子で流れ続けるシルバークリークの川音が不安を増幅させていく。

 肝心の返事はなく、カイルは後悔した。暗闇ばかりの山奥で余計に孤独を感じる羽目になってしまった。


 自分自身を落ち着かせるために、大きく息を吸い込む。

 カイルはむせた。急に空気の匂いが変わったからだ。生臭い空気に咳き込みながら、周りを何度も見回す。視界に変化はなく、まず彼に届いたのは、下流から水をかきわけて何かが遡ってくるような音。


 熊でもいるのか、とカイルの脳裏をよぎるが、自身でそれを否定する。この辺りの熊はとうの昔に狩り尽くされている。いるはずがないのだ。


 馬は下流の方に繋いだままだった。正体不明の何かが迫り来るのを肌で感じながら、カイルは馬の方へと駆け出そうとした。その大きさや数はよく分からなかった。


 カイルが身を翻したそのとき、別の何かが頭上からカイルの身体をがっちり掴み、勢いよく引っ張り上げた。

 頭上の気配には気づいていなかったカイルは驚きを隠せずに、樹上にいた男に殴りかかろうとした。


「カイル! よせ!」


 その男は知り合いだった。聞き馴染みのある声。ジェームズだ。トレードマークの山高帽を被った姿を見て、カイルは安心しかけた。だが、うっすらと見えるジェームズの顔が緊張気味であるのに気づき、次にどうして川原に大きく張り出した枝の上にいるのかと疑問を覚えた。生臭さはより強まっている。


「いったいどうなっているんだ、ジェームズ――」


 その間も川を何かが遡ってくる耳障りな音は増大し続けたが、突然途切れると、静寂が辺りを覆い尽くした。全くの静寂だった。


 ジェームズはカイルの質問には答えず、上を向いてこう言った。


「そっちに行かせてくれ!」


 つられてカイルも上を見た。ライフルの銃口が向けられていた。上にもう一人、男がいる。

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