第七話「超越存在との和解」

 ともかく僕は、彼女という神……正式名称を「降魔ごうま滅蓋めつがい巴姫ともえひめ」の実在と受肉というフィクション世界的な展開を認めなければならなかった。彼女への謝罪も込めて向かったファミリーレストラン、窓際の席で向かい合いながら。彼女はテーブルのお手拭きにお手本のような綺麗な文字で、その「真名しんめい」とやらを記してみせた。


「魔を降ろし、解脱の蓋を滅する神。それが妾の真名の由来じゃ」

「へ、へぇ……」


 顔を引き攣らせながら僕は応じ、思った。


(大丈夫? 夜更かししながら考えた「僕の最強の前世」的なやつじゃないよね?? )


 ちなみに僕はまさしく中学二年の頃、そういう気狂いを発症してしまった張本人だ。あるメジャー小説投稿サイトに綴った黒歴史は全40万文字に渡り、僕という「輝かしい闇」と「無慈悲なる光」と畏怖される敵の軍勢が前世三世代に渡って激闘を繰り広げてきた歴史が克明に描かれている……うわ、気分悪くなってきた。いや、大丈夫だ。あの駄文は間違いなく削除したはず――


(てか、前世が事実なら巴姫が「無慈悲なる光」ってことになんない? )


事実、巴姫の力に対抗できてしまっているわけで。

だが僕は、前世ほど勇敢な人間にはなれなかったようだ。当代の「輝かしい闇」は媚びへつらった笑みを浮かべてこんなことを言う。


「し、真名かぁ……あ、憧れるなぁ」


 すると彼女は顔を赤くして、上擦った声を上げた。


「きゅ、急に褒めるでない! は、恥ずかしいではないか……」


 すると外が急に明るくなり始める。どうやら雲間が晴れ、日が差したようだ。先ほどまでの悪天候とは大違い。通行人のうち数人が、困惑して立ち止まっている様子が見えた。

 一方、巴姫は話題を逸らすように、注文したストロベリーパフェにスプーンを刺す。掬い上げた生クリーム付きのイチゴを口へ運ぶと、幸せそうにその表情が解けた。


「うぅん〜!! 美味しいぃ。のう、お主も一口、どうじゃ? 」


 そうして、少し顔を赤くしたまま、彼女はスプーンをこちらに差し出してきた。結構しっかりアイスとイチゴが乗って、ソースまでかかっている部分。彼女が僕に抱いている好意の大きさを実感する。

 流石に断ると後が怖い。応じて、味わってみる。


「ありがと。うん。美味しい」


 無難な味だが、それが悪くない。直球な甘酸っぱさ、バニラアイスの濃厚さ。まるで初恋の味のようだ……目の前の誰かさんにフラグをボッキリ捩じ切られたけど。

 そんな僕の追想は露知らず。彼女は心底嬉しそうに「きゅぅう〜」なんて鳴き声をあげもだえていた。僕に「あーん」できたのがよほど嬉しかったらしい。その様だけ見てれば本当に可愛らしい。しかし中身は僕の恋路を邪魔するど田舎出身の邪神だ。本当になんで??


――外から差す光が強まって、巴姫の表情を照らし出す。


 彼女は「あ」と思い出したように言った。


「そして、妾の人間としての名がこれじゃ」


 そうして彼女は「真名」の横にこう書いた。


竜胆りんどう、ミサキ……? わぁ、この名前もすごく綺麗じゃん」

「だっ、だからぁっ! 不用意に褒めるでない! そういうのは、二人きりの時に……」


――彼女が顔をさらに赤くしてクネクネ悶える。同時に外の日差しが春先にしては異常なほど、真夏日レベルに強まった。


(あれれ、変じゃね?? )


 窓際から差し込む直射日光がいやに強い。店内まで温度が上がっている気さえする。


(まさかこの直射日光も巴姫の機嫌がマックス良いせいなのか!? )


 もうそうとしか思えない、しかし全くもって規格外だ。泣き叫べば悪天候を呼び、超上機嫌ならば一気に真夏日。九州の田舎土着の信仰対象にしては、影響力が強すぎやしないだろうか。

――ならば、ある程度それは「制御」できなければマズい。

 外での日差しはジリジリと強まり、衰えを見せない。考えを巡らせて、こう言ってみた。


「じゃあ、外ではミサキ、って呼んだ方がいいか」

「む。それはなぜじゃ。真名で呼んで欲しいんじゃけど」

「だって、それが人としての本名なんでしょ? じゃないといざって時、怪しまれるし」

「そ、そういうものか……」


 彼女は難しそうな顔をしつつ、少し落ち込んだ顔をする。途端に外の日差しが落ち着き始めた。いいぞいいぞ。セーフ! ギリ、セーフ!!


 というわけで、ここからが本番だった。


「じゃあミサキ。まず約束して欲しいことがあるんだ」


 心を込めて、誠実に伝えようとした願い。それに彼女は鋭く反応した。


「――それは、この妾が聞いてやれそうな願いか? 」


 蛇のように鋭い視線だった。スプーンを置いて、口元を丁寧にナプキンで吹いてこちらを見ただけ。それだけなのに、やはり年下とは思えない迫力が宿っている。

 僕はそれに、虚勢を張ってでも立ち向かうしかない。


「聞いてやれそうかどうか、は問題じゃない。ただ、これは僕のこれからの人生、自由意志の問題なんだ」


――だって、今この青春を謳歌できないなんて、世界が終わっても受け入れられないから。

 身勝手でも、ちゃんと声にした。


「僕が大切に思う人に悪夢を見せるとか。他人を傷つけることは、もうしないと誓って欲しい」

 彼女の瞳が、さらに鋭く細まった。

「なれば。まず妾の事情も聞いてはくれぬか」

 その言葉に、僕は生唾を飲み込み頷いた。



「唯人、お主は言ったな。今の妾を、愛し求める対象としては見れない……と」

「うん。言った通りだ、気持ちは変わらない」

「でも、これから先は、違うのじゃろう? 」


巴姫の視線は真摯で一途だ。眩しいほどに、人間じみている。


「妾が受肉したのは一重に、お主にもう一度会いたかったから」


 彼女が打ち明ける声は、徐々にか細く、弱々しくなる。


「出会って、別れて。妾は我慢ならなくなった。お主にどうしても会いたくて、だから人の身に宿ったのじゃ」


 どうやって? と聞きたいところだけど、今そこはいいだろう。今こうして彼女が目の前にいることを受け入れるより他ない。


「しかし、妾だって知っておった。お主は、以前の妾のような、成熟した、年上の女性が好み。だから本当は、ちゃんと成長し切った姿になってから、会いに行くつもりじゃった」


 タイプまでバッチリ把握されていた。流石にこれは気恥ずかしい。


「……よ、よく知ってるね」

「気づかぬはずないじゃろう。受肉前の妾の胸ばっかり見ておった癖に」

「……あ、えっと。本当ごめんなさい」


 たしかにあれはすごかった。


「別に謝ることはない。……妾は、別に嫌じゃ、なかったし」


 何だか居心地の悪い沈黙が降りる。慌てて話を切り替えた。


「えぇっと。つまりミサキがこのタイミングで会いにきてくれたのも、本来の予定とは違ったってこと? 」


 疑問の一つがようやく解けた。彼女自身、本当はもっと成長してから出会うつもりだったらしい。そこまで想われているのは嬉しくもあり……同時にやはり、怖くなってしまう自分もいる。これじゃあ来世まで執着されそうだ。絶対に口には出せないけれど。

 僕の複雑な心境とは裏腹、巴姫、もといミサキはぷくーっとむくれた表情で言う。


「その通り。お主が夜毎「寂しい寂しい」と泣いて枕を濡らすからじゃ。不必要に自分を慰めてあられもない姿を晒すお主をただ見ているだけと言うのは……どうしても、心苦しくてな」


 ん? んんん? ちょっと待って???


「あの、えっと、ミサキさん……ど、どう言う意味? 僕を、見てた?? 」

「言った通りじゃけど? 妾って神だし。遠く離れた景色を見通す――千里眼くらいデフォルトじゃ。この体でやりすぎるとドライアイになるのが悩みじゃが」


 そう言って彼女はコミカルに両手の指でメガネを作る。僕はここで、最大の恐怖を味わうこととなった。


「つ、つつつつまり、僕のプライベート筒抜けってこと!? 」

「焦りすぎじゃろ」

「焦るに決まってんじゃん!? 僕はずっと一人だと思ってるから、だから、えっと、その」


 誰にだって一人寂しい夜に耐えられないことはある。家族の知らないところでこっそり……なんて経験がない人はいないはずだ! でもそれは! 誰にも見られていない前提ありきで! できることであってぇ!


「ミサキ、呪いもそうだけど、せ、千里眼も禁止! 」

「なんでじゃ。けち」

「いーやプライベートは守られるべきだね! 相手のスマホを覗こうとする恋人ってどうよ? ね? よくないでしょ」

「妾は構わんし。唯人に見られて困るのとかないし」

「僕は! 困るタイプなの! どんな羞恥プレイよ!? 」


 彼女は不満げにぶすくれる。逆にからかったりしてこないのがむしろ怖い。


「えー。妾、好きじゃったんだけどな。ああいうことしてる時の唯人の顔と声。めちゃ可愛いし」

「んぇぃぎいぃぃぃぃぃい!? それ以上やめてくれ!? 」


――奇声を上げた僕に、騒がしいファミレスが一瞬静かになる。けれど、そう簡単に落ち着いていられるわけがない。今すぐ世界からログアウトしたい! 絞首台はどちらですかぁ!?


……いやちょっと待て、話がかなり脱線してしまっている。

 僕は荒く肩で息をしながら、主張をまとめる。


「は、話を戻そう。他人を呪うこと、後、千里眼のこと……ひっくるめて僕がやめて欲しい理由は、僕の自由意志を尊重してって意味だ。僕が友人を作ったり、恋をしたりする日々、青春に干渉はしても、妨害はしないで欲しい」


 その要求に、とんでもない反発が来るかと思いきや、


「あいわかった」

「え、いいの」


 やけにあっさりで拍子抜けだ。なんて油断した。


「その代わり、妾がお主を諦めないことを、認めてほしい」


 彼女の視線は、ただ根の深い執着心だけじゃどうやらなさそうだった。真っ直ぐな瞳には光が宿って、飾り気のない彼女の気持ちが、確かにあった。


「お主のことを、ずっと好いておる。きっと、これから先も」


 その言葉には素直に「ありがとう」と言うことができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る